ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

庭の草刈り作業は「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」

2018-07-30 07:33:30 | 日記


今、社会問題になっている全国の「空き家対策」の話題は、関東圏に住む老夫婦にとって
も他人ごとではありません。実は中部圏でサラリーマン時代を過ごした戸建ての家が空き
家で、年に数度、庭の草刈りと塀の外へ徒長した樹木の枝切りに通っているのです。

夫 :昨年の秋以来かな。春も梅雨前にも来られなかった。こんなに長い期間、空けたこ
   とはなかったから、庭の雑草はボウボウに伸びているだろうな。近所から苦情の電
   話が来る前に来られてよかったよ。

妻 :真夜中に中央高速道を走って、到着が朝の4時過ぎだから眠いな。でもハチたちが
   活動する前に始めたいために、この時間に着いたのだから頑張りましょう。

夫 :子供たちは仕事で手伝ってもらえないから二人だけだ。時間的にも、肉体的にもハ
   ードな作業になる。覚悟して庭に出ていかねばならないぞ。さあ、庭の雑草たちの
   様子はどうかな。カーテンを開けるよ。

二人は長い日時、締め切っていた庭に面したカーテンとガラス戸を一気に開けました。日
の出の陽光が降り注ぐ庭を眺めてビックリ、庭の雑草はひざを超える高さで一面を覆って
いて土面が見えません。これまで見たことのない庭の姿がそこにあったのです。二人は覚
悟を決めて朝食をとると、5時には作業着に着替えて庭に出てきました。

夫 :「ハ~ァ」、この光景にはため息が出るな。雑草が伸びているだけだろうと思って
   いたけど、萩がすごく繁茂している。これまでに見たことがないよ。でも、ため息
   をついている場合じゃない。頑張らなくちゃな。敵は萩と雑草だ。手ごわいぞ。新
   品の草刈りカマと枝切り用のノコギリを準備してきたのは正解だったな。これなら
   萩も切れるぞ。疲れも違うはずだ。

妻 :この時間はまだハチの姿は見えないけど、ハチ避けの帽子と首周りのネットをしっ
   かり巻きつけた私のこのスタイルはまさに養蜂家ね。人の目なんか気にしていられ
   ないもの。何だか、日の出の太陽さんが笑っているように感じるわ。

こうして、草刈り作業が始まりました。草刈りは全て手作業。手順はこれまでの経験で馴
れたものです。ひと摘みの草を刈るごとに視界が開け、元の庭の姿が見えてきます。作業
は順調に進んで、どうやら休憩に入ったようです。

夫 :「ヒェ~」、萩がこんなに大量に、しかもしぶとく根を張っているとは思わなかっ
   たよ。腕と腰が張ってきたところだ。グッドタイミングな休憩の声掛けだったぞ。
   萩に覆われた場所は陽ざしがさえぎられて、根元の雑草たちが少ないね。それに、
   萩を抜いたり、切ったりは力が必要だけど、萩は大きいから刈り取りの成果がよく
   わかる。草刈り作業が進んでいる実感があって嬉しいよ。

妻 :この庭は余裕でソフトボールのピッチング練習ができるだけの広さがあるから作業
   は大変だけど、この新品の草刈りカマが威力を発揮してくれているから助かってい
   るわ。たまには褒めてあげるわね。

夫 :これからは必ず新品のカマを使うようにしよう。全然、疲れが違うよ。

こうして二人は何回かの休憩を挟みながら、刈り取った萩や雑草の山を数か所に分けて盛
り上げていきました。そして、準備した搬送用の大袋に草を詰め込んでいきます。詰め込
んだ袋の数13袋。それを車に乗せて市の環境センターに持って行って廃棄してくるのです。

夫 :「フゥ~」やっと、庭の草の処分ができた。これで今日の作業の半分が終了したな。
   朝、早かったからゆっくりと昼食としようよ。

妻 :まだ虎刈り状態の庭だけど、こうして庭の土が見えると、ここで子供たちが走り回
   っていた光景が思い出されるわ。そして、町内会のママさんソフトボール大会のた
   めに毎日ここでピッチングの練習をしたな。この家は私たち家族の原点ですものね。

夫 :感傷には浸っていられないよ。作業としてはまだ半分だからな。これからは道路に
   飛び出している庭木の枝切りだ。庭師さんに頼めば楽だけど費用がかかるから、自
   分たちでやるしかないんだ。

