「私は天理教の布教をさせてもらっているんですけど、
誰も私の話を聞いてくれないんですよ~」
玄関先で落ち葉掃きをしていた年配のご婦人さんに話しかけた。
このあとからが大変で、、、、、小柄な人が落ち葉はきをしながら、
何かを言ってくれても分かんないんですよーー。
下向くじゃないですか。私は162くらいあるし、
耳遠いのでおばちゃんの顔のそばまで耳を傾けなきゃならんのです。
声がきこえても中身が不明。
そんな会話の中で判ったこと。
ご主人が某宗教に入っていたらしいが、理由ってのは自分の身上から。
身上が治らないので今は、やめてしまったということ。
寝たきりとかではないらしい。電動の車椅子で外も歩いているみたい。
おさづけをさせてくださいとお願いしてみた。
まだ某宗教の信仰していたときの祭壇かなんかが家にあって
ごけんせんのようなことを奥さんがやっているんだそうだ。
それでも、別に差支えがないと思うので、させていただきたいと思う。
ご主人さんに会ったわけではないから、本人に聞きたいと思う。
男性かもしれないけど、奥さんも一緒だから大丈夫でしょ。
奥さんがこんなこと言っていた。
『信者さん、なかなか増えないでしょう?』たまに聞かれます。
増えてくれたらいいのかもしれないですけど、
出会った人の話を聞かせてもらって、自分の中身を気付かせてもらったり、
自分と置きかえて今自分のありがたさを感じさせてもらったりする。
どんな人に会わせてもらうのかってのも神様。
同じ話を聞いてもこちらの受け取り方次第、聞き方次第。
そんな勉強を一つでも多くさせてほしい。
そんなことを落ち葉はきのおばちゃんに話した。そんなふうに、
ねばって話かけていたけど、顔見知りのご老人が通りかかっておしまい。
耳の身上ってのは、つくづくつなぎがない。
かなりの情報を聞き漏らしている。
つながるはずの電波の妨げになっていると思う。
それでも、人に離しかけなくては、何も始まらないのだろう。
私のように耳の身上でもめげずに
神様のご用をさせてもらっているようぼくっていますか。