ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

廃屋の赤レンガ西洋館が「市民遺産」に認定

2020-04-27 08:07:52 | 日記


新聞の地方版概要です。「茨城県龍ケ崎市の蛇沼のほとりにある大正時代に建設されて、
現在は廃屋となっている赤レンガ西洋館が、「旧竹内農場赤レンガ西洋館及び竹内家文書」
の名称で龍ケ崎市の市民遺産として1月に認定され、4月から自由に見学ができるようにな
りました。建物の保存を求めていたNPO法人は、西洋館の竣工100周年を記念した冊子を
制作。7日から無料配布を始めた」、この記事と掲載されていた赤レンガ西洋館の写真を
見た時、あの廃屋の赤レンガ西洋館が壊されずに保存されることになったのだと、思わず
拍手をしてしまいました。

昨年(2019年7月22日)のブログで「環境破壊で甦った、大正時代の竹内農場西洋館」と
題して、この赤レンガ西洋館の存在を紹介しました。内容としては竹藪と樹林の中に埋も
れて、ほとんど人の目に触れることがなかった赤レンガ西洋館を、新たなウォーキングル
ートを探求するために、あえて樹林に分け入った時に偶然発見したおとぎ話のような出会
い、そして、昨年、隣接地にメガソーラーができたことで、西洋館の敷地にも手が加わり、
覆い隠していた竹藪や樹木の一部が取り払われて、簡易的な整備がなされて森の中からそ
の一部の姿が現れた様子を記しました。あれから1年近く経過しました。報道でこの西洋
館が取り上げられるのは久し振りです。内容は心配していた「撤去」の報道ではなく、逆
に市民遺産として認定されて、この地で保全管理されることになったことの紹介でした。
長い年月、忘れられた存在としてひっそりと藪の中で佇んで、ただ朽ちていくのを待つだ
けの状態だった、大正時代建設の赤レンガ西洋館の廃屋が、蘇って陽の目を見ることにな
ったのです。こうした形でこの西洋館が存続されることを望んでいたので嬉しいニュース
でした。

建物の保存を求めて活動してきたのはNPO法人「龍ケ崎の価値ある建造物を保存する市民
の会」の皆さんで、西洋館の竣工100周年を記念した冊子を制作して無料配布しています。
西洋館は一部2階建て。農場を開設し、建設機械大手「コマツ(コマツ製作所)」などを創
業した竹内明太郎(吉田茂元首相の兄)が1920年(大正9年)に別荘として、この地に建
てたものです。赤レンガは渋沢栄一が設立に関わった日本煉瓦製造の工場(埼玉県深谷市)
で生産され、同じレンガが東京駅丸の内の駅舎にも使われています。報道によると市が竹
内家の親族から譲り受け、同家から寄贈された農場の庭園設計図や西洋館完成時の写真な
どの資料とともに市民遺産に認定され、自由に見学してもらおうと、建物の周辺にフェン
スを張って説明版を立て、駐車場も整備して今年の4月から公開されたとのことです。

記念冊子はNPO法人が市の調査を踏まえ、農場の歴史や西洋館の建築様式、現状などを1年
がかりでまとめたもので、前田理事長は明太郎の出身地・高知県宿毛市を訪ねて足跡をた
どり、竹内鉱業は傘下の遊泉寺銅山跡(石川県小松市)を調査。明太郎が炭区を拡大した
茨城無煙炭鉱の遺構(北茨城市)をメンバーらと調べた結果も詳しく載せている。又、戦
前から戦後にかけ、西洋館を借りて住んだ女性の貴重な証言も紹介している。

私は報道を読んで直ぐに住まいから歩いて、この旧竹内農場赤レンガ西洋館に向かいまし
た。5000歩ほどの距離です。西洋館に行くのは随分と久し振りです。途中及び近隣に見る
べきものがないので、足がなかなか向かわなかったのです。西洋館は廃業したガソリンス
タンドの脇を左に曲がると、遠くに大きな森林があり、その樹林が目隠しとなり、外から
は人の目に触れずにひっそりと佇んでいるはずです。私は目印としている廃業ガソリンス
タンド脇を左折しました。そこで目を疑いました。遠くに見える森林の一角が伐採されて、
曲がり角の立ち位置からでも赤レンガ西洋館の姿が見えたのです。なるほど、市は市民遺
産となったことで力を入れて、建物の周辺をきれいにしたようです。

廃屋の西洋館の正面に到着しました。敷地内はきれいに整備され、駐車場ができていまし
た。建物も新しいフェンスで囲われていました。そして、建物の内部に目を転じると、建
物の周辺や内部にまで自生していた巨木が切り払われていました。この建物を背景とした
当時の写真が残されています。その写真を思い出した時、大正時代にこの西洋館で働いて
いた人々、住居として住んでいた方たちの姿や当時の空気感が思い浮かびました。

