首都圏に住んでいる高校の同級生3人が古稀を迎えたことを契機に始めた歴史、文学の
探訪街歩き。今回は昨年度の「嵯峨野の文学散歩」の好評を受けて、再びの京都1泊2日
の旅です。初日は高瀬川(木屋町)界隈の歴史・文学散歩。昼に京都駅に集合した一行
は地下鉄二条駅で下車して地上に上がってきました。
ノブ:ここ木屋町界隈は幕末から明治維新の動乱期の表舞台であり、文豪たちが創作の
舞台とした場所だ。特にこれから歩く木屋町は、今は花街先斗町に接した歓楽街
だけど、たかだか150年前には新選組が尊王攘夷派を襲撃した池田屋事件があっ
て、桂小五郎や坂本龍馬が奔走した幕末の生々しい場所だった。文学史としては
森鴎外の「高瀬舟」に因む舟入跡や司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に出てくる藩邸
があった場所なのだ。そして、今回はスペシャルとしてノーベル賞受賞者の田中
耕一さんが所属する島津製作所の創業記念資料館に寄りたいと思っている。
ヒデ:時代劇フアンとしてはこの場所を実際に訪れることができて嬉しいよ。
ヤス:僕は現役時代に仕事で島津の分光器に世話になっていたから、資料館には寄りた
いな。
一行は京都ホテルオークラ前にある桂小五郎像前からウォーキングを開始しました。
ノブ:この京都ホテルオークラは長州藩邸跡にある。その縁でここに桂小五郎像と長州
藩邸跡の碑があるだね。ここが長州藩の京都での活動拠点だった。幕末の京都で
の長州藩の活動は、桂小五郎を中心に行われていたから、彼は新撰組に何度も狙
われていた。
ヒデ:会津藩士・山本覚馬と八重邸跡に来たぞ。NHKの大河ドラマ「八重の桜」で取
り上げられた二人だ。兄の山本覚馬は京都の産業復興に貢献した人物で、妹の八
重は同志社を創設した新島襄の妻となった、「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれ
た人だね。
ヤス:高瀬川に出たぞ。加賀藩邸跡や土佐藩邸跡の碑がある。藩邸が集まっていたんだね。
ヒデ:高瀬川ってこんなに浅いのかい。これでは底の平らな高瀬舟でも浮かばないだろう。
ノブ:高瀬川は江戸初期に角倉了以が私財で作った運河で、大正時代まで京都の中心部
まで物資を運ぶ大動脈だった。残された写真を見ると、何隻もが行き交う今より
もっと大きな運河だったようだ。森鴎外が「高瀬舟」という医師でもある鴎外だ
からこそ書けた作品を残している。司馬遼太郎の「龍馬がゆく」もここが舞台だ。
龍馬が好きな人はこの本の影響を受けているだろうね。さあ~、夏目漱石の句碑
まで歩いてきたぞ。ロマンティストな漱石が川向こうのお多佳さんを慕った句だ
そうだ。その他に京都と深く関わった作家としては「金閣炎上」の水上勉を忘れ
てはいけないね。ここからは坂本龍馬、桂小五郎、中岡慎太郎ら幕末の志士の寓
居跡、 そして新選組襲撃の池田屋事件や龍馬暗殺の近江屋など、血なまぐさい
事件の現場を示す碑を見て歩こう。
ヤス:ここが「禁門の変(蛤御門の変)」の引き金となった池田屋事件の場所だね。
これで新選組は名をあげている。龍馬が襲撃された寺田屋事件と共に維新の史跡
だね。でも「池田屋はなの舞」という飲食店になっていて、これでは印象に残ら
ないな。
ヒデ:瑞泉寺に入るの?よく知らないな。豊臣秀次一族の菩提寺と書かれている。
ノブ:豊臣秀頼が誕生して、甥の秀次は疎んじられて自害。鴨川の河川に一族郎党39人
ともども葬られた。運河を開削した角倉了以が荒れていた墓石を見かねて、ここ
に弔ったそうだよ。
ヤス:材木商・酢屋にやって来たね。龍馬好きにはたまらない場所だろうね。
ノブ:そうだね、坂本龍馬が作った海援隊の駐屯地だ。解説してもらえるから入ってみ
よう。
一行は今も材木商の酢屋2階に案内されて、龍馬に関する資料を解説してもらいました。
ヒデ:いや~!お婆ちゃん主人の熱き解説に聞き入ったよ。龍馬の時代から4代この場
所で材木商を続けていること、だからここが唯一現存する「生存中の龍馬ゆかり
の場所」だと自信を持って言えるのだという言葉には説得力があったね。
ノブ:次は醤油屋の近江屋跡地だね。ここも今ではかっぱ寿司になっているけど、坂本
龍馬、中岡慎太郎が暗殺された場所だ。剣の達人だった坂本龍馬も暗殺当日、風
邪気味で中岡慎太郎と鍋を囲んでいる無防備な状態だったようだ。
ヤス:土佐藩邸がすぐ近くにある。当時の龍馬は脱藩を許され自由に出入りできていた
のだから、藩邸内にいれば襲撃されなかったのにね。
ノブ:次は高瀬川沿いに上っていくよ。ここが桂小五郎・幾松寓居跡だ。「幾松」は現
在も旅館として営業しており、建物は国の登録有形文化財に登録されている。館
内は当時に近い状態で保存されているそうだ。
ヒデ:どんどん歩みは進んでいるね。佐久間象山・大村益次郎遭難の地という立派な石
碑が川向こうに並んでいる。
ノブ:象山は松代藩士で、開国論を唱え、勝海舟、吉田松陰ら多くの俊才を教育した人
物だ。この路上で刺客に襲われ即死した。享年52才。大村益次郎は、長州藩の
医師だが、西洋兵学を学び、戊辰戦争で活躍、近代日本の兵制を創始した。象山
暗殺5年後にこの地の旅館で不平派士族に襲われた。享年47才だった。
ヤス:司馬遼太郎の「花神」には益次郎の人物像が詳しく描かれているよ。
ノブ:高瀬川界隈の案内の最後は「一之舟入」だ。高瀬川にはかつて荷物の上げ下ろし
や船の方向転換をするための「船入」が二条から四条かけて9か所あったけど、
現在は「一之船入」だけが史跡として残されている。モニュメントが残されてい
るね。そして森鴎外の「高瀬舟」の舞台だ。
ヒデ:医師である鴎外が、弟殺しの罪で島流しにされてゆく男と、それを護送する同心
との会話から安楽死の問題を提起した話だね。
高瀬川界隈の歴史・文学散歩を終えた一行は、「島津製作所創業記念資料館」に入って
行きました。そこでは創業者、2代目の島津源蔵の創業精神を学び、創業(明治8年)
以来製造されてきた理化学機器やX線装置を見学しました。
ヤス:遷都により衰退していく京都の産業を復興しようと仏具製造から一念発起して、
理化学機器やX線装置製造へ転身して、今やノーベル賞受賞者を輩出する企業へ
発展した島津製作所の100年の歴史をしっかり見られて良かった。現役時代に使
っていた分光器なども展示されていて懐かしかったな。
ノブ:今回の歴史・文学散歩はこれでお終いとする。次回の再会を約束してお別れだ。
ヒデ:次回は僕が案内するよ。