大分「間」が空き、すみません。
前回『「MSD」と「MSV」の設定改変と相互尊重』する記事を書いていく。・・・と告知しました。
しかし、要するに『オリジン』が映像化した事で「公式」となった場合、「MSV」に留まらず、「ファースト」「ポケ戦」「83」他、全ての設定を上塗りする部分が多い事が問題なんだなぁ・・・と改めて感じました。
だから、「オリジン」は安彦先生の漫画を映像化したもので、既存ガンダムとは関係無いとする風潮が一部あるのだと思います。
なので語呂が良いから『「MSD」と「MSV」』の記事・・・としてましたが、『「既存設定」と「オリジン設定」の設定改変と相互尊重』の記事・・・とします。
これからは、このテーマについて書く場合『「既存設定」と「オリジン設定」の設定改変と相互尊重』とし、タイトルには「(具体的記事内容)+設定尊重」としたいと思います。
また、あまり記事にしないと思いますが、「オリジン」の「設定上塗り」で、どうしても「黒歴史」として諦めなければならないような記事を書く場合、『(具体的記事内容)+黒歴史』とします。
・・・ここまでは、ブログの「事務連絡」ですが、ここからは
「何故、こんなにも『オリジン』だけが『既存設定のレイプ』だの揶揄されるのか」
について、書きたいと思います。
「何故、こんなにも『オリジン』だけが『既存設定のレイプ』だの揶揄されるのか」
この話を説明するには、過去の「ファーストガンダム関連作品」、所謂「宇宙世紀のガンダム作品」について紹介するのが早いと思います。
「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」
1989年発売の『ガンダムシリーズ』OVA作品。
出渕裕先生の「ハイゴッグ」のデザインの秀逸が高い評価を得、冒頭の「水泳部隊」の活躍の良質な作画・演出、全体的な物語性が素晴らしい作品です。
ただ、「ハイゴッグ」「ズゴックE」等は今でこそ「公式としてゴッグやズゴックとは同系譜の別機体」となってますが、当時は「デザインのリファイン」で、表現の違いはあるが、「同一機体」となってました。
ただ、「設定の編纂」で、しっかり(?)「公式設定」が付されたものです。
「機動戦士ガンダム第08MS小隊」
1996年から1999年にかけて全11話と後日談の特別編『ラスト・リゾート』が制作された『ガンダムシリーズ』OVA作品。
「グフカスタム」の活躍等は私も大好きです。
ただ、当事の「ファーストガンダム」の設定では、ジオン軍が「ガンダム」を目撃した際、初めて連邦軍のMSを目撃したような描写があり、対して「08小隊」物語冒頭で登場する「ジム」と「宇宙用高機動試作型ザク」が「普通に戦闘」している事に激しい違和感を覚えたものです。
これも、「設定の編纂」で補填されました。
亡くなられた飯田馬之介監督の「コミカライズ」でのフォロー等もありましたよね。
要するに「ファーストガンダム」以降、様々な「宇宙世紀のガンダム作品」が発表され、「設定の矛盾」を「後付設定」で補完されてきた歴史がある訳です。
しかし、「オリジン」は過去の作品の比では無い程の
『既存設定のレイプ』
とした拒絶反応が一部起こってます。
これは、何故か?
