木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

封建時代に戻って行く日本

2010年07月11日 | Weblog
参議院選挙が終わった。
昨年の総選挙の際に掲げた公約をいとも簡単に裏切った民主党が議席を減らすのは当然としても、その票の行く先が「同類」である自民党に行ってしまうというのは何とも情けない。
消費税増税、大企業法人税減税の濁流という政治の流れを見ていると、封建時代に戻っていくような気分になる。
江戸時代、官僚化した武士階級は農民から重い年貢(税金)を取り立てた。
一方、大商人の税はその利益に比して軽いものだった。世の中が安定して経済活動が活発になるにつれて、徳川幕府は大商人からも応分の税を取ろうと乗り出すが、その都度抵抗にあって失敗している。
商業経済が発達するにつれて、武士階級自体が大商人からの借金なくしてはやっていけなくなり、役人たちはその権力をふりかざして、商人達からワイロを受け取っていて、農民ばかりが馬鹿を見る世の中だった。
あまりの年貢の重さに異議を申し立てたくても訴え出ること自体が禁じられていた。
そこで決死の覚悟で、村の代表が代官所に願い出る。佐倉宗吾郎などが知られているところだ。
今の時代は、選挙で政治家を選ぶこともでき、陳情や裁判に訴えでることもできるし、デモやストライキという手段もあるのだが、いっこうにその手段を有効に使うこともしない世の中のありようだ。
法人税率を下げて、その分、外資も呼びこみ、経済活動を活発にすれば、全体の底上げもできる、これが「小泉・竹中構造改革」の路線だったが、それで利益をあげたのは、自動車や電機関係の輸出大企業ばかりで、その利益は底上げには廻らず、企業の内部留保や株主配当、そして多額の役員報酬になっただけで、08年の末にはアメリカ発の金融危機を口実に、クビをきられ、住む場所も食べるものも失った非正規の労働者が「派遣村」を頼ったのではなかったか。
「富の偏在」、ほんの一握りの者が富を総取りする世の中は誰もしあわせにしない。
格差のひどい社会は治安が悪くなる。富裕な人々は、貧しく凶悪な連中に襲われる不安をいつもかかえ、厳しい警護で身を守ろうとする。
W杯の開催された南アフリカ、大地主制が残っているフィリピン、そして、節度のない「弱肉強食型資本主義」の中毒にかかっているアメリカなどは、格差ゆえの「社会不安」を抱えた国の代表でもある。
アメリカ人は「自分の身は自分で守る」と銃の所持を正当化するが、日常生活で銃を持たなければならないというのは不幸な生活だと思う。
後ろから撃たれたり、ちょっと油断している時にいきなり撃たれたら、自分で守るといっても防ぎようがない。
お互いに銃をむけあわなくてもいい社会、憎悪を持たなくていい社会こそが安心・幸福な社会であろう。
コメント
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