昔は「良い子」が基準でした。しかし、現在はそれぞれの「個」が基準です。
例え、人数が少なくとも「良い子のマネをしなさい」が躾けや教育現場での指導でした。しかし、現在は「個の尊重」とかで、授業が成立しない教室もあります。また父兄自体もその社会的な責任感やモラルが(常識が)欠如してしまっています。
これは、テレビをはじめとしたマスコミに大きな問題があると考えます。テレビの報道番組(これも怪しいが)以外は、その放送に責任感が欠如しています。「あるある大辞典」の事件でも解るように、「視聴率さえ取れれば」と言う風潮が強いようです。10年ほど昔やはり「イジメ」が社会問題化した時「人間失格」と言う番組に非難が集まりました。しかしテレビ局の回答は「受け取った人間の責任」と言うものでした。マスコミのこの「受け取った人間の責任」と言う開き直りはもう30年近く言われている筋金入りの言い訳です。TBSのドリフターズのコントで「食べ物を粗末にしてはいけません」と言う非難は、今では懐かしい響きがありますが、改善されてはいません。
しかし、自分たちの経営に関わる「小事」でも「大事」として放送します。ライブドアの時間外取引は何もフジテレビだけで行なわれているわけではありませんでした。証券業界の慣習として行なわれているものでした。しかし、他社のM&Aは第三者的に報道しても自分たち(テレビ業界)が当事者になった場合の反応が大きく異なりました。まるでヒステックな反応でした。結果的にはライブドアが商法違反で逮捕されましたが、マスコミ(テレビ業界)の対応に疑義をもった国民は多かったようです。
人間が物事を判断するには、「データ」とそれまでに構築された「考え方」に大きく左右されます。またその時の感情にもよります。しかし、そのデータはテレビ等のマスコミがほぼ独占し、考え方は日本を旧ソ連の意向活動方針にしている日教組や赤軍派になれなった人間に牛耳られているマスコミ(朝日新聞、毎日新聞、テレビ朝日、TBS)に洗脳?されています。
物事の判断基準がイイカゲンになるのはある意味しかたがないことのでしょうか。しかし、私みたいなあきらめが悪い人間がこのblogのように声を上げています。
例え、人数が少なくとも「良い子のマネをしなさい」が躾けや教育現場での指導でした。しかし、現在は「個の尊重」とかで、授業が成立しない教室もあります。また父兄自体もその社会的な責任感やモラルが(常識が)欠如してしまっています。
これは、テレビをはじめとしたマスコミに大きな問題があると考えます。テレビの報道番組(これも怪しいが)以外は、その放送に責任感が欠如しています。「あるある大辞典」の事件でも解るように、「視聴率さえ取れれば」と言う風潮が強いようです。10年ほど昔やはり「イジメ」が社会問題化した時「人間失格」と言う番組に非難が集まりました。しかしテレビ局の回答は「受け取った人間の責任」と言うものでした。マスコミのこの「受け取った人間の責任」と言う開き直りはもう30年近く言われている筋金入りの言い訳です。TBSのドリフターズのコントで「食べ物を粗末にしてはいけません」と言う非難は、今では懐かしい響きがありますが、改善されてはいません。
しかし、自分たちの経営に関わる「小事」でも「大事」として放送します。ライブドアの時間外取引は何もフジテレビだけで行なわれているわけではありませんでした。証券業界の慣習として行なわれているものでした。しかし、他社のM&Aは第三者的に報道しても自分たち(テレビ業界)が当事者になった場合の反応が大きく異なりました。まるでヒステックな反応でした。結果的にはライブドアが商法違反で逮捕されましたが、マスコミ(テレビ業界)の対応に疑義をもった国民は多かったようです。
人間が物事を判断するには、「データ」とそれまでに構築された「考え方」に大きく左右されます。またその時の感情にもよります。しかし、そのデータはテレビ等のマスコミがほぼ独占し、考え方は日本を旧ソ連の意向活動方針にしている日教組や赤軍派になれなった人間に牛耳られているマスコミ(朝日新聞、毎日新聞、テレビ朝日、TBS)に洗脳?されています。
物事の判断基準がイイカゲンになるのはある意味しかたがないことのでしょうか。しかし、私みたいなあきらめが悪い人間がこのblogのように声を上げています。