85点(100点満点)
2014年10月20日、新宿武蔵野館にて鑑賞
[ネタバレ注意]
私の原点といってもいい映画ジャンルが二つある。一つは幼稚園のころから今も変わらず好きな「怪獣」でもう一つは「スパイ」だ。
大学で短編映画撮りまくっていたころ、なんだか知らんけどやたらスパイものを撮っていたので、なんか自分にとっての映画制作の原風景みたいに感じる。
スパイ映画といっても色々あって敵国のスパイをやっつける話もあれば、敵国にスパイとして潜入する話もあって、「007」に代表される娯楽映画もあれば、政治的な映画もあってどれも好きなんだけど、私はスパイ文学の巨匠ジョン・ル・カレ原作の映画は特に好きだ。
娯楽でも政治でもなく、国家をめぐる人間の暗部を描いた渋いドラマで大好きである。
『寒い国から帰ったスパイ』『リトル・ドラマー・ガール』『ロシア・ハウス』『裏切りのサーカス』
いずれも傑作なので未見の方はぜひ。
それはさておき、『誰よりも狙われた男』もル・カレ原作の渋いスパイ映画。
主人公はドイツの諜報機関の男バッハマン。演じるはニヤけたデブ役なら世界で一番ハマるフィリップ・シーモア・ホフマン。彼の狙いはドイツ国内の中東系の富豪で有識者な男。人道家としても通っているこの人物がイスラム過激派に資金供与をしていると睨んでいるのだが、そいつの悪事を暴いて逮捕しろ暗殺しろという単純な物語ではない。
バッハマンはそいつの弱みを握ってこちらの味方に付けようとしているのだ。
この基本設定がすでに渋い。
その時ドイツ国内にロシアから不法入国した青年。彼はロシア人といってもチェチェン出身のイスラム教徒でロシアも西側も過激派としてマークしているのだが、彼は政府機関が伝えるようなただの悪いテロリストではなく、複雑な事情がある。
ロシア軍人の父を激しく憎む彼は父の遺産を人道支援に全額寄付しようと父の秘密口座があるドイツにやってきたのだ。
そこでバッハマンは彼を利用してターゲットである富豪に罠を仕掛けようとするのだ。
ル・カレの文学に善人も悪人もない。バッハマンが罠にかけるのは、西側の政府発表的に言えば「過激派テロリスト」や「不法入国者」「左翼の弁護士」「イスラム過激派のシンパ」であり、バッハマンは相当エゲツないやり方で彼らを罠にかけ、脅し、強請り、言うことをきかせる。
そのやり口、フィリップ・シーモア・ホフマンの例のムカつく演技と合わせて、国家が介在すると正義なんてものは無くなるということが強く打ち出される。
そのフィリップ・シーモア・ホフマンがまた国内や国外の同業者つまりドイツの別組織の諜報機関や英米の情報部から嫌われているという設定もよい。
もちろん嫌われるのは彼が仕事がよくでき頭が切れるからであって、そのくせ仕事の進め方や口のきき方が悪いため仲間内から嫌われるのだ。もちろん仕事ができるから慕う者もいる。
どこの職場にもいるよね、こういう人って思うと、サラリーマン社会への皮肉のようにもとれるから面白い。
どんなにデキる奴が正論で勝負しても、嫌われている以上は成果が出せない。だから嫌うもの同士を結びつける政治力が必要になり、そういうことに長けた奴が出世していく。
バッハマンはどこの世界にもいるデキる嫌われ者をスパイの世界で再現した男だ。
デキる嫌われ者とまでいかなくても、「俺の方が絶対正しいのになぜ伝わらない」「なぜあんなバカな進め方をするんだ?」とか思った経験は多くの人にあるだろう。飲み会での仕事の愚痴、同僚への悪口ってそういうものだ。
だからバッハマンは誰もが心の中に抱えるイヤな自分なのだ。
彼がムカつく顔をしても、卑怯なやり方で「敵」を罠にかけても、観客はむしろ諜報機関内での彼の評価や対立を知っているから、そこに自分を重ねてしまい、バッハマンというキャラを完全には憎むことができない。
ここから完全ネタバレだが…
そんなバッハマンがいよいよ作戦の最終仕上げって段階になって、味方の裏切りで彼の作戦は完全失敗。彼と対立するチームにしてみれば完勝となるラスト。
