コロナ感染拡大防止のため外出自粛が呼びかけられている今だから、過去作品をWeb公開
「チクタクレス」
2013年作品 40分
小坂本町一丁目映画祭 入賞
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監督:齋藤新
脚本:齋藤新/齋藤さやか
撮影:齋藤さやか
音楽:横内究(手裏剣エンターテインメント)
出演:神戸カナ/加藤航平/米山タカマサ/窪田歩/曽明信彦/TERU/百瀬学 / きむらまさみ
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2012年に「罪と罰と自由」があちこちで評価されてから次回作の構想を練っていた。
もともと「罪と罰と自由」よりも前に企画していた長編映画があった。キャスト候補やスタッフを集めてのキックオフミーティングも行っていたのだ。そのミーティングはたしか2011年の6月で、その翌日に松本を震度5強の地震が襲った。
それはさておき、その長編映画企画の脚本がなかなか上がらないまま、ふっと思い立った短編の「罪と罰と自由」を先に作ってしまったのだった。
罪罰のコンペ出品がひと段落して、中断していた長編を再始動させるべく、私は脚本構成の検討に入っていた。
毎週末に塩尻市の多目的交流施設「えんぱーく」に出かけてそこの図書館で、脚本を考えていた。
ただこの時期もやっとした不安というか悩みがあった。
その映画の主人公の女性にふさわしい女優が、当時の知り合いにはいなかった。
キャスティングより前にまずは書き上げなきゃとは思いながらも、さてどうしたもんか・・・と心の隅で悩んでいた。
そんな脚本検討を2ヶ月くらい続けていたある日。
いつものように「えんぱーく」を訪れた私は、「罪と罰と自由」にも出てくれた、「たけいん」というやたら元気な若い女優に呼び止められた。
「新さん!新さん!何してるんですか!!」
「いや、あのー、脚本書きに毎週来てるんだけど・・・たけいんこそ何やってんの?」
「ここでこれから芝居やるんで、そのお手伝いにきたんですよ!!」
図書室の子供向けコーナーの一角で、子供向けの芝居をやるという。演目は「白雪姫」だった。
「え!?あの白雪姫!?見たすぎる!!」と思うはずもなかったが、脚本も進みが悪かったし、気分転換でちょっと見てみようか・・・と思って、開演時間に私は子供図書コーナーにやってきた。
そこで私は白雪姫で魔女を演じている女優にくぎ付けになった。
探していた女優を見つけた!! と思った。
芝居がはねたところで私はたけいんのとこに走っていった。
「おい、たけいん!あの女優は何者だ。頼む、あの人に俺を紹介してくれ!!」・・・とすごい剣幕で頼んだのだと思う。
それが神戸カナとの出会いだった。
ちなみにこの出会いの場面を神戸カナの視点から書かれた文章が今手元にあるので、それも載せてみたい。
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私と新さんの出会いは、もう6年も前になる。塩尻市の図書館で私が魔女の役をやっていたときのこと。
終演後に「僕は貴方のような役者を探していました。僕の映画に出ませんか?」とイタリア人もビックリするくらいの運命の出会いを果たした。
これが、本当にイタリア人(男前)かアラブの石油王(男前)だったら、心臓が「トゥンク……」と高鳴り、「はい……」と目をハートにするところだが、いくら監督が男前でも石油王ではなかったので「トゥンク…はい……」となることはなく、「え……誰やねん……」と別の意味で心臓が跳ねた。
結局、近くにいた知り合いに「大丈夫だよ!怪しい人じゃないから!」と言われ、「まあ…怪しい人じゃないなら…お願いします」と出演させていただいた・・・・
(神戸カナによる「巻貝たちの歓喜」クラウドファンディングのコレクター向け撮影日誌より)
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で、結局のところ、当初考えていた長編は今になっても完成していない。
2013年のはじめのころから春にかけて、いろいろと状況が変わった。
まず15年お世話になったE社の派遣が終了になった。リーマンの余波なのか、単に事業拡大に失敗していたのか、E社の業績が下がっていく中で、派遣切りをくらってしまった。
私も仕事をどうするか、このまま松本で暮らすべきか、映画はどうする・・・と、本気で考えていたころだった。
