蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

雪…の思い出

2022年02月06日 23時03分52秒 | Weblog

雪じゃ、雪じゃ~

土曜日朝から降り出した雪は、冷えているのだろう、降り始めたらあっという間に一面真っ白にして積もってしまった。
日曜日、雲が流れて日が差した、かと思うと俄かに曇って通り雪、そしてまた晴れ間が…の繰り返し。
珍しく風があまり吹いてないので、寒さはそれほど感じない。

昼前、新聞配達さんや郵便配達さんの人に、と進入路の歩く幅だけはと雪かきした。

これだけでも、けっこうな運動、少し身体が温もる。
昨冬の大雪時には、雪がもの珍しい女房殿は「かまくら作ろう」とか雪だるまを作って遊んだが、
もはや飽きたのか、今冬は何も言わない。
土曜日買い物に出た以外は引きこもり生活。
テレビでオリンピック見て、録画してた番組見て、見終わったら読書、午後にはお茶して・・・

広島に住んでいたときも、雪に閉じ込められるような日はあった。
前面道路が坂道だったので、スタッドレスタイヤでも車で出るのが億劫だった。
スーパーもコンビニも歩いて出る気も起きない距離だったし、増して雪の坂道は危険だし。
それでも、仕事には雪道を最寄り駅まで歩いて下って、帰りは雪道を歩いて登った。
息子は、雪道でも自転車で下って通学してた。成人してだいぶ後になって、しょっちゅう滑って転倒していたんだとか、
でも、通ってた当時は雪で滑って転んだとか、もう嫌だとか、泣き言は聞いたことが無かった。
よくぞ、大けがや車と絡む事故もなく5年間通ったものだと、聞いた時には胸が熱くなった。

私が子供の頃、今よりはもっと雪の量も多かったように思う。
中学生になって自転車通学になって初めての冬、雪道の怖さを知らずいつも通りに家を出た。
雪道を進んでいくと、前方、対向車線に右折で作業現場に入ろうとするトラックがいたので、手前で停った。
トラックは現場に進入したが、後輪が車道から歩道の段差で雪でスリップ、車後部をこっちに振ってきて、自転車にぶつかった。
自転車のカゴやライトあたりが歪んだ程度で済んだけど、かなりの恐怖だった。
これ以外にも、緩い坂で転倒して、後ろに括っていたカバンが落ちたのだが、それに気づかずに学校行ったら、
転倒したときに後ろを車で走ってた人が拾って届けてくれたり、ってこともあった。

極めつけは、
就職後、広島にいたとき、車の免許取るのに教習所に通っていた。
1月、寒い日曜日の朝、教習所のバスが迎えに来るとこまで自転車で行ってた。
緩やかな下り坂、突然、自転車に衝撃を受けて、まさに吹っ飛ばされて前方に転がって、股間に強烈な痛み。
よく見たら、ダンプカーが停車してて、こいつに追突されたようだ。
道路が凍結してて、ブレーキが効かんかったと運転手が言うてた記憶はある。
話は端折るが、救急車で病院に運ばれ、診断結果は「陰嚢裂傷」・・・金玉袋が1センチほど切れてた。
それ以外には外傷も打撲もなし。
玉袋を縫合されて帰された。
路線バスで教習所に行くと、「事故があったくらいで、連絡もなしに遅刻すな、バカタレ」と第一声。
いやいや…と事情説明すると、一転して「なんで来るんじゃ、バカタレ、送ったるけ、はよ帰れ」
帰ってから翌朝までのことはあまりよく覚えていない。ボ~っとしてたのだろう。
だが、翌朝起きてみると、タマキンが・・・タマキンがソフトボールくらいに腫れ上がっとる。色も紫色だし。
前日運び込まれた病院に電話して状況説明したら「とにかく来なさい」と、病院に行ったら即入院に。
約1週間くらいの入院生活、治療らしいことされた記憶はなく、記憶にあるのは日々のガーゼ交換くらい、
ケガの場所が場所だけに露出させて処置の邪魔にならんようにチンポコは自分で持っとらんといかんし、
けっこう恥ずかしかったような・・・
この事故と入院の件では、上司・先輩の皆さんに随分と面倒や心配をおかけした。

 

雪道にまつわる怖かったアレコレ・・・いろいろあったな~と思い出す。

コメント
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