もの事を議論する時、「例外」を持出し全体をその例外がごときに論理展開する輩が後を絶たないようです。例えば、お笑い番組の芸能人が余りにも非常識であり、芸能人は「おバカである」と言うと、「誰それは東大出身であり決め付けるのはおかしい」と言う具合に例外を持出す輩が多いようです。100%その通りと言うことは現実にはあり得ません。誤差や例外と言ったものが必ず混じります。システム的には全体の20%を超えねば「例外」であり、別処理で考えます。それ以上であればそれは別システム(別系統の流れ)を構築する必要があります。人間社会でも比率は異なるでしょうが、有史以来「例外」は別処理で対応しまてきました。
それを例外が全てを否定すべく主張するのは議論全体を打ち切りたいためとしか思えません。しかし、この手の輩が意外に多いことに驚愕します。自らの存在を見せ付けるためゴネている輩も多いようです。
しかし大半の輩は、全体図が見えずその事柄が例外なのか別系統に属すべきものなのか判断がつかないのが実態のようです。島田紳助が25年前の漫才ブームの時、「成績表の2と1は大きな違いがある」と発言しました。「『1』は全く解らない状態であり、『2』は何となくそこに何かあると言う認識であり、『3』は輪郭がハッキリと認識でき、『4』は白黒写真で『5』がカラー写真や」と、けだし名解説だと感心しました。件の輩の大半がここで言う『1』の認識しかないようです。
これは、暗記だけを問題にしてきた教育に原因があります。しかし、学校教育は決して暗記だけを要求する「学習指導要綱」ではありません。受験の弊害と言ってしまえばそれまでですが。分数の計算は条件を揃えて比較(加減剰余)する力を身に着けさせるものですし、分類は、IT社会では自ずと使用せざるを得ません。しかし暗記が全ていう風潮が広がってしまいました。
更に問題なのは「論理的」に物事を考えることがわずらわしいと思う人間が急増していることです。暗記だけで生きてきたためその知識を活かすすべを知りません。男性より女性の方がこの傾向が強いようです。ですから、日本を仮想敵国としている国・韓流に流される輩が大量に発生するのです。事の優先順位が明確に認識できればこのようなバカ騒ぎは起きなかったのではないでしょうか。例えテレビで大々的にキャンペーンされても。
それを例外が全てを否定すべく主張するのは議論全体を打ち切りたいためとしか思えません。しかし、この手の輩が意外に多いことに驚愕します。自らの存在を見せ付けるためゴネている輩も多いようです。
しかし大半の輩は、全体図が見えずその事柄が例外なのか別系統に属すべきものなのか判断がつかないのが実態のようです。島田紳助が25年前の漫才ブームの時、「成績表の2と1は大きな違いがある」と発言しました。「『1』は全く解らない状態であり、『2』は何となくそこに何かあると言う認識であり、『3』は輪郭がハッキリと認識でき、『4』は白黒写真で『5』がカラー写真や」と、けだし名解説だと感心しました。件の輩の大半がここで言う『1』の認識しかないようです。
これは、暗記だけを問題にしてきた教育に原因があります。しかし、学校教育は決して暗記だけを要求する「学習指導要綱」ではありません。受験の弊害と言ってしまえばそれまでですが。分数の計算は条件を揃えて比較(加減剰余)する力を身に着けさせるものですし、分類は、IT社会では自ずと使用せざるを得ません。しかし暗記が全ていう風潮が広がってしまいました。
更に問題なのは「論理的」に物事を考えることがわずらわしいと思う人間が急増していることです。暗記だけで生きてきたためその知識を活かすすべを知りません。男性より女性の方がこの傾向が強いようです。ですから、日本を仮想敵国としている国・韓流に流される輩が大量に発生するのです。事の優先順位が明確に認識できればこのようなバカ騒ぎは起きなかったのではないでしょうか。例えテレビで大々的にキャンペーンされても。