昼食後、二人は家の周りを歩いて、塀から大きく徒長している枝を切り始めました。鳥た
ちが運んできて成長した木、庭木だが成長して先端が電線ケーブルに触れそうな樹木など、
切り落とさねばならない対象は多い。しかも家の立地は角地です。敷地の2面の縁は小学
生たちの通学路。子供たちに万一のことがあったら大変ですからね。

夫 :「ヘェ~」この太い枝も切るのかい。これは鳥が運んできたネズミモチの木だ。固
   くないから切りやすいけど、分岐枝が多いから、切り倒した後に1mの長さに揃えて
   搬送用の袋に収まるようにする作業が多いな。でもやるしかないか。ついでに他の
   痛んだ木も切り倒して処分しよう。

妻 :今回やらなかったら次に来る秋まで枝が伸びっぱなしよ。ご近所に迷惑をかけるこ
   と間違いなしだから、頑張って切ってちょうだいね。脚立を使って上の方から順番
   に切り落としてね。それが終わったら、飛び出ている梅の木も切ってよ。梅の実は
   落ちると臭ったり、側溝を詰まらせるからね。

夫 :今年もご近所の田中さんから梅の実の収穫をさせてほしいと連絡があったね。もう
   40年以上になる古木だから、出来る梅の実の数も半端じゃないものな。今年は収穫
   期に来なかったから、ありがたい申し入れだった。

二人はせっせと庭木の徒長枝や痛んだ樹木の切り落としを始めました。そして、小枝と主
枝を切り分け、葉っぱを落として、長さを1m以内に揃えて袋詰めした後、再び環境センタ
ーへ運んで廃棄をしました。枝が太かったり、曲がったりで、ひと袋に入る量が少ないた
め2往復して運ぶことになりました。

夫 :「ホ~ッ」やっと終わった。これで肩の荷が下りたよ。しばらくはご近所さんに迷
   惑をかけないですむね。今日は天気に恵まれ、暑くなかったから、作業が順調に進
   んだ。それでも時間はもう夕方の6時だよ。今日の作業時間は13時間、さすがに疲
   れたね。

妻 :今晩は日帰り温泉に浸かって疲れを流しましょうね。今度はもっと短い間隔で来る
   ようにしましょう。今日はお疲れ様。

終の棲家をどこにするか定まらない老夫婦はもうしばらくの間、こんな往復をする生活が
続くようですよ。
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京都・世界文化遺産めぐり

2018-07-16 07:28:23 | 日記


首都圏に住んでいる高校の同級生3人が古稀を迎えたことを契機に始めた街歩き。歴史探訪
や文学散歩などのテーマを設けています。今回は住んでいる関東圏を飛び出し、1泊2日の
京都旅行。2日目は京都・世界遺産めぐりです。世界遺産は、文化遺産・自然遺産・複合遺
産の3つに分類されます。そのうちの文化遺産として「古都京都の文化財」が日本で3番目
(1994年)に登録され、17ヶ所の寺院、神社、城で構成されています。

ヤス:平安時代から江戸時代まで日本の首都が置かれた京都は、政治経済の中心だったから、
   各時代を代表する建築様式、庭園様式、文化的背景を今に伝えていること、それらが
   その後の日本の建築、造園、都市計画の発展に大きな影響を及ぼしたことが世界文化
   遺産登録の背景だね。何回かに分けて全てを巡りたいな。

一行は10円硬貨でおなじみの「平等院鳳凰堂」へ向かいました。永承7年(1052年)、藤原
道長の別荘を関白・頼通が寺院に改めたことが始まりで、平等院ミュージアム鳳翔館にはた
くさんの国宝が展示されています。

ヒデ:平等院は修学旅行以来だよ。極楽浄土の宮殿をモデルにした鳳凰堂は形も良いし綺麗
   だ。建物自体が中堂、左右の翼廊、背後の尾廊からなる鳳凰の姿そのものだ。屋根に
   一対の鳳凰があるからだけではないんだな。華やかな建築物と極楽浄土を映した庭園
   との融合は日本が誇る歴史的遺構だね。

ヤス:華やかな建物に目が向きがちだが、鳳凰堂内には阿弥陀如来坐像、壁面には楽器を奏
   でる雲中菩薩像52体、そして9通りの来迎を画いた壁扉画など、ここには平安時代・
   浄土教美術が凝縮されているんだ。こうした仏像や絵画がこの鳳凰堂と一体化してい
   ることが最大の魅力だと思う。