それは、単純に
『「ファーストガンダム」を新解釈で「オリジン」がなぞっている』
からに他ならない訳です。
他の作品は『「ファーストガンダム」の世界上の別の物語』ですが、オリジンは『ファーストガンダム』そのもの。
だから、新解釈されてしまった設定は全て「古い設定を黒歴史にしてしまう」訳です。
そもそも「オリジン」は「ファーストガンダムの安彦先生が、
『当事のガンダムの矛盾点を新解釈で修正・改変して、『新しい技術・フォームで全て作り直して』現代から未来へ残していく』
といった主旨も含めた作品づくりなんだと思います。
だから、こういう「黒歴史」が発生してしまうのも、当然の結果です。
対して、富野監督の
「TVシリーズのガンダム作品への映画化」
に対する姿勢は、近年になるにつれ「既存のガンダムファンへの配慮」が色濃くなっていったと思います。
「Z」なんか判りやすいですが、「当事の映像を尊重する」方針が見られました。
(個人的には、全部「最新の作画」で見たかった気もしますが。)
安彦先生、富野監督、どちらも『「ガンダム」の作り手』なんですが、
安彦先生は
「当事の設定上の矛盾点・ダメな部分を修正して、作品全体をより良い作品として残す。」
という風に感じますし、
富野監督は、
「『ガンダム』というコンテンツは、巨大になり過ぎた。
当事の制作スタッフだとしても、『個人の裁量』で作品を修正し過ぎてはダメ。
但し、『作品として残す』のであれば、「作り手」として「ここだけは修正したい」ところを直したい。」
という風に感じます。
どちらも素晴らしいお考えだと思います。
これを「既存のガンダム」を知る「受け手」側から考えると、
「最初の作品の悪い点・古くなった点を積極的に改良。作品の骨格「本当に残したい・伝えたい部分」以外、全て新しい技術で作り直す」安彦先生
「最初の作品を、作り手として修正すべき点以外は、昔のものを昔のまま残す」富野監督
となります。
現時点で映像化されている「オリジン」は、「ファーストガンダム」以前の物語。
ここまでであれば、『「ファーストガンダム」の世界上の別の物語』として、他の様々な「宇宙世紀のガンダム作品」同様、「設定の矛盾」を「後付設定」で補完できます。
(私がブログでしようとしている「設定尊重」も、カトキ先生他が解説していない「後付設定」を、自分の妄想でしてみる事です。)
しかし「オリジン・一年戦争編」が映像化なれば、「ファーストガンダム」は完全に「オリジン」で上塗りとなるか、「オリジン・一年戦争編」は「漫画版オリジンの映像化」で「ファーストガンダム」とは別物となるかの「2択」となるのでしょうね。
個人的には、「オリジン・一年戦争編」は、「ファーストガンダム」の設定・物語そのままに、「安彦先生の絵での完全リメイク」してもらうと嬉しいですね。
前回『「MSD」と「MSV」の設定改変と相互尊重』する記事を書いていく。・・・と告知しました。
しかし、要するに『オリジン』が映像化した事で「公式」となった場合、「MSV」に留まらず、「ファースト」「ポケ戦」「83」他、全ての設定を上塗りする部分が多い事が問題なんだなぁ・・・と改めて感じました。
だから、「オリジン」は安彦先生の漫画を映像化したもので、既存ガンダムとは関係無いとする風潮が一部あるのだと思います。
なので語呂が良いから『「MSD」と「MSV」』の記事・・・としてましたが、『「既存設定」と「オリジン設定」の設定改変と相互尊重』の記事・・・とします。
これからは、このテーマについて書く場合『「既存設定」と「オリジン設定」の設定改変と相互尊重』とし、タイトルには「(具体的記事内容)+設定尊重」としたいと思います。
また、あまり記事にしないと思いますが、「オリジン」の「設定上塗り」で、どうしても「黒歴史」として諦めなければならないような記事を書く場合、『(具体的記事内容)+黒歴史』とします。
・・・ここまでは、ブログの「事務連絡」ですが、ここからは
「何故、こんなにも『オリジン』だけが『既存設定のレイプ』だの揶揄されるのか」
について、書きたいと思います。
「何故、こんなにも『オリジン』だけが『既存設定のレイプ』だの揶揄されるのか」
この話を説明するには、過去の「ファーストガンダム関連作品」、所謂「宇宙世紀のガンダム作品」について紹介するのが早いと思います。
「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」
1989年発売の『ガンダムシリーズ』OVA作品。
出渕裕先生の「ハイゴッグ」のデザインの秀逸が高い評価を得、冒頭の「水泳部隊」の活躍の良質な作画・演出、全体的な物語性が素晴らしい作品です。
ただ、「ハイゴッグ」「ズゴックE」等は今でこそ「公式としてゴッグやズゴックとは同系譜の別機体」となってますが、当時は「デザインのリファイン」で、表現の違いはあるが、「同一機体」となってました。
ただ、「設定の編纂」で、しっかり(?)「公式設定」が付されたものです。
「機動戦士ガンダム第08MS小隊」
1996年から1999年にかけて全11話と後日談の特別編『ラスト・リゾート』が制作された『ガンダムシリーズ』OVA作品。
「グフカスタム」の活躍等は私も大好きです。
ただ、当事の「ファーストガンダム」の設定では、ジオン軍が「ガンダム」を目撃した際、初めて連邦軍のMSを目撃したような描写があり、対して「08小隊」物語冒頭で登場する「ジム」と「宇宙用高機動試作型ザク」が「普通に戦闘」している事に激しい違和感を覚えたものです。
これも、「設定の編纂」で補填されました。
亡くなられた飯田馬之介監督の「コミカライズ」でのフォロー等もありましたよね。
要するに「ファーストガンダム」以降、様々な「宇宙世紀のガンダム作品」が発表され、「設定の矛盾」を「後付設定」で補完されてきた歴史がある訳です。
しかし、「オリジン」は過去の作品の比では無い程の
『既存設定のレイプ』
とした拒絶反応が一部起こってます。
これは、何故か?
