以下は自由主義陣営の亀裂を目論む勢力が、ほくそ笑んでいることだろう。の続きである。
文中強調は私。
2度の論争を経て
その後、92年5月1日発売の『正論』6月号に、歴史的論文が掲載された。
秦郁彦氏が、吉田清治が「慰安婦狩り」を行ったと証言していた韓国済州島での調査結果を発表したのだ(「従軍慰安婦たちの春秋」、本増刊号P139)。
その内容は4月30日付の産経新聞でも紹介された。
そして河野談話が出された93年にかけて、『正論』『文藝春秋』『諸君!』(休刊)が、朝日新聞など「慰安婦強制連行・日本糾弾」派の主張は事実と違うという議論を積極的に発信し、専門家レベルでは日本糾弾派も吉田清治の証言は使えなくなっていた。
一方で、テレビなどでは依然として吉田の証言映像が無批判に流されていた。
慰安婦問題の調査を行っていたが日本政府は、募集に「強制」があったことを認めるよう韓国から要求されていた。
ところが、当時の資料をどれだけ調べても強制連行したという事実は兒つからず、困った挙げ句に、「本人の意思に反していれば『強制』だ」という論理を開発して、93年8月4日に河野談話を発表した。
さらに河野洋平官房長官は会見で、談話では認めていなかった強制連行について、「そういう事実があったと。結構です」と発言した。
慰安婦の強制連行があったことを日本政府が認めて謝ったとの誤解を生むのも当然だった。
つまり、専門家同士の論争では強制連行否定派が勝っていたのに、広報戦・世論戦・外交戦に負けたために、人類史上に残るほどの大罪を日本軍が犯したかのような印象がその後さらに拡大してしまったのだ。
日韓関係では、「強制を認めればお金は要らない」と言っていた金泳三政権の要求に屈して河野談話を出したことで外交的に決着し、韓国政府が元慰安婦の女性たちの生活補助にも乗り出して問題はすべて落着したかのように思えた。
ところが、村山政権がアジア女性基金をつくり、元慰安婦一人一人に「償い金」と日本国総理大臣の謝罪の手紙を渡すという方針を決めたことが新たな火だねとなった。
「償い金」は、日韓基本条約締結時に補償問題は決着していることから、原資には国民からの寄付をあてた。
これに対し、韓国の慰安婦支援団体は「国民からの寄付では日本政府が本当に謝罪したことにならない」と批判し、元慰安婦らに「償い金」の受け取り拒否を押しつけた。
96年12月には「新しい歴史教科書をつくる会」が設立され、97年4月使用開始の中学校の全歴史教科書に「慰安婦強制連行」が記載されることを問題視したことで再び論争が活発化した。
産経新聞も教科書の自虐的記述を批判し、「慰安婦強制連行」説に明確に反対し始めた。
ようやく国内では、公権力による組織的な慰安婦強制連行は証明されてないということが広く理解された。
教科書の慰安婦強制連行の記述も次第になくなっていくプロセスとなり、正常化に向かっていったのである。
この稿続く。