ノブ:鳳凰堂内だけじゃないよ。大和絵図来迎図、梵鐘、鳳凰一対など平安時代の多くの文
   化財を「鳳翔館」で楽しむことができる。平等院は平安時代の文化財の宝庫なんだよ。

ヒデ:確かに、極楽浄土に行けば、誰もが幸せになれると信じていた当時、「平等院鳳凰堂」
   内の装飾は頭の中で経典を唱えながら、来世の幸せを祈る為のものとして、当時の人
   の支えになっていたのだろうね。文化遺産として納得だよ。それにしても朝早く来た
   のに、周りは修学旅行生でいっぱいだ。

次に向かったのは宇治上神社と宇治神社。平等院から宇治川に添って歩いていくと対岸に見
えます。平等院から歩いて15分のアクセスです。

ノブ:世界遺産登録されたことで、「宇治上神社」の名前を知った人もいると思う。本殿と
   拝殿のみの小さな神社だね。平等院建築の際に離宮社を守護する神社だったらしいけ
   ど、それだけでは登録される理由になるとは思えないな。

ヤス:「本殿」が平安末期(1060年頃)に建てられた日本最古の神社建築なんだ。「本殿」
   は一間社流造りで、左右の社殿が大きく、中央が小さいという珍しい形で、見る価値
   は十分にある。そして「拝殿」は鎌倉前期の寝殿造りで横に長い、そして縋破風(す
   がるはふ)の屋根は美しい曲線で、拝観者を楽しませてくれるね。

ノブ:平安と鎌倉時代の遺構として非常に興味深いものだということだね。

ヤス:隣接に学問の神様として知られている宇治神社があるけど、二社一体だったものが明
   治維新後に宇治上神社と分かれたものだそうだ。

一行は元離宮二条城に向かいました。二条城は徳川家の栄枯盛衰と日本の歴史の移り変わり
を見守ってきたお城です。

ヤス:日本の歴史の変換と共に歩んできたのが二条城だ。そんな場所をこうして肌で感じら
   れるのは、とても不思議で重みがあることだと思うね。

ノブ:見どころは、城の本体もそうだけど、常時50人が在籍していた「番所」、平成の修理
   が終了した華麗な「唐門」そして「二の丸御殿」は豪華絢爛な造りで、33の部屋があ
   り、それぞれに人形が当時を再現している。大広間には、将軍と大名の謁見が見られ、
   大政奉還の様子が再現されていてよかった。でも本丸御殿が拝観できなかったり、撮
   影禁止など制約も多いね。

ヒデ:「二の丸庭園」だけど、江戸時代に作られたもので、家康の世代には非常に美しい庭
   だったそうだ。一時、荒れた庭園時代もあったそうだが、こうして梅と桜が多く植え
   られて美しい庭園の景観が復活したのは良かったな。

ヤス:「本丸御殿」だけど、二条城が創建された当時は、二の丸御殿と同じくらいに大きか
   ったようだが、天明8年の大火で焼失した。その後、徳川慶喜の住居として新たに創
   建されたけど、明治維新後には一旦撤去されている。現在の本丸御殿は京都御苑から
   移築されたもので、皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐまで住んでいたことでも有名だよ。
   本丸御殿は見学できなかったね。五層の天守閣も存在していたけど、寛永3年の落雷
   で焼失し、その後再建されていない。再建されていないのは寂しいね。

ノブ:徳川幕府が栄えた時代には、将軍の宿舎として利用され、大政奉還後には京都府庁舎
   として明治まで使われていたそうだよ。

ヒデ:休憩所北側にある「築城400年記念 展示・収蔵館」では、二の丸御殿での配置そのま
   まで障壁画を鑑賞ができるそうだから寄っていこう。

3人は二条城を後にして、京都のシンボル、東寺を訪れました。東寺の象徴である五重塔は
弘法大師の創建着手に始まりますが、焼失すること4回、現在の塔は徳川家光の寄進によっ
て竣工した高さ55mの秀作です。

ノブ:やはり「五重塔」は素晴らしい。でも東寺には「金堂」「講堂」などの建造物や仏像
   など数多くの国宝や重要文化財が現存しているのが嬉しいね。

ヤス:金堂では薬師如来を挟んで、日光菩薩と月光菩薩が並び、訪れる人々を温かく迎えて
   くれるよ。建物は大きく、薄暗いけど、ただ静かに耳を傾けてくださる菩薩の温かさ
   に癒される空間がある。

