前回記事の「護国寺」の後『鳩山会館』へ行きました。
ここの会館は10時からだったので護国寺で境内の写真を撮ってから鳩山会館へ向かいました。
庭園にはバラが植えられているので、どんな感じか一度も行ったことが無かったので行く事に
しました。
『鳩山会館』は明治時代に元衆議院議長の鳩山和夫氏が東京都小石川区音羽に居を構えたのが
始まりです。
現在の建物は関東大震災直後の1924年に和夫氏の子である鳩山一郎の私邸として建設されたもので、音羽にある事から「音羽御殿」と呼ばれる様になります。
当時の民主自由党と民主党が大合同して自由党(現自由民主党)になる時の中心人物の一人として動いたのが鳩山一郎氏であったことから、この邸が会合場所になったそうです。
また一郎氏が首相就任した後に当時のソ連との国交回復に向けた打ち合わせもここで行なわれたとの事です。
その後太平洋戦争による被害もあり増改築が行われましたが老朽化が進み、鳩山家の業績を伝える記念館「鳩山会館」として再生され公開されました。
ここの会館は10時からだったので護国寺で境内の写真を撮ってから鳩山会館へ向かいました。
庭園にはバラが植えられているので、どんな感じか一度も行ったことが無かったので行く事に
しました。
『鳩山会館』は明治時代に元衆議院議長の鳩山和夫氏が東京都小石川区音羽に居を構えたのが
始まりです。
現在の建物は関東大震災直後の1924年に和夫氏の子である鳩山一郎の私邸として建設されたもので、音羽にある事から「音羽御殿」と呼ばれる様になります。
当時の民主自由党と民主党が大合同して自由党(現自由民主党)になる時の中心人物の一人として動いたのが鳩山一郎氏であったことから、この邸が会合場所になったそうです。
また一郎氏が首相就任した後に当時のソ連との国交回復に向けた打ち合わせもここで行なわれたとの事です。
その後太平洋戦争による被害もあり増改築が行われましたが老朽化が進み、鳩山家の業績を伝える記念館「鳩山会館」として再生され公開されました。
(1) 正面玄関 車寄せ
(2)
(3) 当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の洋館で
ハトやミミズクなどがモチーフとして装飾されている
(4) 応接間・食堂から続く「サンルーム」
(5) 大広間
(6) バルコニー
(7) ステンドグラス
(8) 薔薇の咲く庭園kら望む洋館(鳩山会館)
(9)
(10) 鳩山一郎元首相の銅像(日ソ共同宣言・日ロ国交回復50周年の記念行事の中で寄贈された模様)
「洋館と薔薇」の構図は絵になるので、「旧古川庭園」には何回も行っていたのですが
ここ「鳩山会館」には一度も行ったことが無かったので薔薇の咲く時期に行って見ました。
旧古庭園の庭園の薔薇はバラ園の様な感じに整理されていますが、鳩山会館の薔薇は庭園に
庭の花の様に自然に咲いていました。
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