「鬼滅の刃」全23巻を読んだ。
鼻水垂らしながら泣いて読んだけど、読み終わったら何も残ってない感じ…。
鬼舞辻無惨が魅力のない悪役だったよ。パワハラしかしてないし。
最後の唐突な現代話は何??
全体として面白かったけど、以下は色々不満を書いているので、褒めてる文章しか
読みたくない人は読まないでね。
「鬼滅の刃」の終盤、読者は満足してるんだろうか。
ずっと技?を出し続けてるだけで、画面は何が何やらよくわかりませんし…。
最終話後の唐突な現代話は、余韻も何もない、突然同人誌を読まされたようで困惑する。
大正?時代の価値観でやってるわけじゃないだろうけど、「自分の受け継いだものを
次の人へ引き継いでいく」というの、血縁だけじゃないはずなんだけど(継ぐ子と
いうものがあったし)、なんか産めよ増やせよみたいな空気になってて(遺伝する記憶とか、
血縁押しに…)、ううん、と思った。
序盤に炭治郎が長男長男、男だから、とか言ってたのも、ん?てなって、その後それは
なくなったけど、あとは蜜璃があんまり強くなくても(?)、蛇男(名前覚えてない)
から「(蜜璃が)明るいことに救われた」みたいに言われてたのが「女は愛嬌!」って
感じで白目だった。
柱なのにケア要員なのか?って…。
いや、いつもニコニコしてて明るい人に救われることはもちろんあるし、それで好きに
なるのも自然なんだけど。
男キャラだったら、そういう展開はなさそうだし、それで満足することもなさそうだなと思って。
たとえば炭治郎は異様に良い子だけど、いまいち弱くても、良い子だからみんな和んだ、
よかったね、ってならないよね。
鬼滅の刃が女性作者だからどうのと言われても、ちょっとピンとこない。
女性作者だから云々ていうのも、なんだか差別的発想のような…。
鬼にも様々な背景がある、というのが鬼滅の刃の新鮮なところだったのかな。
でもおおもとの悪(?)である鬼舞辻無惨には特別な背景はなかったよね。
キャスリン・ビグロー監督について、女性監督らしからぬ骨太の作品と言われて笑ったのと
同じで、作者や監督が女性だからって何かを特別に見出すのって何だかな。
男性作者・男性監督ならではの視点とは言わないし(そこでは男性が多数派だからね)。
男性監督はハリウッド大作で興行がコケても(そんな男性監督は何人もいる)、「これ
だから男性監督はダメだ」とは決して言われないけど、もしも女性監督がハリウッド
大作でコケたら絶対に「だから女性監督はダメだ」って言われるよね。
性別は関係ないはずなのに。
話がズレたけど、私がちゃんと読んでないせいかもしれないけど、「鬼滅の刃」について
女性作者ならではのなんちゃらとかいうことは特に感じてない。
何か特別なことってあったの?
(女性作者は体力的に週刊連載はきつい、というのなら分かる。吾峠呼世晴が実際に
どうだったかは知らないし、男女共に漫画の週刊連載って非人間的な無理なことだと思う)。