ヒデ:「講堂」では、「立体曼荼羅」を見ることが出来るね。須弥壇には大日如来、それを
   囲むように阿しゅく如来、宝生如来、不空成就如来、阿弥陀如来が安置され、四隅に
   は、四天王、そして大日如来の両脇には梵天と帝釈天など豪華な仏像が並んでいる。
   立体曼荼羅の前に立って空海の教えを肌で感じてみるのもいいね。

ノブ:今の話は東寺に魅せられるのは五重塔だけではないよと言いたいのだね。それなら、
   弘法大師空海の御影を安置した『御影堂』も忘れるなよ。

ヤス:今はその姿を見ることはできないが、かつては東寺の対として同じ大きさの西寺(さ
   いじ)があって、そこには五重塔もあったんだ。今は「史跡西寺址」の石碑しか残さ
   れていないけどね。

どうやら3人組の今回の「京都・国宝めぐり」はここまでで時間切れのようです。
こうして仲間と集い、持っている知識を披露しながら歩く仲間旅は、かけがえのないものな
のでしょう。

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 京都・嵯峨野の文学散歩

2018-07-09 07:28:26 | 日記


首都圏に住んでいる高校の同級生3人が古稀を迎えたことを契機に始めた街歩き。歴史探訪
や文学散歩などのテーマを設けています。今回は住んでいる関東圏を飛び出し、1泊2日の
京都旅行。初日は嵯峨野の文学散歩です。京都駅に集合した3人が嵐山へ向かいました。

ノブ: 3人で京都に来たのは初めてだね。今日は千年の時が流れて、今に受け継がれる歴史
   や文化遺産に出会えるこの京都の中で、「平安物語」「源氏物語」そして「落柿舎
   (らくししゃ)記」に登場する嵯峨野を案内する。先ずはおさらいだ。

<平家物語とは>
作者は信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)という人物が有力な説のようだ。内容は鎌
倉時代に描かれた軍記物語。平安時代の平清盛を中心とする平家一門の栄華と衰退が描かれ
ている。盲目の琵琶法師による語りで広まったとされているね。「祇園精舎の鐘の声、諸行
無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことはり)をあらはす」の冒頭句で知られ
る序章は暗記させられたね。前半部では、平家一門の興隆と栄華、それに反発する反平家勢
力の策謀などが描かれ、後半は壇ノ浦の戦いなど合戦シーンを交えて平家滅亡の過程が描写
されている。

<源氏物語>
こちらは平安時代に描かれた色恋沙汰の物語。作者は紫式部。20ヶ国以上の言語に翻訳され、
世界的にも高い評価を受けている。光源氏を中心におよそ70年間におよぶ時代絵巻、全54帖
(巻数については諸説あり)、文字数は約100万(400字詰め原稿用紙で約2400枚)の大長
編。登場人物は500人ほどで、彼らの心情に即した795首の和歌が詠まれている。

<落柿舎記>
江戸時代、芭蕉がその門人の中で最も信頼を寄せていた向井去来が営んでいた庵。その名の
由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れて滞在し、『嵯
峨日記』を著した場所としても知られている。去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』
がある。

ノブ:源氏物語の第10帖「賢木の巻」で、光源氏と六条御息所の別れの舞台として登場する
   のがこの野宮(ののみや)神社。当時は伊勢神宮にお仕えする皇女が身を清めた黒木
   鳥居と小柴垣に囲まれた神聖な場所であり、その様子が美しく描写されていることで
   有名だ。「黒木の鳥居」とは樹皮が付いたままの原木を用いた日本最古の鳥居形式のこ
   とで目の前にあるね。竹林を囲っているのが小柴垣。平安の風情を今もこうして世に
   伝えている。後で竹林の小径を歩こう。

ヒデ:絵馬やお守りは源氏物語のデザインが使われている。ゆかりの地と言うわけだ。

ヤス:苔庭が綺麗だね。竹林の小径は天竜寺北門から常寂光寺、落柿舎あたりにも広がって
   いるんだよな。他の竹林も歩こうや。

ノブ:竹林歩きはどうだった?