この旧竹内農場赤レンガ西洋館の詳細については、NPO法人発行の冊子に詳しく記載さ
れています。(前報のブログでも触れていますし、ホームページも参照)

街づくりにおいて、保有する伝統芸能や歴史遺産を大切にすることは、その町の文化レベ
ルの尺度を測るバロメーターになると思う。我が街がこうしたことに力を入れてくれるこ
とは本当に嬉しいことです。

※龍ケ崎市の市民遺産は、市が後世に伝えたい「お宝」を条例に基づき認定する制度で、
 2015年から始めた。現在①ダンゴ塚祭り②「龍ケ崎とんび凧」③宮渕町千秋盆綱
 ④ほおずき市⑤豊田町の水神祭り⑥鈴木草牛の屏風画⑦屋代城址五号土塁⑧三條實美
 揮毫「長興学校」扁額及び飯塚古登頌徳碑⑨若柴八坂神社の祇園祭⑩八代富士神社の
 初山⑪山岡鐵太郎筆「龍崎学校」⑫女化神社の親子狐の石像」⑬旧竹内農場赤レンガ
 西洋館及び竹内家文書など13件が認定されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹林は日本文化の原風景

2020-04-20 07:37:26 | 日記


竹林の中で顔を出している竹の子たちを見ていると、強い生命力を感じますが、竹林の全
体を見渡すと、いにしえからの日本の原風景がこの中にあるのだと感じます。

永 :美井さん、竹の子を持ってきましたよ。召し上がってください。

美井:これはありがとうございます。これは孟宗竹の竹の子ですね。日本の春と言えば
   「目の桜」そして「食の竹の子」ですよね。春はこれを食べないと始まりません。

永 :「竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だ」 という言葉が遺され
   ています。竹は縄文以前から生活に活用されていますから、私は日本人の体を作っ
   たのが「稲」そして、生活や文化を育てたのが「竹」だと思っています。

美井:わかりますね。籠、ザル、花器などの日用品から住宅用資材、そして、笛、尺八な
   どの楽器や竹刀・弓などの武道具など、しなやかでいて強く、多岐に渡る用途を持
   つ竹は自然からの恵であり、昔から人々の暮らしには欠かせないものですね。日本
   の竹は蓄音機の針やエジソンの白熱球のフィラメントにも使われて、世界の文化に
   も貢献していますね。

永 :成長が早くて、丈夫で加工がしやすく、用途が広い竹だから、古来から積極的に日
   本各地に植えられてきました。手入れの行き届いた竹林は、文化だけでなく、美し
   い日本の原風景をも形づくってきました。

美井:竹は文化や原風景だけではないと思いますよ。日本人の心や思考にも影響を与えて
   います。空洞を持つ不思議な形の竹には神秘性を感じるのでしょうね。そこから
   「竹取物語」が生まれ、竹を使った祭事や神事が今日まで伝承されています。これ
   は「竹には神秘的な力」があると感じているからだと思うのです。

永 :なるほど、伝統的な日本家屋には竹材が多用されていたのはそうした竹に対する感
   性とも結びついているかもしれませんね。それでは、なぜこれほどまでに日本人の
   生活を支えてきた優秀な竹材がプラスチック材に置き換わってしまったのでしょう
   かね。その辺のことをご存知ですか?

美井:有名な造園師の若山さんという方の話が私の記憶に残っています。竹材の需要が顕
   著に減ったのは、昭和の高度経済成長期以降だそうです。この頃からプラスチック
   等の代替材の台頭が目覚ましかったという背景があるのですが、竹材の衰退に拍車
   がかかったのは、「昭和40年代の高度経済成長期のまっただ中で、竹材として一番
   使用されている真竹が日本国内のみならず世界中で一気に枯れてしまった」からだ
   そうです。真竹はほぼ120年に一度花を咲かせて、枯れてしまうと言われています
   が、その生理現象がこの時期に起きてしまって、加工用の真竹は品薄になってしま
   いました。いくら成長が早いといっても、竹材として市場に出せるようになるまで
   には多くの歳月が必要です。そのため、加工用の竹材の供給が間に合わず、プラス
   チックの代替材に取って代わられてしまったと言うわけです。

永 :竹は世界で1500種ほど、日本にはその内600種余りがあるそうですね。でもそのほ
   とんどは中型種の女竹で、工芸で使える大型種は孟宗竹、真竹、淡竹(はちく)な
   ど数種類だけなのだそうです。だから、真竹の一気枯れの影響は大きかったのです
   ね。台頭してきたプラスチック材という新興勢力に取って代わられた理由が分かり
   ました。

