滋賀県にある山室湿原は一周15分ほどで回れる小さな湿原です。ここにはサギ草が咲き、
日本一小さい八丁トンボが飛んでいます。7年前になりますが、この湿原の「サギ草祭り」
に参加した私たちはその時に購入したサギ草を鉢植えとして育てています。家族の者が根
気よく手入れをしていますので、数は少ないですが、8月中旬ごろに綺麗な花を咲かせます。
でも毎年咲くわけではなく昨年は咲きませんでした。しかし、今年は花芽が2つできてそれ
が開花しました。私は鉢を庭のテーブルの上に置き、ベンチに座って同じ目線の高さで花の
形を楽しむことにしました。
「鉢山の頂上に咲くサギ草は絵になるな~。それにしてもサギ草とはよく名付けたものだ」
「ベンチに座ってゆっくり、絵でも描いてみるかな、ちょっと難しそうだけどな!」
用意した小さなスケッチブックを広げ、水彩色鉛筆を取り出し、構図を決めるために改めて
サギ草を眺めていると、花びらだけが時折小さく揺れるのです。
「あれ!今、サギ草の花が動いたぞ。今は風がないし、茎は動いていないのにな!」
「ゲ、ゲ!もう1つのサギ草も動き出した」
「又、動いた。さっきよりもっと激しいぞ。体を揺らしているようだ。どうなっているんだ」
「間違いない!2本とも花が自分で動いている。それもお尻を動かしている。どうやら茎から
離れたがっているようだ。こんなことがあるわけない」
「二つとも、落ち、落ち、落ちそうだ~!花が自分の力で茎を離れようとしているなんて信
じられないぞ」
「花が落ちた・・・!と思ったら、飛~、飛~!飛んだ!サギ草が目の前で飛んでいる」
「それも2本のサギ草が一緒に飛んでいる。これじゃ~2羽のサギ草だ」
「カメラだ、いや、ビデオだ。でもここを離れたら見られなくなるかもしれない」
「部屋に取りに行きたいけど、ここを動いたら空気が乱れて、サギ草は飛べなくなるかもし
れない。ここは我慢だ。でも、この光景は誰も信じてくれないだろうな」
「でも、やっぱりカメラとビデオを取りに行きたい~!」
「やっぱり、ダメだ!ここを離れたらきっと見られなくなる。ここは我慢だ」
私の体は完全にくぎ付けです。サギ草は2週目をゆっくりと旋回中です。私はもっと間近で見
たい衝動に負けて、空気を乱さないように細心の注意を払いながら、ゆっくりとサギ草の置
いてあるテーブルに手を乗せ、顔を突き出して、少しでもアップで見定めようとしました。
大丈夫でした。2羽のサギ草は鉢植えの上をゆったりと旋回しています。
すると私の身の回りに苔の茎がグイグイ伸びてきて、たちまち私の体を包み込みました。一瞬
の間がありましたが、私は自分自身が鉢植えの苔の中にいることに気付きました。私は鉢植え
の苔林をよじ登り、サギ草の茎がある山頂を目指しました。
「すごく急な登りだったな!汗をかいた。でもやっと、サギ草の茎の根元に出ることができた。
サギ草の茎がすごく太いな」
「や~、遠くにベンチが見える。巨大なベンチだな。」
「あれ~、下に見えるのはこの鉢を置いているテーブルだ。これも大きいや」
「見つけた!サギ草が2羽飛んでいる。近くで見るとずいぶんと大きいぞ」
「お~い、サギ草君、俺がわかるか?どうして君は飛んでいられるんだい。」
サギ草A:あら、私たちはよく飛んでいるのよ。飛ぶことは普通のことなの。あなたが知らな
いだけよ。
サギ草B:天気が良くて、風が吹かない今日のような日だけなんだけどな。
サギ草A:今年こうやって咲くことができたのは、奥さんの手入れのおかげだから、私たちは
とても感謝しているのよ。
サギ草B:僕らは花粉を媒介してくれる相棒を呼び寄せているんだ。でも、長い時間は飛んで
いられないんだ。そろそろ茎の家に戻らなくてはいけない。
サギ草A:飛んでいるときは危険がいっぱいなの。あそこにスズメを見つけたわ。見つかって
食べられちゃうと、来年は花を咲かせられないの。だからもう戻るわ。
「それじゃ~、去年サギ草が咲かなかったのは、前の年の花が飛んでいるときに、スズメに襲
われてしまったからなのかい?」
サギ草A:きっとそうだと思う。いっぱい咲いていると、いくつかは食べられずに茎のお家に
戻れるけど、ここは咲く場所が狭いから、一つでも食べられちゃうと、来年咲く力
が蓄えられなくなっちゃうのよ。
サギ草B:さあ~、戻ろう。茎の家に戻ると、こうやって君と話ができなくなるけど、世話を
して頂いているお礼が言えてよかった。来年、又、会おうね!
「さようなら。あれ~、本当にサギ草の茎にお尻をくっつけて止まってしまった」
「僕も元の体に戻らなくちゃいけないな。取りあえず、この鉢山を下りてテーブルの上に戻る
ことが必要だろうな。」
私は鉢山の苔林を慎重に下り始めましたが、足元は濡れており、急斜面だったので、気が付い
た時には転んで頭から真っ逆さまに転げ落ちていました。「痛ッテ!」私はベンチから転げ落
ちて、テーブルに頭をぶつけていました。
「サギ草は大丈夫かな?オッ、オ~、大丈夫だ」
「サギ草が小さいな!良かった。私の体は元の大きさに戻っているぞ」
「今のは夢だったのだろうな。夢にしてはリアルだった。こんなにストーリーがしっかりした
夢なんて、今まで見たことがないから、夢だとは思えないな」
「オ~イ!サギ草君、」
「やっぱり返事をしてくれないな。この可憐な姿が見られるのも、あと数日だね。また、来年
会おうね。」
昨夜は熱帯夜でしたから、眠りが浅かったのでしょうね。私は水彩鉛筆を持ちながらウトウト
っとしたようです。