昨日に引き続き、名古屋市中村公園内にある「秀吉清正記念館」からの話題。
この記念館で、何ともパンクな兜を発見。
名付けて「馬藺後立兜」《ばりんうしろだてかぶと》と言う。
秀吉が被り、1587年(天正15年)九州攻めの際に蒲生氏郷の家臣、西村重就《しげなり》に与えたものと伝えられる。
敵に発見されにくいように迷彩色を着る現代とは違って、日本といい、西洋といい、昔は戦場でも派手なものが好まれたようだ。
しかし、この兜など、かなり趣味の部分が大きいので、貰ったほうも当惑したのでは。
秀吉「このカッコいい兜をそなたに進ぜよう」
重就「カッコいい!?・・・・・・ありがたき幸せでございます」(と言って下を向く)
などという会話があったかどうかは知らないが、かなり微妙なデザインである。
馬藺というのはアヤメの一種だそうだが、どうにも孔雀の羽のようにしか見えない。
驚いたことに、この兜のレプリカを試着できる所がある。
大坂の天守閣である。
天守閣の解説では、この兜を「現在にも通じる気品の高さを持つ兜」と解説しているが、いかにも、派手好みの大阪らしい。
ちなみに、「秀吉清正記念館」は、入場無料。
くわしくは、ここをクリック。
↓よろしかったら、クリックお願いします。
この記念館で、何ともパンクな兜を発見。
名付けて「馬藺後立兜」《ばりんうしろだてかぶと》と言う。
秀吉が被り、1587年(天正15年)九州攻めの際に蒲生氏郷の家臣、西村重就《しげなり》に与えたものと伝えられる。
敵に発見されにくいように迷彩色を着る現代とは違って、日本といい、西洋といい、昔は戦場でも派手なものが好まれたようだ。
しかし、この兜など、かなり趣味の部分が大きいので、貰ったほうも当惑したのでは。
秀吉「このカッコいい兜をそなたに進ぜよう」
重就「カッコいい!?・・・・・・ありがたき幸せでございます」(と言って下を向く)
などという会話があったかどうかは知らないが、かなり微妙なデザインである。
馬藺というのはアヤメの一種だそうだが、どうにも孔雀の羽のようにしか見えない。
驚いたことに、この兜のレプリカを試着できる所がある。
大坂の天守閣である。
天守閣の解説では、この兜を「現在にも通じる気品の高さを持つ兜」と解説しているが、いかにも、派手好みの大阪らしい。
ちなみに、「秀吉清正記念館」は、入場無料。
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