今週国会では「臓器移植法案・A案」が衆議院で通過した。
脳死になった子供の臓器も親の承諾があれば移植を認めるというもの。
移植医療の核心は「心臓移植」だ。心臓移植を可能にする状態は脳死しかない。人の命と引き換えでなければ成立しない医療技術。
特に子供の場合、いったいどれぐらいの割合で「移植しか助かる道はない」と宣告されるような重い心臓の疾患を抱える子供がいるのか知らないが、「移植という方法でなく心臓病の人の命を救う方法」の医学研究は進んでいるのだろうか。
「脳死による移植に反対」というわけではないが、医師達(外科医)の関心が移植という技術にあるような気がしてならない。
先年、「闇の子供達」という映画を見た。タイの貧しい農村の子供達が、先進国の幼児性愛者の犠牲になると共に臓器移植の道具にされていく様子が描かれていた。
持てる者が貧しい者の命を買う。「臓器移植」という技術は命を奪うという危険をはらんでいる。同時に命をつなぐのだ、生かすのだという考え方もできることも理解はするが・・・。この問題は悩ましい。
作家太宰治が今年生誕100年である。同じく100年を迎えるのは松本清張に大岡昇平。
私は毎年ささやかな個人冊子を出しているが、06年に太宰治のことを書いた。なぜ太宰をと思ったかというと、高校時代に文学のクラブで太宰を取り上げて読んだり論じたりしたことがあったのと、最近の若い作家たちにも太宰は読まれているというので、その魅力は何かと探ってみようと思ったのだ。
そして一つ言えることは、太宰の文学・文体が「語りの文学」だということ。これが、まるで自分に語りかけているような気にさせる。
太宰の文学で最も読まれているのは「人間失格」。ダメ人間の自分に寄り添ってくれる「青春の書」の趣がある。
松本清張は20代の頃よく読んだ。いわゆる本格ミステリーものより、社会派的なもの、あるいは名も無き人々の犯罪に転落していく人生を描いたものなどのほうが印象に残った。
大岡昇平も小説を少しと、あとエッセイはよく読んだ。
今読んでいるのは「レイテ戦記」で、これは太平洋戦争末期、30代後半で召集され、フィリピン戦線の死地をさまよった大岡氏が、このフィリピン戦線に関する日米の資料を駆使し、それに自身の体感を合わせた戦争の記録で、読み応えはあるが読みにくい。まだ読了していない。
個人冊子「木洩れ日」のURLはこちら。http://www.dia.janis.or.jp/~rieko/