<辺野古移設>菅官房長官「20年前に決まったこと」
◇東京都内で講演 「辺野古が唯一の解決策」と改めて強調
菅義偉官房長官は24日、東京都内で講演し、沖縄県と対立の続く米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設について「もっと話し合いをしろ、と批判がある。しかし(普天間移設は)20年前に決まったことだ。話し合いをしてきたから、これだけ(長期間)できなかった」と述べた。移設計画を断固として進める姿勢を強調しようとしたとみられるが、沖縄から対話軽視だと反発が出そうだ。
菅氏は「普天間飛行場の危険除去とわが国を取り巻く安全保障状況を考えた時、辺野古が唯一の解決策」と改めて強調した。その上で「危険は20年間残ったままだ」と、1996年に日米両政府で普天間返還を合意して以来、進展がないとの認識を示し、「一日も早く解消しなければならないという思いで、進めさせていただきたい」と述べた。
一方、島尻安伊子沖縄・北方担当相は24日の記者会見で、米軍から返還された基地の跡地利用を促進する交付金を新設する考えを示した。今年3月に米軍から返還された西普天間住宅地区(宜野湾市)の跡地利用を進める宜野湾市の佐喜真淳市長が求めており、内閣府の来年度予算概算要求に盛り込まれている。島尻氏は「市長からの要望に対し、総力をあげて取り組んでいきたい」と述べた。【高本耕太、樋口淳也】
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菅官房長官は東京都内での講演で
「辺野古移設は20年前に決まった事だ」との意見を述べました。
この事について今年4月にも沖縄タイムスが記事にしていて
当ブログでも取り上げています。
その記事は以下です。
直近の民意を優先すべき?? 決まった事を反故にするのは民主主義ではない。
今でもこの考えに変わりはありません。
普天間返還日米合意から19年経ち、
政府と沖縄県、宜野湾市、名護市との合意でも16年経っています。
それにも拘らず未だに反対運動が続いています。
地元である宜野湾市、そして移転先の辺野古地区などは容認していますが
翁長知事の頑な態度と市民プロたちの運動で益々混迷を極めています。
特に翁長知事は普天間の危険を取り除くと言う当初の目的を無視し
知事の立場を忘れ、まるで市民プロの様な態度です。
政府と沖縄県、そして地元地区との長年の話し合いで決まった事を
いとも簡単に鳩山政権は反故にしてしまいました。
鳩山自身も明らかにしたように、抑止力を理解せずにただ単に反対したことは
軽率であったと言わざるを得ません。
辺野古移設の一番の目的は普天間飛行場の危険の除去です。
そして新基地を辺野古に建設するのではなく
今あるキャンプシュワブへの移転であり
更には普天間飛行場の規模を縮小しての移設です。
国と沖縄県やその他の自治体が何度も何度も話し合った結果、
日米両政府、政府と沖縄県や名護市が既に移設を合意しています。
私達はこの事実を忘れることなく、宜野湾市民の安全を守る為にも
一日も早い普天間飛行場の返還と辺野古沖へ移設が実現する事を望みます。
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