美井:竹は一斉に開花、一斉に枯れるため、その現象がまさに病的に見えることから「開
   花病」「十年枯病」などと、病気として恐れられた過去があります。しかし、これ
   は、一定の周期で起こる生理現象であり、病気ではないとのことです。竹は竹稈
   (ちくかん)が太いほど長命で、真竹ではほぼ120年のサイクルといわれています
   が、孟宗竹は67年目に開花したという事例が2つあるだけで、現状ではまだよく分
   かっていないようです。中型種の女竹は20年ぐらいという記述があります。

永 :竹はその旺盛な成長力、繁殖力とともに、たくましい生命力をも兼ね備えた植物で、
   倒れたり切ったりしても地下茎が生きているかぎり新しい芽を出し地上に伸びてく
   る。そして、広島、長崎の原爆の被害にも、竹は生き残った唯一の植物だったし、
   ベトナム戦争の時アメリカ軍が使った枯葉剤にも屈することなく真っ先に新芽を吹
   き出したのも竹だそうだけど、残念ながら寿命のある生き物であるということですね。

美井:最近、身の回りで竹の存在があまり感じられなくなりました。竹林が野放しになり
   日本の美しい風景を彩る竹林が掘り起こされて、メガソーラーになった場所を何ヵ
   所も見ています。本当に寂しく残念なことです。それでも、若山さんは「確実にそ
   んなマイナスな竹のイメージが変わってきている」と言います。都市部の若い人を
   中心に、スタイリッシュな新しい植栽アイテムという意識が根付きはじめているの
   だそうです。身近な場所で目を楽しませる植栽として、竹が広く受け入れられるよ
   うになり、同時に加工された竹製品の良さが見直されていくことに希望を持ってい
   ると語っていました。

永 :何か根拠でもあるのですか?

美井:開花する周期が長い竹類の品種改良は難しいのですが、苦労の末に誕生した4m程度
   と背丈の低いヒメアケボノ孟宗竹は、伸び過ぎることもなく管理もしやすく、しか
   も美しい品種として、都市部の店舗やホテルの中庭をはじめ、ファッションビルの
   装飾などに植えられるようになり、個人住宅での需要も増えているようです。また
   近代建築の雄、東京ミッドタウン・ギャラリー棟の床にも竹材が使われていて、堅
   牢な竹材は建築資材として優良な素材として復活しているそうです。

永 :それでも荒れた竹林を見るとまだだなと思います。竹はいにしえの昔から、常に日
   本人の身近にあって、常に暮らしと文化の中心でした。日本の風土とぴったり合わ
   さり私たち日本人と共に歩んできた人生のパートナーですよね。その存在を忘れる
   ことは、私たちの身体をつくってきた稲の存在を忘れることと同じくらい大事なこ
   とで、今まで私たちが生き残ってきた手段を失い、今まで共に助け合ってきた存在
   をなおざりにするということに非常な危機感を感じます。私は稲と同じくらいこの
   竹を大切にしたいと思うのです。

美井:同感ですね。しなやかでいて強く、多岐にわたる用途に活用されてきた竹は、まさ
   に自然からの恵みであり、日本文化の伝承や人々の暮らしに欠かせないですよね。


<参考>
竹細工などに加工する竹は、成長しはじめてから3年以上経った竹を使います。一般的には
5〜7年の竹。伐採は竹が活発な動きをやめ、内部の水分が減る秋から冬に行います。その
後、数カ月間、自然乾燥させ、加熱して竹の水分と油分を抜く作業に移ります。それを天日
にさらすこと数週間。短くても1年はカビが生えないように保管しながら乾燥させます。用
途によっては2〜5年かけて、さらに乾燥させる場合もあるそうです。こうして順次出荷され
た竹がさまざまな製品に姿を変えていきます。

新型コロナウイルスで疲れた心を少しでも癒せたら嬉しいです!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今が旬、ハートの形が印象的な「龍ケ崎トマト」

2020-04-06 07:48:55 | 日記


地元の特産農産物「龍ケ崎トマト」を紹介します。写真でお分かりのようにお尻の部分が
とんがっているのが特徴で、切るとハートの形が現れる可愛いトマトです。

市のホームページでは「龍ケ崎トマトは「レディーファースト」という希少価値の高い品
種のトマト。生産者のこだわりがいっぱい詰まっているので、トマト本来の味が濃くて、
甘みと酸味のバランスがよいのがポイント。先端に「金のすじ」が入ったトマトは特に甘
くておいしいと評判です。龍ケ崎トマトを生産しているのは、JA竜ケ崎施設園芸部会(部
会員10名、栽培面積2.8ヘクタール)の皆さん。農薬節約栽培で生産しています。龍ケ崎
トマトは水を徹底的に控える「しめ作り」によって甘みと酸味を引き出し、食感を良くし
ています。また、「有機堆肥を使った土作り」「化学肥料や農薬の使用量を極力控えた生
産」など環境に優しい安全・安心の生産をしているとして、茨城県から「エコファーマー」
の認定を受けました」と紹介されています。