そしてもう一つ、「罪と罰と自由」を上映してくださったダマー映画祭inヒロシマから脚本コンペの話が来た。
時計または時間をテーマにした30分以内の短編の脚本募集
審査に通った脚本には製作支援の上で、秋の映画祭で上映するという。
仕事の先行き見えない時期ではあったが、こういう時だからこそ映画を撮るべきだと妻さやかが言った。
そして考えた脚本が「チクタクレス」だった。
コンペには応募したものの審査結果は6月ごろとのことだった。そんな時期までまっていたら自分の生活がどうなっているかもわからないし、3ヶ月程度で30分の映画を制作準備含めて作れるとは思えなかった。
それでコンペの結果を待たずに制作に着手したのが2013年の4月だった。
脚本を書きながら最初から主演女優は想定していた。あの日えんぱーくで会った神戸カナに頼もうと。
彼女は不思議なくらいにあっさり引き受けてくれた
それにしても面白い女優だった。役へのアプローチが面白かった・・・
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物語は私なりの東日本震災のその後の日本人たちを投影させた
震災から2年たっていて間接的でもそこに触れていく必要を感じていた。
直接の被災者じゃなくても、震災は皆に傷を負わせ、皆は立ち直ろうと必死だった。
震災をネタにして女の子を口説こうとする男がいてもいいと思ったし、震災は悲劇以外の何物でもないが、災害によって成長することだってあるはずだと思った。
心の傷から立ち直れず未来に向けて一歩も進みだせなくなった人を止まった時計に象徴させた。
そして大地震をきっかけにして止まっていた時計が動き出し、歩みを止めていた者も、一歩を踏み出すのだ。
松本での震度5強の地震体験が脚本に投影された。ラストシーンでヒロインは自宅で地震に襲われるのだ。
前述の長編映画キックオフミーティング翌日の地震。
前夜から小さな地震や地鳴りが何度もあった。
そして、そろそろ出社しようかという朝の時間帯に地震がきた。
色んなものが倒れ、崩れた。
妻が大声で「何!何!何!何なの!」と言いながら寝室から飛び出してきたのを覚えている。
そのころ何となく買ったアヒルのおもちゃがあって、それは思いっきり降ると中に仕込まれたライトがぴかぴかと点滅する仕掛けがあった。震度5強の地震で家がぐらぐら揺れている中で、そのアヒルがぴかぴかと光っていた。災害に襲われると割とそういうどうでもいいディテールに気持ちがフォーカスされるのだと知った。劇中でも地震の中で光るアヒルを描いている。
そのシーンの稽古をした。
カナに撮影場所である我が家に来てもらい、地震が来たと思って、怖がって叫んでくれと言った。
・・・・彼女の演技は全然怖そうじゃなかった。
カナは言った。
「経験していないことは演じられない」
だからこのころのカナは宇宙生物に寄生された戦士の役とか、全銀河系を平定した皇帝の役とかはできなかったのかもしれない。
ちなみにカナは塩尻市の山奥の方に住んでおり、前述の松本地震の時もそのあたりは揺れが小さかったはずだ。
そして誰が言い出したのか、妻さやかだった気もするし、カナだった気もするが、長野市に地震体験のできる施設があって、震度7を体験できるという。地震を体験したいとカナは言った。
私と妻はカナの休みに合わせて有給をとり、松本市から長野市に遠征した。
それは長野県で運営する防災施設だった。私たちは震度7を経験した。そこまで必要だったのだろうかと今でもちょっと疑問だが、面白かったから別にいい。
その帰り道、撮影用の衣装なども買おうと長野市内をドライブしていると、近くのイベントホールで「ゆるキャラまつり」が行われると知って3人で見に行った。
そこには当時ブレイク直前だった「ふなっしー」もいた。
後日の「チクタクレス」初上映での舞台あいさつでカナは司会者から撮影の一番の思い出は何ですか? と聞かれると「本物のふなっしーに会えたこと」と言って、会場をいろんな意味でざわつかせた。
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キャストには恵まれた映画だった。
航平君は当時の松本演劇界で一番のイケメンだったし、ヨネさんはカナと同じ劇団HOMEの役者だが私は個人的にヨネさんの出る芝居はいくつか見ていて彼のファンだった。
カナと初めて会ったえんぱーくの「白雪姫」にも出演していて、その時にカナのついでみたいになってしまったが、前からすごく好きでした。ぜひ今度の映画に出てくださいと言ったのは本心であった。
