以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
本論文は、昨日、私が日本国民のみならず世界中の人達に発信した月刊誌テ―ミスに彼が掲載している論文と連続している。
ゲバラの願い
随筆家、吉沢久子の空襲日記のさわりを先日の天声人語が紹介していた。
「今日は爆撃日和ね」「もう来る時分では」東京空襲は100回を超える。普段の会話に「奇妙な慣れがあった」と。それ、分かる。
イ・イ戦争中に駐在したテヘランにもイラク機が好きに飛んできた。東京にくるB29はI機が9㌧の爆弾を積む。それが大編隊できた。
テヘランにくるイラク機は3機で、250㌔爆弾を各1発ずつ落とした。比べ物にもならない。
それでも直撃すれば4階建ての建物が一瞬で瓦礫と化し、40人くらいは死ぬ。それが朝、昼、晩と定期便のように飛来した。
遠くの高射砲陣地の発射音が聞こえてくると「あら、もうお昼だわ」と綺麗な助手が言ったものだ。
暫くして凄まじい炸裂音が耳を劈き、爆風が窓ガラスを大きくしならせた。もっと近ければ窓ガラスははじけ、その破片で死ぬか怪我をする。
いくら制空権を握ったことを誇示したいからと言って無辜の市民を殺し回る空襲ショーにはさすがに強い義憤を感じた。
吉沢日記には一晩で10万人を焼き殺した東京大空襲も描かれる。
「神田駅からの景色は何もない焼け野原だった」
カーチス・ルメイは下町の周辺に炎の壁を作って人々を中央に追いたて、そこに焼夷弾の雨を降らせた。道端に黒焦げの死体が折り重なり、北十間川は死体で埋まった。
上官の家を訪ねた第五師団の中島慎三郎はそのむごさに言葉を失った。「百年かかろうと米国に同量報復せねば怨霊は消えない」(『元兵隊の日記』)。
吉沢は違った。「為政者への不信」を語る。悪いのは日本政府だと。そう書けばきっと朝日が載せる。願いが叶ったわけだ。
翌日のコラム「余滴」では田井良洋記者が原爆忌に出た菅義偉を腐していた。
核禁条約も調印しないくせに「核廃絶を願うローマ法王や国家元首らが署名した芳名録におこがましくも名を連ねた」と。
それも吉沢日記に似たあざとさがある。ここにはチエ・ゲバラも訪れている。彼は「こんな非道をやった米国に日本はなんで怒らないんだ」と報道陣に怒鳴っている。
イラン大統領のラフサンジャニ師も「無辜の民の上に原爆を落とした米国に日本はなぜ報復しないのか」と随行の外務省担当者に真顔で問いかけている。
芳名録にはそういう人たちが少なからずいる。田井はそれは見ないことにして都合のいい所だけ摘まみ食いする。これなら楽にコラムが書ける。
原爆投下について当事者の統合参謀本部議長W・リーヒが「米国は女子供を殺した中世の蛮人と同じ」と回顧録に書いている。明らかな戦争犯罪だと。
米国がそれを深く反省するならまだしも、逆に南京大虐殺やらバターン死の行進やらの嘘を並べ立て、東京大空襲も二発の原爆も正当化してきた。
だから日本は、行使するかどうかは別にして「核二発に対する正当な報復権」を留保してきた。
核禁条約加盟とは、米国の戦争犯罪に眼をつぶって彼らの捏ねた嘘を受け入れ、自ら報復権を放棄することを意味する。
それに日本の周辺にはルメイみたいな連中がうようよしている。
そこまで知恵が回らない朝日はひたすら善人ぶって核禁条約批准を訴え、空襲も原爆も「日本政府が悪かったから」を繰り返す。
吉沢日記を扱った天声人語も「旧民主党を除いて為政者は常に悪い」立場を取って「今のコロナ禍も為政者のせい」と結論する。
確かに菅は何もできなかった。コロナ持ちの支那人を隔離もできなかった。それはGHQ憲法が為政者に何の力も持たせないよう規定しているからだ。
改憲しかない。
このままで核禁条約に加盟でもすれば、日本はクレームの心配のない核実験場にされてしまう。