主人公に対して酷いくらいの突き放し。これは同時に観客としても、なんかいい人っぽかったCIAの女の冷酷なバッハマンへの裏切りなど含めてものすごくやるせないどんぞこ気分に突き落とす。
負けた。完全に負けた。やり方はともかく絶対に「国家の利益」としてより高い成果を出せたはずの彼の作戦は、情報機関内のせこい裏取引のため潰された。
そこには希望も理想もない、美しい国家もない。
汚い人間たちの汚い取り引きがあるだけだ。
こんなに悔しい思いをしたラストは何年かぶりだった。あのラストで感じた頭真っ白感とそこに向かうための物語のミスリーディングのうまさを、スパイ映画好きじゃない人にもぜひ味わってほしいのだが、それをいうとネタバレになってしまい、イマイチ興味をそそらせないオススメの仕方しかできないのがもどかしい作品。
自分の中ではまた1本生まれた「傑作スパイ映画」に認定する。
ただし、ラストの作戦については、もう少しサスペンス演出を巧くするともっと楽しめたはず。
バッハマンが具体的にどのような段取りでターゲットを捉えようとするのか、観客に伝えていないので、ラストの展開が想定外のことが起こっているのか予定通りに事が進んでいるのか把握に時間がかかる。何が起こっているのかよくわからず、せっかくのクライマックスをボンヤリ見てしまった。それでもラストの負けっぷりの見事さは揺るぐことはないのだが。
苦言はそれくらい。
フィリップ・シーモア・ホフマンの見事な演技はスタンディングオベーションで拍手したい。つくづく亡くなってしまったことが残念だ。あと5年もあればダスティンより有名なホフマンになったかもしれない。
-----
[追記]
なんとなく思いつくままスパイ映画の傑作と思うものを列挙
それスパイ映画の括りでいいのって作品も多数含んでますが…
「寒い国から帰ったスパイ」(マーティン・リット)
「北北西に進路をとれ」(アルフレッド・ヒッチコック)
「三十九夜」(アルフレッド・ヒッチコック)
「リトル・ドラマー・ガール」(ジョージ・ロイ・ヒル)
「ファイヤーフォックス」(クリント・イーストウッド)
「第四の核」(ジョン・マッケンジー)
「ロシア・ハウス」(フレッド・スケピシ)
「スパイ・ゲーム」(トニー・スコット)
「グッド・シェパード」(ロバート・デ・ニーロ)
「ブラック・ブック」(ポール・バーホーベン)
「ラスト、コーション」(アン・リー)
「ナイト&デイ」(ジェームズ・マンゴールド)
「裏切りのサーカス」(トーマス・アルフレッドソン)
「007は二度死ぬ」(ルイス・ギルバート)
「女王陛下の007」(ピーター・ハント)
「007 私を愛したスパイ(ルイス・ギルバート)
「007 オクトパシー」(ジョン・グレン)
「007 消されたライセンス」(ジョン・グレン)
『誰よりも狙われた男』
監督:アントン・コービン
脚本:アンドリュー・ボーベル
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、レイチェル・マクアダムズ、ウィレム・デフォー
---以下、鑑賞直後のTwitterフラッシュ映評---
@shinpen: ややネタバレ感想「誰よりも狙われた男」
中学から大学くらいのころ、主人公が最後に負ける映画が大好きだった。
その思いをいつしか忘れて主人公が勝つ映画が好きになっていた。
「誰よりも狙われた男」観て、負け好きの俺のOSが再起動したのを感じた。見事な負けっぷりだよフィリップSホフマン
@shinpen: ネタバレ感想「誰よりも狙われた男」
素晴らしいラストであることは間違いないが、それでもあえて苦言を呈するなら、フィリップ・シーモア・ホフマンがあの男を逮捕する作戦を事前にじっくり語っておいた方がサプライズ効果はもっと高まったのではないかと思う。
@shinpen: 「誰よりも狙われた男」故フィリップ・シーモア・ホフマン…
「ザ・マスター」といい今作といい、こんな完璧な役者がいるだろうか?
