12月になってどんよりとした天気が続いている。
普段はチャリ通勤だが、雨が降る日はバスで通勤する。
利用するのは国道を鳥取駅まで行く主要路線なのだが便数は極端に少ない。
最寄りのバス停で朝8時16分の次はナント1時間半後の9時48分
そして、夜、鳥取駅バスターミナルを発車する最終便は21時発、これは割と遅いほうで他の路線の最終はもっと早い。
先日、飲み会が一次会で終わって、最終に間に合うんで、待合室におったら21時ちょっと前に閉めるから出てくれという。
そいで、最終バスに乗った客は4人、そのうち、小生の降りる5つ目のバス停までで3人降りて、私が降りたら乗客なし。
この先のバス停で乗る人なぞおらんだろうから、終点まで空っぽで走るんだろう。
そう考えると、切ないやら寂しいやら、余計なことながらバス会社の経営も心配になるし・・、これが地方での公共交通の現実。
道路はどんどん整備されて車で移動するのが便利になって皆がマイカー使って、バスに乗るなど考えもしない。
乗客が減るから便数が減る、便数が減るから乗らんようになる、JRローカル線も同様に減便への循環が進む。
田舎には、都会のように時刻表を気にすることもなく駅やバス停に行けばほとんど待たずに乗れるといった便利さは無い。
こちらがバスや列車の運行時刻に合わせて動かねばならない。
都会暮らしを経験すると田舎の「この不便さはなんなんだ」と感じることだろうと思う。
逆に田舎から都会に行くと、信じられんほどの便利さを感じることだろうと思う。
都会は人が多いから便利さという観点だけでなくて、そこまで発達させんにゃ生活に支障を来すからかもしれない。
ただ、便利さをとことん追い求める心根に「なんだって便利にさせることが出来る」というような思い上がりがあるとすると危ないな~と思う。
もちろん、便利さを追求してきたからこそ文明の発達があるし、その恩恵も享受しとることは承知している。
そのうえで、思うとおりにはいかんことがある、むしろ、そういうことの方が多いし、それがあるのが当たり前だと受け止めていたい。
まして、自然の猛威の前には非力だということは十分に思い知ったはずだ。
そう考えると、
朝夕は1時間に2本か3本、日中は1時間に1本あるかないか、というような交通事情やらはどうってこたぁないと思えるのだ。
さ~て、”終の棲家”は実家より不便っぽいが、そこで暮らすようになって、こうした諦観を保てるのかどうか・・・・・・
話は変わるが、アフガニスタンで活動をしてらした医師の中村哲さんが襲撃されて亡くなられた。
今年5月、鳥取に来られて講演会があった。行こうと思っていたのに行けなかった。
活動とか詳しく知っていた訳ではないが、訃報を聞いて何故だかとても無性に悲しくてやりきれなくて・・・
こういう形で二度と直接話を聞くことはできなくなるなんて、と思うと残念な気持ちが募る。
ご冥福を祈るとともに自分なりに中村さんの遺志を体現していきたいと思うのである。