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ブログ版 シュプリッターエコー

地球と5円コイン…ある希望

2011-05-15 21:07:00 | 社会
 ナイロビ(ケニヤ)の貧民区にある小学校での出来事です。
 一年生のひとりの児童が日本円にして5円くらいのお金を先生のところに持ってきました。
 日本で起きた大きな津波で苦しんでいるひとに届けてほしい、というのです。

 事情をのみこんだ先生が、で、このお金はどうしたの、と少年にたずねました。
 すると、かれはこう答えたのでした。

 ぼくは毎朝、ママからこのお金をもらって、家を出るんだ。
 学校へ来る途中のお店に寄って、これでいつもパンを買う。
 それがぼくの朝ごはん。
 でも、きょうは、日本のひとたちのためにぼくもなにかできないかと考えて、そうだ、これを役に立ててもらおうと思いついた。
 それで、先生にお願いすることに決めたんだ。

 この話を聞いて、ぼくはあやうく落涙しそうになりましたが、同時に、地球の全重量と少年のこの5円硬貨がまったく等しい重さなのを感じました。
 むしろそうはっきりと確信しました。

 今度の震災で、世界の国々からたくさんの支援のお金が届けられていること、これはぼくにはとても大きな驚きです。
 それも、圧倒的にそれらの国々のごくふつうの庶民のかたがたが動いてくださっているのです。
 
 ぼくたちが、多少の疑問と徒労感をまじえながら続けてきた海外援助が、実はそれぞれの国の庶民にしっかり受け止められていて、それが津波を機会にあらわれたともいえるでしょう。
 民間のボランティアの地道な海外活動が、深いところで認められていた結果だと、そのようにもいえるでしょう。
 でも、そのようにはっきりと理由づけられるものだけでは覆(おお)いつくせない、なにか広大なものの動きがあるようにも思えます。

 ぼくたちがもう価値がないものだと思っているぼくたちの内なるものが、世界のひとびとの内なるものと共鳴し、感じ合い、大きな力となって爆発現象を起こしているように思えてならないのです。

 内なるものの相互爆発…。

 ということは、ぼくらにはひとつの責任が課されたことでもあるのではないでしょうか。
 底の深い庶民の心が集中的に集まった国は、その庶民の心の美と力と潔さを証明していかなければならないのではないか、ということです。
 ぼくたちの今の感謝と確信をもとに、未来を切り開いていかなければならないのではないか、ということです。

 希望が見えてきたといってもいいような気もします。
 犠牲者たちの膨大な命と引き換えに。

 そういう国づくりがあっていいのではないでしょうか。  

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