浜岡原発が全機停止した。当然のことなのに、地元新聞を見ると、「やれ、電力の供給は大丈夫か」とか「地元の雇用や、原発交付金頼みの自治体財政に暗雲」みたいな、往生際の悪い見出しが目立った。
浜岡原発はその下の地層も問題だが、その上の地質も脆弱で、ここを実際に視察すると、よくもこんなところにと、ゾッとする場所らしい。
今まで福島のような大事故にならなかったのは偶然という奇跡でしかない。
中部電力の原発は浜岡のみで、中部管内の供給量の10数パーセント程度。
これを止めたからといって、すぐに供給に不具合が発生するわけではない。
「電力供給量の今後に不安」などという言い方は原発を推進してきた連中の負け惜しみの捨てゼリフみたいなものだ。
原発立地の自治体とそこの住民は、「原発交付金」をばらまかれ、しだいに「原発資金依存症」に陥って精神が荒廃していく。
マスメディアでは正面から取り上げられてこなかったが、原子力発電所はまぎれもない「迷惑施設」だ。
立地されている付近の住民は、原発で働いているうちにガンや白血病に冒されていくという事実も見てるし、海に排水される冷却水に放射性物質がかなりの濃度で含まれ、付近で取れた魚は食べない方がいいことも知っている。
しかしお金をばらまかれ、暴力団を使ってまで脅されたりすると、「もうどうでもいいや」とあきらめ気分になり、「安全だと言ってるんだから安全なんだ」と自分をだまして生きることになる。
そしてどうせなら電力会社からふんだくれるだけふんだくってやれというふうに堕落していくのだ。
本来なら農業なり、漁業なりを柱にして、つつましく勤勉に生きていく人々だったはずなのに。
1号機、2号機、3号機というふうに同じ場所に次々に新設されてきたのには、交付金が途切れるとやっていけない体質にさせられてしまった自治体と住民の存在がある。
「薬物中毒」と同じ構図だ。「こんなことをしていては身を滅ぼすことはわかっているが、とりあえず薬(金)を」というわけだ。
田中優さんという人の話をCSで聞いた。
原子力の専門家ではない市役所の職員だった人だ。
現在の電力使用量の割合は、産業用9割、家庭用1割だという。
そして大口需要者である事業用は、使えば使うほど価格が下がる仕組みになっているが、家庭用は使えば使うほど電気料金は上がっていくだけでまけてもらうことはない。
産業用も家庭用も同じ料金体系にすれば、産業界はあっという間に省エネのシステムを作るはずだという。
電力使用のピークは夏の平日午後2時前後、31度を越えた場合なので、これを避けるように産業界に要請すればいいのだ。
福島第一原発では1号機が炉心溶融を起こしていて、大量の汚染水が建屋地下にたまっていることがわかった。
終息への道はまだ見えない。むしろ遠ざかっているほどだ。
定年後の男達で「原発決死隊」を募って、福島原発の作業に当たろうじゃないかという動きを伝えるテレビ放送を見た。
その提案者は「自分達の世代が原発を作り、容認してきた。次世代にこんなものを残すわけにはいかない。自分の息子はまだ孫を作っていない。孫を作れる日本に」と言っていた。
政界・経済界・学界・メディアを牛耳っている、強欲で未来の世代のことを少しも考えない「じじい世代」は即刻退場すべきだが、元気な高齢者は、未来の世代のためにできることをする時だ。