それは、単純に
『「ファーストガンダム」を新解釈で「オリジン」がなぞっている』
からに他ならない訳です。
他の作品は『「ファーストガンダム」の世界上の別の物語』ですが、オリジンは『ファーストガンダム』そのもの。
だから、新解釈されてしまった設定は全て「古い設定を黒歴史にしてしまう」訳です。
そもそも「オリジン」は「ファーストガンダムの安彦先生が、
『当事のガンダムの矛盾点を新解釈で修正・改変して、『新しい技術・フォームで全て作り直して』現代から未来へ残していく』
といった主旨も含めた作品づくりなんだと思います。
だから、こういう「黒歴史」が発生してしまうのも、当然の結果です。
対して、富野監督の
「TVシリーズのガンダム作品への映画化」
に対する姿勢は、近年になるにつれ「既存のガンダムファンへの配慮」が色濃くなっていったと思います。
「Z」なんか判りやすいですが、「当事の映像を尊重する」方針が見られました。
(個人的には、全部「最新の作画」で見たかった気もしますが。)
安彦先生、富野監督、どちらも『「ガンダム」の作り手』なんですが、
安彦先生は
「当事の設定上の矛盾点・ダメな部分を修正して、作品全体をより良い作品として残す。」
という風に感じますし、
富野監督は、
「『ガンダム』というコンテンツは、巨大になり過ぎた。
当事の制作スタッフだとしても、『個人の裁量』で作品を修正し過ぎてはダメ。
但し、『作品として残す』のであれば、「作り手」として「ここだけは修正したい」ところを直したい。」
という風に感じます。
どちらも素晴らしいお考えだと思います。
これを「既存のガンダム」を知る「受け手」側から考えると、
「最初の作品の悪い点・古くなった点を積極的に改良。作品の骨格「本当に残したい・伝えたい部分」以外、全て新しい技術で作り直す」安彦先生
「最初の作品を、作り手として修正すべき点以外は、昔のものを昔のまま残す」富野監督
となります。
現時点で映像化されている「オリジン」は、「ファーストガンダム」以前の物語。
ここまでであれば、『「ファーストガンダム」の世界上の別の物語』として、他の様々な「宇宙世紀のガンダム作品」同様、「設定の矛盾」を「後付設定」で補完できます。
(私がブログでしようとしている「設定尊重」も、カトキ先生他が解説していない「後付設定」を、自分の妄想でしてみる事です。)
しかし「オリジン・一年戦争編」が映像化なれば、「ファーストガンダム」は完全に「オリジン」で上塗りとなるか、「オリジン・一年戦争編」は「漫画版オリジンの映像化」で「ファーストガンダム」とは別物となるかの「2択」となるのでしょうね。
個人的には、「オリジン・一年戦争編」は、「ファーストガンダム」の設定・物語そのままに、「安彦先生の絵での完全リメイク」してもらうと嬉しいですね。