生きていれば5年後にはダスティンの方がフィリップシーモアじゃない方のホフマンになっていたかもしれない
@shinpen: 「誰よりも狙われた男」
しかしまあ、能力はあるが嫌われている奴は嫌われているが故に成果は出せないっていう当たり前っちゃ当たり前な物語ですな。
逆に目先の成果出せるだけで能力ない奴の方が評価されるという物語でもある。
変にプライド持ってしまった40代くらいの「プロ」に見て欲しい映画
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自主映画制作団体 ALIQOUI FILM
最新作「チクタクレス」
小坂本町一丁目映画祭Vol.12 入選
日本芸術センター映像グランプリ ノミネート
2014年10月20日、新宿武蔵野館にて鑑賞
[ネタバレ注意]
私の原点といってもいい映画ジャンルが二つある。一つは幼稚園のころから今も変わらず好きな「怪獣」でもう一つは「スパイ」だ。
大学で短編映画撮りまくっていたころ、なんだか知らんけどやたらスパイものを撮っていたので、なんか自分にとっての映画制作の原風景みたいに感じる。
スパイ映画といっても色々あって敵国のスパイをやっつける話もあれば、敵国にスパイとして潜入する話もあって、「007」に代表される娯楽映画もあれば、政治的な映画もあってどれも好きなんだけど、私はスパイ文学の巨匠ジョン・ル・カレ原作の映画は特に好きだ。
娯楽でも政治でもなく、国家をめぐる人間の暗部を描いた渋いドラマで大好きである。
『寒い国から帰ったスパイ』『リトル・ドラマー・ガール』『ロシア・ハウス』『裏切りのサーカス』
いずれも傑作なので未見の方はぜひ。
それはさておき、『誰よりも狙われた男』もル・カレ原作の渋いスパイ映画。
主人公はドイツの諜報機関の男バッハマン。演じるはニヤけたデブ役なら世界で一番ハマるフィリップ・シーモア・ホフマン。彼の狙いはドイツ国内の中東系の富豪で有識者な男。人道家としても通っているこの人物がイスラム過激派に資金供与をしていると睨んでいるのだが、そいつの悪事を暴いて逮捕しろ暗殺しろという単純な物語ではない。
バッハマンはそいつの弱みを握ってこちらの味方に付けようとしているのだ。
この基本設定がすでに渋い。
その時ドイツ国内にロシアから不法入国した青年。彼はロシア人といってもチェチェン出身のイスラム教徒でロシアも西側も過激派としてマークしているのだが、彼は政府機関が伝えるようなただの悪いテロリストではなく、複雑な事情がある。
ロシア軍人の父を激しく憎む彼は父の遺産を人道支援に全額寄付しようと父の秘密口座があるドイツにやってきたのだ。
そこでバッハマンは彼を利用してターゲットである富豪に罠を仕掛けようとするのだ。
ル・カレの文学に善人も悪人もない。バッハマンが罠にかけるのは、西側の政府発表的に言えば「過激派テロリスト」や「不法入国者」「左翼の弁護士」「イスラム過激派のシンパ」であり、バッハマンは相当エゲツないやり方で彼らを罠にかけ、脅し、強請り、言うことをきかせる。
そのやり口、フィリップ・シーモア・ホフマンの例のムカつく演技と合わせて、国家が介在すると正義なんてものは無くなるということが強く打ち出される。
そのフィリップ・シーモア・ホフマンがまた国内や国外の同業者つまりドイツの別組織の諜報機関や英米の情報部から嫌われているという設定もよい。
もちろん嫌われるのは彼が仕事がよくでき頭が切れるからであって、そのくせ仕事の進め方や口のきき方が悪いため仲間内から嫌われるのだ。もちろん仕事ができるから慕う者もいる。
どこの職場にもいるよね、こういう人って思うと、サラリーマン社会への皮肉のようにもとれるから面白い。
どんなにデキる奴が正論で勝負しても、嫌われている以上は成果が出せない。だから嫌うもの同士を結びつける政治力が必要になり、そういうことに長けた奴が出世していく。
バッハマンはどこの世界にもいるデキる嫌われ者をスパイの世界で再現した男だ。
デキる嫌われ者とまでいかなくても、「俺の方が絶対正しいのになぜ伝わらない」「なぜあんなバカな進め方をするんだ?」とか思った経験は多くの人にあるだろう。飲み会での仕事の愚痴、同僚への悪口ってそういうものだ。
だからバッハマンは誰もが心の中に抱えるイヤな自分なのだ。
彼がムカつく顔をしても、卑怯なやり方で「敵」を罠にかけても、観客はむしろ諜報機関内での彼の評価や対立を知っているから、そこに自分を重ねてしまい、バッハマンというキャラを完全には憎むことができない。
ここから完全ネタバレだが…
そんなバッハマンがいよいよ作戦の最終仕上げって段階になって、味方の裏切りで彼の作戦は完全失敗。彼と対立するチームにしてみれば完勝となるラスト。