ヤス:日本の中でも竹林歩きで観光客を引き寄せられるのはここだけだろうね。写真撮影用
   の竹林も整備されていたのには感心した。小柴垣の歴史を知って歩くと趣きが違うね。

ノブ:ここが落柿舎だ。主人の在宅を示す軒先の蓑と笠が我々を迎えてくれている。庭にあ
   る句碑を巡りながら、投句箱への投函に挑戦してはどうだい。裏手に去来の墓がある
   けど小さいのに驚くよ。

ヤス:芭蕉の「奥の細道」の刊行も去来なくては成し得なかったらしいね。今も俳諧道場と
   して活動している落柿舎は日本文学の大切な史跡なんだね。

ヒデ:去来の墓石は小さいけど、それを取り巻く歌碑の多さに驚いたよ。俳句の聖地だね。

二尊院を経て歩くこと10分。平家物語の「祇王(ぎおう)」にまつわる祇王寺を訪ねた。

ノブ:ここが平家物語「祇王の巻」に出てくる祇王寺だ。仏御前の登場により平清盛の寵愛
   を失った白拍子の祇王が、涙ながらに妹の妓女と母の刀自と共に隠棲した尼寺だ。苔
   庭がきれいな寺の仏間には、祇王、妓女、刀自と共に17歳で仏門に入った仏御前の木
   像も安置されている。清盛の心変わりに翻弄される女性達を偲んでみよう。

ヒデ:ここは平家女人の寺と呼ばれるそうだけど、物語の内容を教えてもらうと納得できる
   ね。苔むした庭が情趣を誘う。

ヤス:こんな奥嵯峨の竹林の奥にたたずむ尼寺に若い身で過ごしていたんだ。

ノブ:次は滝口寺だ。平家物語の「横笛の巻」に出てくる。滝口入道が恋人の「横笛」を避
   けて隠棲した寺だ。訪ねてきた横笛は会うことができず、心の思いを書いた血染めの
   歌石がある。仏間には、その後互いの出家で魂が結ばれたという二人の木像があり、
   なんとなく寄り添っているように感じられるね。もう一つ、ここには歴史文学「太平
   記」に出てくる鎌倉末期の武将・新田義貞のさらし首を盗み、庵を結んだという妻の
   壮絶な愛の物語が伝えられている。

ヒデ:滝口入道と横笛の木像は鎌倉後期の作で眼が水晶なんだね。庭に平家供養塔や横笛の
   歌石がある。確か、明治の文豪・高山樗牛が歴史小説「滝口入道」を書いているよ。

ヤス:新田義貞の首塚と奥さんの供養塔がある。この辺りを歩いていると平安貴族の遊び場
   所でもあった嵯峨野の風景は八百年前の昔と変わりなく流れていると感じるね。

3人は最後の訪問地である平家物語の「小督(こごう)」にまつわる「琴きき橋」と「小督
塚」に向かった。

ノブ:平家物語の「小督の巻」に出てくる小督塚だ。高倉天皇は、清盛の娘の徳子を皇后に
   していたが、宮中一の美人で琴の名手の小督を寵愛した。そのため小督は、清盛の怒
   りを恐れて渡月橋付近(小督塚)に隠れ住んでいたが、笛の名手・源仲国によって、
   微かに聴こえる琴の調べを便りに遂に居場所が探し当てられてしまった。今でも、渡
   月橋の北詰にある石橋は、琴聴橋と呼ばれ、仲国が小督の奏でる曲を聴いたところと
   伝えられている。小督塚は、松尾芭蕉も尋ねており、「嵯峨日記」に書き留めている。

ヒデ:能「小督」でもハイライトは、仲国が失踪した小督を探し、嵯峨野をさまよっている
   ところに、 微かに琴の音が聞こえてくる場面で、 平家物語の中でも名文として有名
   な箇所だそうだ。

ヤス:聞こえてきたのは「想夫恋」という曲で、男性を慕う女性の恋情を歌ったものだと書
   かれている。名場面なんだろうね。

ノブ:ここから見える渡月橋は木造橋に見えるけど、木造なのは欄干部分だけだよ。川の名
   前も渡月橋の上流を大堰川(おおいがわ)下流を桂川と言うんだ。

今回は渡月橋が解散地。今回は昼の京都駅集合、午後からのウォーキングだったので疲れは
ないようです。明日は早朝から二条城や平等院鳳凰堂などの世界遺産や国宝をめぐる予定だ
とか。今晩は先斗町あたりで飲み会でしょうかね。
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