<ファーストトマトとは>
大玉トマトの仲間でお尻の部分がとがっているのが特徴です。皮は薄く、甘味とともに適
度な酸味も感じられ、バランスのよい味わい。そしてゼリー状の部分が少なくて崩れにく
い。昭和10年代に愛知県の豊橋温室園芸農業協同組合において「ポンテローザ」という品
種をもとに育成されたといわれています。長い間トマトの主要品種として広く普及してい
ましたが、昭和後期に「桃太郎」が登場したことにより生産量は減少しました。現在の主
産地は生まれ故郷の愛知県と茨城県の龍ケ崎市の2ヶ所。「昔ながらのトマトの味」とし
て現在も根強く支持されています。

<竜ヶ崎トマトの特徴>
1.龍ケ崎トマトは温室専用栽培種のファースト系列の中のレディーファーストという品種。
  茎は太くしっかりとしており、2mぐらいまで伸びます。温度管理が重要なポイントで、
  光合成がうまくいくように、二酸化炭素を発生する機械を入れている方もいます。木の
  下の方から上の方にむかって、順々に収穫していきます。先がとんがった形が特徴のた
  め、輸送中の振動などで傷がつきやすいのが難点で、今では一部の産地でしか生産され
  ていない希少な品種です。現在では希少性と品質の良さが東京の市場でも認められて、
  「龍ヶ崎トマト」の名前で高く評価されるようになりました。
2.繊細なトマトづくり
  ほとんど水を与えない栽培方法のため、土と太陽熱だけが頼りです。そのためハウス内
  の温度管理は一番重要で、「風が無く雨上がりの翌日は湿度も上がるため、特に神経を
  使うよ」また「同じハウス内でも場所によって生育に差が出るため、均一に生産するこ
  とが難しい」と、トマト作り40年のベテランさんでも苦労されています。龍ケ崎トマト
  は水を徹底的に控える「しめ作り」によって甘みと酸味を引き出し、食感を良くしてい
  ますが、また「化学肥料や農薬の使用量を極力控えた農薬節約栽培で生産」しており、
  環境に優しい安全・安心の生産をしているとして、茨城県から「エコファーマー」の認
  定を受けました
3.重要なのは土づくり。
  最後の収穫が終ったら、堆肥と水を入れビニールで覆い太陽熱消毒。2,3ヶ月おいて土を
  休ませる有機農法、化学肥料や農薬を最小限におさえた環境にやさしい土づくりです。
4.収穫
  毎年9月頃から種を蒔き、10月頃から定植(苗を畑に植え付けること)を行い、翌年の
  2月~6月頃まで収穫を行います。一番美味しい時期は3月末~4月上旬あたりだという。
5.味の特徴は甘みと酸味のバランスが良くて味が濃く、一度食べたら昔のトマトを思い出
  されるかもしれません。ゼリーの部分が少ないのも特徴の一つ、その分食感がいいので、
  トマト嫌いの子どもも、このトマトなら食べられるんだとか。糖度は6~7度、甘さと
  酸味のバランスが良い濃厚で重量感がある。なぜそうなるのか?土がカラッカラです。
  水を与えないことによって、木はしっかりと根を張り実に栄養がいきます。そう、ズッ
  シリと実が詰まったギュギュギュ~といった感じ。だから「ホント、まるかじりが一番」
6.大きさは普通のトマトの約3倍。先が尖り放射線状に筋があるのが特徴。この筋が多けれ
  ば多いほど甘くて美味しいという。ファーストトマトは熟すのが早いため、鮮度が命で
  す。まるかじりなら「食べる直前に冷蔵庫で冷やす」のが美味しい食べ方。そして皮が
  薄く、カットした際に身が崩れにくいのでサラダ、サンドイッチなど生でいただくのが
  オススメです。こうして生食で食べるのが美味しいのですが、でも、熱を加えると驚く
  ほど甘みが増すのです!ピザやグラタンなど、チーズをのせて焼くのもおススメです。

旬を迎えた希少品種のファーストトマト。一つ一つ丁寧に育てられた「龍ケ崎トマト」を是
非お召し上がりください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする