木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ボラ

2007年06月21日 | B級グルメ
 西宮に夙川(しゅくがわ)という川がある。今では川沿いに公園が整備され、小さな川に見えるが、江戸時代は暴れ川だった。灘の酒が発達したのも夙川のような川の水力を利用して、24時間米を附くことができたからだという。さて、その夙川に今頃になると異様とも思えるほどの量の魚が遡上してくる。黒くて、頭が扁平なその魚はボラである。ボラは、汚いところでも住めるのか、きれいとはいいがたい夙川の水でも群れをなして生活している。その量たるや知らない人がみたらびっくりするような数である。そんな水質にいるボラであるから、臭いもひどく、とても食べられたものではない。総じて関西人は、ボラを食べない。関東人も食べない。しかし、東海の人間はボラを食べる。刺身で食べる。スーパーでも普通に売っている。食べてみると、あっさりした白身でなかなかおいしい。東海の人がボラを食べるのは、三重県の尾鷲というところがからすみの一大産地であることと関係していると思われる。
ボラは出世魚で、江戸時代には非常に好まれていた魚である。その出世は、スバシリ(オボコ) → イナ → ボラ → トド の順となる。「初々しい」ことを「オボコい」などというのは、ボラの幼魚から発している。また、江戸っ子の美学と言われる「いなせ」も「イナの背」に似た「イナ背髷」から出ている。さらには、結局というような意味で使う「トドのつまり」もボラの最後の名前から来ていると言う。
江戸っ子は、6月15日の山王祭や神田祭の頃からスバシリの初物を田楽にして食べ、秋風が吹くころになると、ボラを塩焼きや酢みそ、辛子和えを楽しんだ。そして、冬になると寒ボラとして油が乗って美味になったボラが食卓に上るようになる。
日常会話に使われるほど、庶民には一般的だったボラも今では一部の人しか食べなくなった。その凋落たるや甚だしい。ボラにとっては、幸いなことかも知れないが・・・。
ボラの刺身
江戸食の履歴書 小学館文庫 平野雅章