そこまで言って委員会NP 2016年11月6日 161106
民進党の蓮舫代表は4日、来日中のミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相と東京都内のホテルで約30分間会談した。蓮舫氏によると、「女性が輝くには」と聞いたところ、スーチー氏が即座に「男性が子育てをすることです」と答えたという。
両氏とも、政治家であり、母親でもあるという立場。蓮舫氏は「ガラスの天井を突き破る」と述べ、女性初の首相に意欲を示している。それだけに、一国のトップに上り詰めたスーチー氏と「女性活躍論」で盛り上がったようだ。
蓮舫氏は会談で、学生時代にスーチー氏の本を読んだことも伝えたという。会談後、記者団に「責任感をもって国を発展的に民主化しようという姿勢は、不屈の精神なくしてはあり得ない。率直にまぶしいと思った」と語った。会談には野田佳彦幹事長も同席した。(中崎太郎)
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アウンスーチーさんの事を誤解していませんか?
なんか、いい人みたいに。
でも、ちょっと違うんですね。
ミャンマーの代表の立場だけど彼女の心はイギリス。
少なくとも軟禁状態の時迄はイギリス人そのものだったとか。
英米の工作員とまで言われていたらしいです。
そんなところが蓮舫と似ているのかもしれません。
蓮舫は自分は生まれた時から日本人だとか言っていますが
その実、心は台湾人(もしかしたら中国人?)と思っているような過去発言の数々。
スーチー氏は端っこで記念撮影。まるで野田氏が客人。
西村眞悟氏がスーチー氏について述べています。(メルマガより)
アウン・サン・スーチー女史の来日に思う
平成28年11月6日(日)
ミャンマーの「実質的国家指導者」である
アウン・サン・スーチー女史が来日している。
もっとも、来日した彼女は、
自国を「ミャンマー」と言わず「ビルマ」と呼んでいるが。
その訳は、
ミャンマーは、いわゆる軍事政権時代の国名で、
私は、認めたくないということだろう。
日本では、「ビルマの竪琴」という実話的小説が広く日本国民に読まれたから、
日本に来て自国をビルマと読んでいるのではあるまい。
そして、彼女は、学んだことのある京都大学を訪れ、
日本との縁の深さと絆を示し、
日本とビルマ(ミャンマー)の経済交流の発展強化を求めた。
つまり、日本からの経済援助と協力を求めた。
だが、彼女が、
本当にビルマ独立の英雄、アウンサン将軍の娘なら、
京都大学と自分との繋がりだけではなく、
イギリスからの独立のためにイギリス軍と戦った父
アウンサン将軍が
ビルマ独立の志士達と共に日本軍によって軍事訓練を受け、
日本軍と共にイギリス軍と戦ってビルマ独立を勝ち取ったことを語り、
その父アウンサンの娘が、
父が目指した独立国ビルマを代表して日本を訪れたことの縁(えにし)を
仏教国の代表らしく語るべきだと思う。
何故なら、
彼女が、今、ビルマの実質的代表の地位にあるのは、
ビルマの国家と民衆が、
イギリスからの独立の英雄アウンサン将軍を崇敬し、
彼女が、その偉大なアウンサン将軍の娘であるからである。
この点、残念である。
やはり、彼女は、かつてミャンマーの知人が私に言ったように、
ビルマ人ではなく、イギリス人のマインドを持っているのであろうか。
そうであれば、イギリスのマインドからは、
イギリスの宿敵である父アウンサンを通じて繋がる、
ビルマと日本の縁は眼中に入らない。
そこで、私が知っているミャンマーを支えていた人々のことを思い出し、
彼らのことを記しておきたいと思う。
彼らは、皆、敬仰するアウンサン将軍と日本とビルマの縁を
心の中に深くたたえて私に接してくれた。従って、このことは、
戦後の我々が観ていなかった我が国自信の歴史を取り戻すことにもなる。
以下、思い出すままに記しておきたい。
十九世紀にビルマを植民地にしたイギリスが、最初にしたことは、
ビルマ皇室の解体である。
その為に、イギリスは、ビルマ皇室の淑女達を、イギリス軍将校の妾にして
生まれた子をインドのイギリス人学校の寄宿舎に送って育て、
ビルマの顔を持ってイギリスのマインドを持つ上流階級を造った。
アウン・サン・スーチー女史は、
イギリスで教育を受けて育ち、
イギリス人と結婚してイギリス人の子供を産み、イギリスに家をもった。
そして、軍事政権のビルマに帰って、
ただ、ひたすら自由と民主化を要求した。
彼女は、アウンサン将軍の娘であるから、ビルマでは、
首都ヤンゴンの中心部の広大なアウンサン将軍の邸宅に住むのが当然と思っていた。
また、軍事政権も、彼女がアウンサン将軍の娘であるから
アウンサン将軍の邸宅に住むのが当然だと思っていた。
全ては、アウンサン将軍のお陰である。
では、何故、ビルマは軍事政権だったのであろうか。
その訳は、イギリスの植民地支配に由来する。
イギリスは、
お得意の巧妙な分割統治の手法でビルマを支配した。
即ち、イギリスは、少数民族にビルマ支配の特権を与え、
大多数のビルマ族の人々を支配させた。
被支配者となった大多数のビルマの人々は、
農業に使う鎌の刃の寸法まで武器として使えなくするために短く限定され抑圧された。
従って、日本軍とアウンサン将軍らの戦いによって独立したビルマは、
当然、植民地時代にイギリスから与えられた少数民族の特権を剥奪することになる。
そこで、独立ビルマは、
当初より、イギリスによって、
特権を剥奪された少数民族の反乱という内乱を抱える宿命を負わされた。
その内乱を収拾して独立と治安を回復する力を持つのは
アウンサン将軍と日本軍が養成した軍隊だけであった。
従って、ビルマは軍事政権の時代に入っていた。
その軍事政権の時代の平成五年、
私が始めてミャンマーを訪れた時、
ミャンマーは、世界の最貧国であった。
従って、ミャンマー政府首脳は、
今のスーチー女史のように
日本からの援助を求めた。
しかし、スーチー女史は、その援助をことごとく非難し、
イギリスを中心とする自由と民主主義を掲げる自由主義諸国も同調して、
日本はミャンマーへの援助を停止した。
とはいえ日本は、
人道的な援助である小児麻痺を予防する乳幼児に対する
ポリオ生ワクチン投与の援助を実施し続けた。
ところが、スーチー女史は、
ヤンゴンのアウンサン将軍の邸宅から、
その日本の援助を非難し続けていた。
そこで私は、
日本からのポリオ生ワクチンが接種されている郊外の
決して裕福ではない村の集会所を訪れた。
そこには、
大勢の若いお母さんたちが乳児を抱っこして、
ニコニコ笑ってワクチンの接種を受けていた。
皆、幸せそうだった。
その笑顔を眺めていて、
何故、スーチー女史が、
この日本のワクチン接種まで非難するのか理解不能だった。
後で聞けば、スーチー女史が知っているビルマは、
ヤンゴンとアウンサン将軍の邸宅だけで、
その外の広大なビルマには行ったこともないし
民衆のことは知らないということだった。
また、スーチー女史は、ノーベル平和賞を受賞した。
その賞金は、イギリスで邸宅を買うためにイギリスに送られたとも聞いた。
その頃、軍事政権の実質的リーダーであったキン・ミュン第一書記に会った。
彼は私に最初に言った。
日本はミャンマー独立の恩人である。感謝している。
またスーチー女史について言った。
アウンサン将軍は、我々の父親だ。
そして彼女は、アウンサン将軍の娘だ。
従って、我々は、スーチーを我々の妹のように丁寧に接している。
しかし、キン・ニュン第一書記は言わなかったが、
明らかに、
彼女がイギリスで育ちイギリスに家族があり家を持っているのを意識していた。
彼らから自由を奪って現在の内乱を原因を残していったイギリスが、
今度は、スーチー女史を通じて自由と民主主義を掲げて
彼ら軍事政権を非難しているように思えていたのではないか。
丁度、イギリスの植民地開始時に、
イギリスがビルマの上流階級の娘をイギリス人と結婚させて
イギリス人のマインドを保ったビルマ人を造って上流階級に送り込んだように、
またもイギリスは、
イギリスのマインドを持ったスーチー女史を送り込んできたのではないかと思えていたのではいないか。
キン・ニュン第一書記は言った。
ミャンマーに民主化を要求して援助を国際連携して止めている西側諸国、
特に、イギリスは、
「第二植民地主義者」である、と。
そして、援助が停止されて困窮している中で内乱を抱え苦しんでいるミャンマー
を率いるキン・ニュン第一書記は、
静かに次のように言った。
我々四千五百万人のミャンマー国民は、
皆、このミャンマーの大地に生まれ、
そして、この大地の中で死ぬ。
しかし、彼女は、アウンサン将軍の娘だけれども、
イギリスに家がありイギリスに戻る人だ。
私は、このキン・ニュン第一書記と親しくなった。
最初に会ったとき、私は、次のように言った。
このミャンマーの大地で、数十万の日本軍将兵が斃れミャンマーの土に還った。
その日本軍将兵を貴国は丁寧に弔ってくれている。
日本人として、心より感謝する。
その時、キン・ニュン第一書記陸軍中将の中で
我が国の大東亜戦争とアウンサン将軍の独立戦争が重なった。
そして、彼は側近に聞いた。
シンゴは軍人か、と。
彼の部下である中佐が私に言った。
日本の自衛隊と我らが白兵戦をすれば、必ず、我らが勝つ。
何故だ。
我らは、日本軍から銃剣道を習って、それを今も受け継いでいるからだ。
軍事政権の末期に、キン・ニュン第一書記は失脚する。
そして、数年の自宅軟禁の生活に入る。
その失脚の前に彼と会ったとき、
第一書記は、実に名残惜しそうに言った。
シンゴ、今度来るとき、私が国境地帯をヘリで案内する。
これが彼との最後の面会だった。
軟禁生活が解けた後、キン・ニュン元第一書記と会った寺井融氏は、
私に、キン・ニュンさんもシンゴさんを懐かしがっていた、と伝えてくれた。
寺井氏は、私のほぼ全てのミャンマー訪問に同行した同志である。
以上、ミャンマーが最も苦しいときに、
日本の援助を非難し、
国際社会と協調して諸国からの援助を停止させ、
その功績により、ノーベル平和賞を受賞した
アウン・サン・スーチー女史が来日して、
我が国に経済協力を要請する光景を眺めて、
その最も苦しいときのミャンマーを支えていた親しくなった人々を思い起こした。
彼らのことは忘れられない。
とはいえ、
アウン・サン・スーチーさんも、
やっと、ビルマの状況を理解して、国家運営に責任を感じ、
援助を要請する統治能力を身につけたということだ。
※西村氏は5年前にもスーチーについて述べているのでご参考までに。
http://www.n-shingo.com/jiji/?page=596
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■蓮舫・民進党代表
(環太平洋経済連携協定〈TPP〉承認案が衆院特別委員会で民進党などが抗議する中、採決されたことについて)職権で立てた特別委で強行採決した。まさに国会軽視以外の何ものでもない。山本有二農林水産相の(失言)問題も何一つ解決していないし、引き続き厳しい姿勢で臨みたい。
(農水相への不信任案提出も)視野には入れているが、まだどの段階でと言うところには至っていない。
(この影響で地球温暖化対策の新たな国際ルール「パリ協定」の承認が遅れていることは)政府の失政で、猛省を促したい。今の政権は、環境より自分たちのやりたいことが最優先。環境より、国際協定よりも、強行採決が最優先。非常に残念だ。(大阪市住之江区で記者団に)
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動画はこちら ↓
民進 蓮舫代表 農相の不信任決議案提出も視野 2016年11月5日18時09分
NHKの19時にニュースで蓮舫の発言を聞いたけど、
本当に腹が立ちました。
ここまで言われて自民党はまだ黙っているのか、と。
もういい加減蓮舫の国籍問題を大々的に取り上げないのか、と。
蓮舫の二重国籍を問題にしたら、大事な議論が停滞する、
特に安倍首相の日程も立て込んでいる、
だから主議題について議論することを優先すべき、
それはわかっている。
だけど・・・・
だけど蓮舫の発言には腹が立ってしまう。
TPPの議論を放棄し、審議拒否をし議論を尽くさなかったのは民進党ら野党4党。
それなのに、それなのに「強行採決」とは何を言わんやら。
それを「国会軽視」?
有権者を騙して議員になったくせに。
そもそも議員に立候補する資格があったのかどうかも怪しい蓮舫。
それこそ「国会軽視」ではないだろうか。
有権者軽視ではないだろうか。
更にはパリ協定承認が遅れたのは誰の所為?
政府の失政?
TPPで審議拒否に議場乱闘を主導したのは誰?
議場でのビラ使用は禁止らしいが、審議拒否でサボっている間に作ったんだろうか。
※国会法に規定されているようだが何条か不明・・・・。
毎回毎回、蓮舫の発言を聞くと、腹が立つ。
蓮舫は批判する資格があるのだろうか。
国籍が怪しい人物が国会議員になる資格があるのかどうか・・・・。
ここまで批判されて、自民党議員は悔しくないのか。
今、蓮舫の国籍を批判し、国会を混乱させることが妥当かどうかはわからない。
でも、なんともスッキリしない。
蓮舫に好き勝手を言われれば言われるほど、反論したくなる。
今国会会期中に、なんとか蓮舫の国籍を追及し、追い詰めて欲しい。
蓮舫の発言を聞くたびにその思いが強くなる。