活字離れが叫ばれて久しいが、「活字」の意味が世代により異なる。活字離れの活字とは小説や新聞などの媒体を意味していた。マンガばかり読むことへの批判だった。ヨド号ハイジャック犯が「我々は『明日のジョーである』」との発言は、「大学生がマンガを読む」との驚きを社会に印象付けた。時代はTVゲームが社会に普及すると「マンガも活字」との認識が若者の間に定着し、オジさんオバさん世代とのカルチャーギャップを見せ付けた。桜井良子氏の著書で紹介されている。
しかし、最近また活字への回帰が起きているのではないか?ライト・ノベルズと言うジャンルである。書店に行くとコミック売り場かその近くに置いてある。その量と種類(表題)の多彩さに驚く。官能小説より数量が多い。マンガ同様TVアニメやドラマの原作となっている。読んでみると意外に学術的な裏づけがしっかりとしていて面白い作品が多い。大人向けと言われる(左翼思想丸出しで)より遥かに面白い。過激なエッチシーンが無いだけだ。
対象がハイティーンとすれば大人が本を読まなくなったということだ。都会では電車の中で立ちながら本を読む大人の姿を良く見かける。しかし車が移動手段の地方では運転中に本は読めない。何人かの地方の友人に確認しても最近1年間に本を1冊も読んでない者が結構いた。
その本を読まない大人が選ぶ国会議員である。まともである確率は下がるのは当然である。ネット犯罪などの事案は判らなくて当然だ。
石原氏を批判される方、あなたはこの一月の間に如何なる本を読まれましたか?石原氏の著作物を読まれたことはありますか?昔右翼の街宣車がマルクスを批判(ケナシして)していたが、読んだことはあるのか?私も何度か挑戦したが理解できなった。ただ孟子に似ていると感じたことと労働価値主義では世の中とは整合しない。売れなければ幾ら働いても収入にはならない、それが共産主義も含めた人間の社会である。そこの整合性が理解できなかった。批判されるのは読まれてからで良いのでは?雰囲気に流されて前の大戦は負けた(戦後海軍士官たちの反省会が水交社で行われて出た多数意見)のであり、自らの情報収集や思考方法の確立のため、頭を整理するためにも少しは活字文化に回帰してはいかがですか?