主人公に対して酷いくらいの突き放し。これは同時に観客としても、なんかいい人っぽかったCIAの女の冷酷なバッハマンへの裏切りなど含めてものすごくやるせないどんぞこ気分に突き落とす。
負けた。完全に負けた。やり方はともかく絶対に「国家の利益」としてより高い成果を出せたはずの彼の作戦は、情報機関内のせこい裏取引のため潰された。
そこには希望も理想もない、美しい国家もない。
汚い人間たちの汚い取り引きがあるだけだ。
こんなに悔しい思いをしたラストは何年かぶりだった。あのラストで感じた頭真っ白感とそこに向かうための物語のミスリーディングのうまさを、スパイ映画好きじゃない人にもぜひ味わってほしいのだが、それをいうとネタバレになってしまい、イマイチ興味をそそらせないオススメの仕方しかできないのがもどかしい作品。
自分の中ではまた1本生まれた「傑作スパイ映画」に認定する。
ただし、ラストの作戦については、もう少しサスペンス演出を巧くするともっと楽しめたはず。
バッハマンが具体的にどのような段取りでターゲットを捉えようとするのか、観客に伝えていないので、ラストの展開が想定外のことが起こっているのか予定通りに事が進んでいるのか把握に時間がかかる。何が起こっているのかよくわからず、せっかくのクライマックスをボンヤリ見てしまった。それでもラストの負けっぷりの見事さは揺るぐことはないのだが。
苦言はそれくらい。
フィリップ・シーモア・ホフマンの見事な演技はスタンディングオベーションで拍手したい。つくづく亡くなってしまったことが残念だ。あと5年もあればダスティンより有名なホフマンになったかもしれない。
-----
[追記]
なんとなく思いつくままスパイ映画の傑作と思うものを列挙
それスパイ映画の括りでいいのって作品も多数含んでますが…
「寒い国から帰ったスパイ」(マーティン・リット)
「北北西に進路をとれ」(アルフレッド・ヒッチコック)
「三十九夜」(アルフレッド・ヒッチコック)
「リトル・ドラマー・ガール」(ジョージ・ロイ・ヒル)
「ファイヤーフォックス」(クリント・イーストウッド)
「第四の核」(ジョン・マッケンジー)
「ロシア・ハウス」(フレッド・スケピシ)
「スパイ・ゲーム」(トニー・スコット)
「グッド・シェパード」(ロバート・デ・ニーロ)
「ブラック・ブック」(ポール・バーホーベン)
「ラスト、コーション」(アン・リー)
「ナイト&デイ」(ジェームズ・マンゴールド)
「裏切りのサーカス」(トーマス・アルフレッドソン)
「007は二度死ぬ」(ルイス・ギルバート)
「女王陛下の007」(ピーター・ハント)
「007 私を愛したスパイ(ルイス・ギルバート)
「007 オクトパシー」(ジョン・グレン)
「007 消されたライセンス」(ジョン・グレン)
『誰よりも狙われた男』
監督:アントン・コービン
脚本:アンドリュー・ボーベル
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、レイチェル・マクアダムズ、ウィレム・デフォー
---以下、鑑賞直後のTwitterフラッシュ映評---
@shinpen: ややネタバレ感想「誰よりも狙われた男」
中学から大学くらいのころ、主人公が最後に負ける映画が大好きだった。
その思いをいつしか忘れて主人公が勝つ映画が好きになっていた。
「誰よりも狙われた男」観て、負け好きの俺のOSが再起動したのを感じた。見事な負けっぷりだよフィリップSホフマン
@shinpen: ネタバレ感想「誰よりも狙われた男」
素晴らしいラストであることは間違いないが、それでもあえて苦言を呈するなら、フィリップ・シーモア・ホフマンがあの男を逮捕する作戦を事前にじっくり語っておいた方がサプライズ効果はもっと高まったのではないかと思う。
@shinpen: 「誰よりも狙われた男」故フィリップ・シーモア・ホフマン…
「ザ・マスター」といい今作といい、こんな完璧な役者がいるだろうか?
生きていれば5年後にはダスティンの方がフィリップシーモアじゃない方のホフマンになっていたかもしれない
@shinpen: 「誰よりも狙われた男」
しかしまあ、能力はあるが嫌われている奴は嫌われているが故に成果は出せないっていう当たり前っちゃ当たり前な物語ですな。
逆に目先の成果出せるだけで能力ない奴の方が評価されるという物語でもある。
変にプライド持ってしまった40代くらいの「プロ」に見て欲しい映画
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自主映画制作団体 ALIQOUI FILM
最新作「チクタクレス」
小坂本町一丁目映画祭Vol.12 入選
日本芸術センター映像グランプリ ノミネート