先日、学校で使われていた副教材を見る機会がありました。
知り合いの娘さんが小学校高学年の時に授業中に使われた更紙のプリントです。
今から約20年前のものですから、それ以前も同じような教育を受けていたと思います。
BLOGOSの弁護士は50歳ですから、同じかもっと自虐史観に染まった教育を受けたのでしょう。
それは左翼系の政治家は勿論の事、中高年の自民党議員も同じ認識かもわかりません。
またネットでの情報を得ない方の多くも同じかもしれません。
これでは韓国のような反日国には立ち向かえません。
強く言い切られたら折れてしまいそうです。
皆さんはこの様な学校教育をどう思いますか。
今もこの様な考えの教師が授業をしているかどうかはわかりません。
しかし20年前は確実にこの様な教育がされていたのです。
紙面中央に次のような大きなタイトルがあります。
なぜ、西宮に韓国・朝鮮人が住んでいるのだろうか?
植民地支配そして強制連行
かつての日本は、「脱亜入欧」という、遅れたアジアから脱して西洋の仲間入りをすることを国策とし1910年には朝鮮を無理やり植民地にしました(「韓国併合」)。そして土地や米を取り上げ、独立運動を弾圧し、人の命を奪い、心まで支配しようとしました。当時朝鮮の人口の8割以上は農民であり、耕作地を失った人々は生きるために、日本などの異郷に住まざるを得なくなったのです。
1937年、日本が中国と戦争をはじめると、国内の人手不足を補うために、ついには朝鮮人を強制的に日本に連れてきて、働かせました。日本が戦争に負けた1945年には日本に在住する朝鮮人は約230万人にのぼっていました。
戦争が終わったのに祖国に帰れなかった理由
甲子園町浜田町で自営業を営んでおられる鄭鴻永(チョンホンヨン)さんは、郷土史家として活躍しています。多くの韓国・朝鮮人市民からの聞き取り調査の結果、戦争が終わり、解放されたはずの朝鮮人のうち、祖国へ帰れなかった人が約70万人いた理由を、次のように語っておられます。
1. 大部分の朝鮮人が帰国を希望したが、日本政府は帰国船を用意しなかった。漁船などで帰国した者、百数十万人いたが、それが沈没等の危険をともなった。
2. GHQが「計画輸送」を指示したのは1945年11月、開始されたのは翌年3月だった。
3. 母国に持参できる金は千円以内、荷物は手に持てる程度に制限された。
4. 帰国時期を考えているうちに、母国が分断され、朝鮮戦争が勃発した。また、長期の離郷の結果、故郷 に帰っても生活基盤がなくなっていた。
「主な理由はこんなところでしょうね。しかし、日本に残った人々にはいろいろな事情がありますよ」 「下関の港で、帰国船を待ちながら幼い子を抱えて野宿しているうちに、帰国費を使い果たした家族」 「帰るも地獄、残るも地獄。わかっていながら、どうしようか泣きながら相談した家族も多いのですよ」
紙面の上部には次のタイトルと説明文を付けた写真もありました。
※1.阪神国道建設工事 1920.2~1927.3
阪神国道(現国道2号線)の建設に、延べ30万人以上の朝鮮人が働く
2.武庫川改修工事 1920.7~1928.3
工事従事延べ人員65万人のうち、実に20万人が朝鮮人労働者であり、血のにじむ「人海工事」だった
3.夙川改修工事 1932.11~1937.3
夙川工事の朝鮮人300名が自救会を結成した。自救会員ら、仕事がつらいと市役所に窮状を訴える
4.甲陽園地下工事建設工事1945.1~1945.8
戦中の地下工場確認、甲陽園にトンネル11本 強制連行の朝鮮人2000人働いていたとの証言も
何とも在日朝鮮人に都合のよい解釈でしょう。
この様な在日朝鮮人の主張をそのまま授業で紹介し、自虐史観を植え付けた事は罪深いです。
こんな思想を信じ込まされた子供達の考えは変わったのか、
それとも教師を信じて今や政権批判なのか。
教育は大事です。
教育によって愛国心が育つのかどうかですし、
物事を冷静にとらえ、どう判断できるかです。
現在教職に就いておられる方々、いい加減な気持ちで授業をしていませんか。
反日思想に染まった教育をしていませんか。
今や日教組は弱体化していると聞きます。
日教組は共産党や社会党の支持母体です。
偏向教育をしていないのか赤旗の主張をそのまま授業に使っていないのか、
心配が絶えませんが、実際はどうなのでしょう。
かつての日教組教育は根絶されていると信じたいです。
そして将来の日本を担う子供達がこの国を愛し、発展させることを願っていると信じたいです。