
神社の境内の片隅に、黄葉した大イチョウが数本並んでいます。その枝下の地面はイチョウ葉が覆う黄色い絨毯、
そこにいつ誰が置いたのか、一対の白い椅子が並んでいます。変哲もないただの鋳物の古い椅子のようですが・・・・・
<ヨネさんの独り言>
ヨネさんという老婦人が神社の参拝を終えて、この椅子に向かって歩いてきます。椅子に近づくと、片方の椅子を前後
左右に動かして、椅子が安定していることを確かめると、腰を深く下ろして座りました。そして、大イチョウから少し
離れた参道を歩く、二組の七五三参りの親子が歩いている姿を笑顔で見ながら、持ってきた手提げを広げて、中から小
さな木彫り座像を取り出し、空いている白い椅子の上に乗せました。そしてゆっくりと人形を見つめながら独り言を始
めました。
ヨネ: この白い椅子は誰が置いてくれたのかしらね。この時期にだけしか見たことがないものね。ここにあなたが彫っ
たこのお人形を置くと、あなたが出てきてお話ができるんだから不思議よね。今日も出てきてね。良い知らせ
を持ってきたわよ。知っていると思うけど、一昨日の土曜日に孫のケイ子が結婚式を挙げたのよ。参列者が
300人を超える盛大な披露宴だったの。私はあんなに大きな披露宴は初めてだからすごく緊張しちゃったわよ。
あなたも見ていたのでしょう。どこにいたの?
亡き夫: 君の肩に乗って見ていたよ。あんなに盛大な披露宴になると、格式張った感じになると思うけど、そんなとこ
ろが全くなかったね。新郎とご両親の人柄だね。良い家に嫁に行ったと喜んでいるんだ。
ヨネ: あら、あなたの声と一緒に顔が見えるようになったわ。こうして今年もお話ができるんだから私は本当に幸せだわ。
亡き夫: 本当だな。ところで、もう杖をついていないね。足の方は良くなったようだね。
ヨネ: 良くなってきたのよ。まだ長い距離を歩くのは怖いけど、買い物をする範囲内で歩くにはもう大丈夫よ。
亡き夫: それは良かった。披露宴会場では最初はおとなしかったけど、途中からは席が温まる暇もなく会場を動き回っ
ていたね。プロのカメラマンのような動きだったよ。写真の出来栄えはどうかな。喜んでもらえる写真で上手
に整理できるといいね。
ヨネ: そうなんだけど、チョッと後悔しているの。私は親族だからと、最初の内は新郎新婦の席からは一番遠い席で、
そこから動かないでいたでしょう。だから撮るアングルが一面的になっちゃった。あれが残念だったな。
亡き夫:そうだったね。300人が入った広い会場だったから、花嫁・花婿のひな壇までかなりの距離があったしね。でも
お色直し後はプロカメラマン顔負けだったぞ。
ヨネ: これではいけないと、お色直し後は頑張ったわ。カメラ大好き婆さんの血が騒いで、ジッとしていられなくなっ
たのよ。お気に入りの写真は良いアングルからですからね。その良いアングルは行動力なしでは得られません
から。でも昨日、パソコンで画像を確認したんだけど、自分で満足できる新郎新婦の良い笑顔の写真が私にして
は少ないのよ。それに、手ブレや参列者が邪魔している写真があるの。雰囲気に圧倒されて、冷静にシャッター
を切れなかったようね。年は取りたくないわ。
亡き夫: それでも君のことだ、良い写真も写せているんだろう。トリミングや写真補正はお手のものじゃないか。受け
取るケイ子の笑顔を想像しながら、センスのいい写真整理を頼むよ。
ヨネ: でもプロのカメラマンさんがいるんだから、親である息子たちにはあげようと思っているけど、ケイ子のところ
には送ることを遠慮しようと思っているの。だって、ケイ子のところにはプロの写真が来るんでしょう。比較
されたら恥ずかしいものね。
亡き夫: お祖母ちゃんが写した写真だから喜んでもらえるよ。それにしてもプロの作品と比較されちゃたまらないという、
プロと張り合う負けん気は相変わらずだね。まだまだ若いよ。息子のところに送っておけば、新婚旅行から帰
ったら、必ず挨拶に寄るだろうから、その時には見てくれるよ。
ヨネ: わかった。プロの作品と張り合う気はないけど、私なりの工夫でかわいらしく、そして美しく編集することを頑
張るわ。どんなレイアウトで、どんな台紙を使おうか、なかなか決まらないで困っているわ。今日はあなたの意
見を聞かせてもらいたいと思っているの。あら、あら、あなたの姿が薄くなってきた。肝心な時にもう時間が来
ちゃったのね。仕方ないわ、来年も来るから必ず来てよ。それじゃ~ね。
亡き夫: 次の方がこちらに向かって歩いてくる。達者で暮らしなさい。
ヨネさんは人形を手提げの中に仕舞うと、ゆっくりと立ち上がり、笑顔を残して不思議な白い椅子から離れていきました。