カナの演じた主人公つばめの職場の同僚で同じ高校の先輩だったという設定のカスミ先輩は、きむらまさみへのあて書きだった。
「罪と罰と自由」で狂気あふれる強い役柄を演じていただいたので、今回は180度かわった愛すべきバカキャラをやってもらおうと決めていた。
「チクタクレス」を見た多くの方が「先輩最高」と言ってくれる。
素敵な役者さんたちとかなり手ごたえのある映画を撮ったが、これが松本在住で撮った最後の映画となった。
この作品の完成上映会が2013年の12月。私は2014年の1月に転職し埼玉へと引っ越した。
カナやまさみともっと映画を撮りたかったと、未練を感じながら。
でもその約4年後、私は初の長編映画「巻貝たちの歓喜」を撮り、松本ロケの多いその作品で、カナとまさみにはまた主要な役を演じていただくことになる。
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もう一人、この作品で私の映画における重要人物と初のコラボがかなった。
音楽担当の横内究さんだ。
横内さんは松本在住のインディーズ映画作家であり、作曲家である。
横内さんは松本商店街映画祭に3回入選し、準グランプリ1回、審査員賞1回をとっていて、松本ではかなり実力ある映画作家だ。
私は横内さんのことを勝手に公式ライバルなどと呼んでいた。
横内さんの作品はもちろん作品自体も面白いのだけど、劇伴音楽がとても素敵だった。横内さん自身が作曲演奏したものだ。
映画音楽の話をすると、ジェリー・ゴールドスミスとかアラン・シルベストリといったハリウッド映画音楽の巨匠たちの名前がすらすら出てきて、音楽の趣味もあった。
それでこの作品では音楽担当としてオファーした。
劇伴音楽のみならず、合コンシーンの店内BGMも60年代アメリカンポップス調の・・・という要求にきちんと応えてくれた。
終盤、主人公がいろんなものを吹っ切ろうとして走り出す場面の美しいピアノの旋律は、打ち込みではなく、直に弾いて主人公の歩調に合わせてテンポをかえていったのだという。
エンドロールは7~8回ダメだしさせてもらった。でもおかげで「つばめのテーマ」とも言うべき可愛らしく味わい深い曲になった。
こんなに音楽制作を作曲家とともに悩み迷いながら作り上げていったことは初めてだった。作曲家に丸投げするような音楽作りでなく、横内さんとは二人で劇伴を作り上げていく楽しさがあった。
以来私の監督作品ではいつも音楽を担当してもらい、音楽製作は楽しみの1つになった
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さらにもう一つ
この映画はDP(Director of Photography 撮影監督)齋藤さやかのデビュー作となった。
それまでの作品でも主にサブカメラは担当していたが、この映画ではほぼ全ショットを撮った。
私はほぼカメラを持たず、演出に徹した。この分業は非常にうまくいき、以降の作品もその体制で制作するようになった。
渡辺シン監督などは、「さやかさんのカメラの方が全然いいですよ」と評している。
「チクタクレス」
2013年作品 40分
小坂本町一丁目映画祭 入賞
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監督:齋藤新
脚本:齋藤新/齋藤さやか
撮影:齋藤さやか
音楽:横内究(手裏剣エンターテインメント)
出演:神戸カナ/加藤航平/米山タカマサ/窪田歩/曽明信彦/TERU/百瀬学 / きむらまさみ
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2012年に「罪と罰と自由」があちこちで評価されてから次回作の構想を練っていた。
もともと「罪と罰と自由」よりも前に企画していた長編映画があった。キャスト候補やスタッフを集めてのキックオフミーティングも行っていたのだ。そのミーティングはたしか2011年の6月で、その翌日に松本を震度5強の地震が襲った。
それはさておき、その長編映画企画の脚本がなかなか上がらないまま、ふっと思い立った短編の「罪と罰と自由」を先に作ってしまったのだった。
罪罰のコンペ出品がひと段落して、中断していた長編を再始動させるべく、私は脚本構成の検討に入っていた。
毎週末に塩尻市の多目的交流施設「えんぱーく」に出かけてそこの図書館で、脚本を考えていた。
ただこの時期もやっとした不安というか悩みがあった。
