伯母との話の中で
「主人は奥さんの信仰をずっと見ているのだから
なぜ信仰をしているのかと興味を持ってもいいのだ」
といったら
『こればっかりは、興味がないんじゃ無理』だと言う。
そのときは、釈然としなかったけど
思うんですよ。興味のあるなしの問題ではないと。
興味がなくても家族のためになら耳を傾けるのが
主人であり父親ではないか、と。
自分の都合なんて、脇に置くべきだ。
興味がないから無理ってのは、
子供と一緒だと思うんだよね。
いつまで経っても家の中でひとり。
ひとりで自分の興味のあることだけやって、
いらない話には耳も貸さない。
そんなことでいいわけがない。
一家の大黒柱である主人は家族を守らなくてはならない。
それをしないで、、、金銭的にだけじゃなくて
精神的には主人の傘の外に妻や子供がいる状態?
伯母にはわからない。
こんなことを言っては申し訳ないけど
信仰をしている、、しなくてはならない人間の思いが
分かりにくいのかも?家族のための信仰が分からない。
わからない人のほうが断然多いんでしょうね、きっと。
信仰の自由なんて言葉がある。
あれって家族のない人のための言葉?
そんなことはないはず。
あああ・・おやすみなさい。