その映画の主人公の女性にふさわしい女優が、当時の知り合いにはいなかった。
キャスティングより前にまずは書き上げなきゃとは思いながらも、さてどうしたもんか・・・と心の隅で悩んでいた。
そんな脚本検討を2ヶ月くらい続けていたある日。
いつものように「えんぱーく」を訪れた私は、「罪と罰と自由」にも出てくれた、「たけいん」というやたら元気な若い女優に呼び止められた。
「新さん!新さん!何してるんですか!!」
「いや、あのー、脚本書きに毎週来てるんだけど・・・たけいんこそ何やってんの?」
「ここでこれから芝居やるんで、そのお手伝いにきたんですよ!!」
図書室の子供向けコーナーの一角で、子供向けの芝居をやるという。演目は「白雪姫」だった。
「え!?あの白雪姫!?見たすぎる!!」と思うはずもなかったが、脚本も進みが悪かったし、気分転換でちょっと見てみようか・・・と思って、開演時間に私は子供図書コーナーにやってきた。
そこで私は白雪姫で魔女を演じている女優にくぎ付けになった。
探していた女優を見つけた!! と思った。
芝居がはねたところで私はたけいんのとこに走っていった。
「おい、たけいん!あの女優は何者だ。頼む、あの人に俺を紹介してくれ!!」・・・とすごい剣幕で頼んだのだと思う。
それが神戸カナとの出会いだった。
ちなみにこの出会いの場面を神戸カナの視点から書かれた文章が今手元にあるので、それも載せてみたい。
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私と新さんの出会いは、もう6年も前になる。塩尻市の図書館で私が魔女の役をやっていたときのこと。
終演後に「僕は貴方のような役者を探していました。僕の映画に出ませんか?」とイタリア人もビックリするくらいの運命の出会いを果たした。
これが、本当にイタリア人(男前)かアラブの石油王(男前)だったら、心臓が「トゥンク……」と高鳴り、「はい……」と目をハートにするところだが、いくら監督が男前でも石油王ではなかったので「トゥンク…はい……」となることはなく、「え……誰やねん……」と別の意味で心臓が跳ねた。
結局、近くにいた知り合いに「大丈夫だよ!怪しい人じゃないから!」と言われ、「まあ…怪しい人じゃないなら…お願いします」と出演させていただいた・・・・
(神戸カナによる「巻貝たちの歓喜」クラウドファンディングのコレクター向け撮影日誌より)
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で、結局のところ、当初考えていた長編は今になっても完成していない。
2013年のはじめのころから春にかけて、いろいろと状況が変わった。
まず15年お世話になったE社の派遣が終了になった。リーマンの余波なのか、単に事業拡大に失敗していたのか、E社の業績が下がっていく中で、派遣切りをくらってしまった。
私も仕事をどうするか、このまま松本で暮らすべきか、映画はどうする・・・と、本気で考えていたころだった。
そしてもう一つ、「罪と罰と自由」を上映してくださったダマー映画祭inヒロシマから脚本コンペの話が来た。
時計または時間をテーマにした30分以内の短編の脚本募集
審査に通った脚本には製作支援の上で、秋の映画祭で上映するという。
仕事の先行き見えない時期ではあったが、こういう時だからこそ映画を撮るべきだと妻さやかが言った。
そして考えた脚本が「チクタクレス」だった。
コンペには応募したものの審査結果は6月ごろとのことだった。そんな時期までまっていたら自分の生活がどうなっているかもわからないし、3ヶ月程度で30分の映画を制作準備含めて作れるとは思えなかった。
それでコンペの結果を待たずに制作に着手したのが2013年の4月だった。
脚本を書きながら最初から主演女優は想定していた。あの日えんぱーくで会った神戸カナに頼もうと。
彼女は不思議なくらいにあっさり引き受けてくれた
それにしても面白い女優だった。役へのアプローチが面白かった・・・
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物語は私なりの東日本震災のその後の日本人たちを投影させた
震災から2年たっていて間接的でもそこに触れていく必要を感じていた。
直接の被災者じゃなくても、震災は皆に傷を負わせ、皆は立ち直ろうと必死だった。
震災をネタにして女の子を口説こうとする男がいてもいいと思ったし、震災は悲劇以外の何物でもないが、災害によって成長することだってあるはずだと思った。
心の傷から立ち直れず未来に向けて一歩も進みだせなくなった人を止まった時計に象徴させた。
そして大地震をきっかけにして止まっていた時計が動き出し、歩みを止めていた者も、一歩を踏み出すのだ。
松本での震度5強の地震体験が脚本に投影された。ラストシーンでヒロインは自宅で地震に襲われるのだ。
前述の長編映画キックオフミーティング翌日の地震。
前夜から小さな地震や地鳴りが何度もあった。
そして、そろそろ出社しようかという朝の時間帯に地震がきた。
色んなものが倒れ、崩れた。
妻が大声で「何!何!何!何なの!」と言いながら寝室から飛び出してきたのを覚えている。
そのころ何となく買ったアヒルのおもちゃがあって、それは思いっきり降ると中に仕込まれたライトがぴかぴかと点滅する仕掛けがあった。震度5強の地震で家がぐらぐら揺れている中で、そのアヒルがぴかぴかと光っていた。災害に襲われると割とそういうどうでもいいディテールに気持ちがフォーカスされるのだと知った。劇中でも地震の中で光るアヒルを描いている。
そのシーンの稽古をした。
カナに撮影場所である我が家に来てもらい、地震が来たと思って、怖がって叫んでくれと言った。
・・・・彼女の演技は全然怖そうじゃなかった。
カナは言った。
「経験していないことは演じられない」
だからこのころのカナは宇宙生物に寄生された戦士の役とか、全銀河系を平定した皇帝の役とかはできなかったのかもしれない。
ちなみにカナは塩尻市の山奥の方に住んでおり、前述の松本地震の時もそのあたりは揺れが小さかったはずだ。
そして誰が言い出したのか、妻さやかだった気もするし、カナだった気もするが、長野市に地震体験のできる施設があって、震度7を体験できるという。地震を体験したいとカナは言った。
私と妻はカナの休みに合わせて有給をとり、松本市から長野市に遠征した。
それは長野県で運営する防災施設だった。私たちは震度7を経験した。そこまで必要だったのだろうかと今でもちょっと疑問だが、面白かったから別にいい。
その帰り道、撮影用の衣装なども買おうと長野市内をドライブしていると、近くのイベントホールで「ゆるキャラまつり」が行われると知って3人で見に行った。
そこには当時ブレイク直前だった「ふなっしー」もいた。
後日の「チクタクレス」初上映での舞台あいさつでカナは司会者から撮影の一番の思い出は何ですか? と聞かれると「本物のふなっしーに会えたこと」と言って、会場をいろんな意味でざわつかせた。
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キャストには恵まれた映画だった。
航平君は当時の松本演劇界で一番のイケメンだったし、ヨネさんはカナと同じ劇団HOMEの役者だが私は個人的にヨネさんの出る芝居はいくつか見ていて彼のファンだった。
カナと初めて会ったえんぱーくの「白雪姫」にも出演していて、その時にカナのついでみたいになってしまったが、前からすごく好きでした。ぜひ今度の映画に出てくださいと言ったのは本心であった。
カナの演じた主人公つばめの職場の同僚で同じ高校の先輩だったという設定のカスミ先輩は、きむらまさみへのあて書きだった。
「罪と罰と自由」で狂気あふれる強い役柄を演じていただいたので、今回は180度かわった愛すべきバカキャラをやってもらおうと決めていた。
「チクタクレス」を見た多くの方が「先輩最高」と言ってくれる。
素敵な役者さんたちとかなり手ごたえのある映画を撮ったが、これが松本在住で撮った最後の映画となった。
この作品の完成上映会が2013年の12月。私は2014年の1月に転職し埼玉へと引っ越した。
カナやまさみともっと映画を撮りたかったと、未練を感じながら。
でもその約4年後、私は初の長編映画「巻貝たちの歓喜」を撮り、松本ロケの多いその作品で、カナとまさみにはまた主要な役を演じていただくことになる。
----------
もう一人、この作品で私の映画における重要人物と初のコラボがかなった。
音楽担当の横内究さんだ。
横内さんは松本在住のインディーズ映画作家であり、作曲家である。
横内さんは松本商店街映画祭に3回入選し、準グランプリ1回、審査員賞1回をとっていて、松本ではかなり実力ある映画作家だ。
私は横内さんのことを勝手に公式ライバルなどと呼んでいた。
横内さんの作品はもちろん作品自体も面白いのだけど、劇伴音楽がとても素敵だった。横内さん自身が作曲演奏したものだ。
映画音楽の話をすると、ジェリー・ゴールドスミスとかアラン・シルベストリといったハリウッド映画音楽の巨匠たちの名前がすらすら出てきて、音楽の趣味もあった。
それでこの作品では音楽担当としてオファーした。
劇伴音楽のみならず、合コンシーンの店内BGMも60年代アメリカンポップス調の・・・という要求にきちんと応えてくれた。
終盤、主人公がいろんなものを吹っ切ろうとして走り出す場面の美しいピアノの旋律は、打ち込みではなく、直に弾いて主人公の歩調に合わせてテンポをかえていったのだという。
エンドロールは7~8回ダメだしさせてもらった。でもおかげで「つばめのテーマ」とも言うべき可愛らしく味わい深い曲になった。
こんなに音楽制作を作曲家とともに悩み迷いながら作り上げていったことは初めてだった。作曲家に丸投げするような音楽作りでなく、横内さんとは二人で劇伴を作り上げていく楽しさがあった。
以来私の監督作品ではいつも音楽を担当してもらい、音楽製作は楽しみの1つになった
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さらにもう一つ
この映画はDP(Director of Photography 撮影監督)齋藤さやかのデビュー作となった。
それまでの作品でも主にサブカメラは担当していたが、この映画ではほぼ全ショットを撮った。
私はほぼカメラを持たず、演出に徹した。この分業は非常にうまくいき、以降の作品もその体制で制作するようになった。
渡辺シン監督などは、「さやかさんのカメラの方が全然いいですよ」と評している。
カメラをあまり動かさない構図重視の撮影、抑え気味のトーンなど、すでにスタイルができている。
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この映画は、小坂本町一丁目映画祭に入賞した。(賞とかを選ばない映画祭なのだが、もらった記念写真入り表彰状に「入賞」と記されていたので、入賞と呼ぶことにしている)
残念ながらコンペ形式の映画祭での入選以上は小坂本町だけだったが、作品を個人的に評価してくださった人は多く、商店街映画祭、富山短編映画祭、アプラたかいし映画祭、Cradle of Image・・・など結構あちこちで招待上映していただいた。
また小坂本町では映画「ラストムービー」で同じく入賞していた古本恭一監督と4年ぶりに再会した。
古本さんは「チクタクレス」を観て神戸カナのことを気に入り、私を通じて出演オファーをしてきた。
カナは古本さんの次作「松本商店街物語」に出演した。古本組の役者たちの中に違和感なく溶け込んでいたのはさすがだった。
さらに小坂本町で古本さんと交わした口約束がきっかけで、古本さんとの長編映画2作品でのコラボにつながるのである。
チクタクレスを思い返すと、映画を作るために、外に出て歩き回ることで様々な縁が生まれたことを思い出す
外に出ることで素晴らしい映画は生まれるのだ。
…と外に出ないことを推奨されている今、しみじみと思う。外に出れる日まで、今は家でできることを頑張ろう。
(文責 : 齋藤新 (監督))
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この映画は、小坂本町一丁目映画祭に入賞した。(賞とかを選ばない映画祭なのだが、もらった記念写真入り表彰状に「入賞」と記されていたので、入賞と呼ぶことにしている)
残念ながらコンペ形式の映画祭での入選以上は小坂本町だけだったが、作品を個人的に評価してくださった人は多く、商店街映画祭、富山短編映画祭、アプラたかいし映画祭、Cradle of Image・・・など結構あちこちで招待上映していただいた。
また小坂本町では映画「ラストムービー」で同じく入賞していた古本恭一監督と4年ぶりに再会した。
古本さんは「チクタクレス」を観て神戸カナのことを気に入り、私を通じて出演オファーをしてきた。
カナは古本さんの次作「松本商店街物語」に出演した。古本組の役者たちの中に違和感なく溶け込んでいたのはさすがだった。
さらに小坂本町で古本さんと交わした口約束がきっかけで、古本さんとの長編映画2作品でのコラボにつながるのである。
チクタクレスを思い返すと、映画を作るために、外に出て歩き回ることで様々な縁が生まれたことを思い出す
外に出ることで素晴らしい映画は生まれるのだ。
…と外に出ないことを推奨されている今、しみじみと思う。外に出れる日まで、今は家でできることを頑張ろう。
(文責 : 齋藤新 (監督))