木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

切れる!

2010年08月02日 | 日常雑感
切れる、という言葉は好きではないのだが、「切れる」としか表現のしようのない怒り方が昨今、多々見られるようになった。

マスコミでも「切れた」状態の有名人を撮ると視聴率が上がるので、しきりに煽る場面がみられる。
プロ野球における場外乱闘が後々、編成されると視聴率の高い番組になるのと同様だ。
しかし、売れっ子アイドルなど、切れればイメージダウンになる人間がターゲットになる訳がなく、テレビ討論会などでお笑いタレントや一般の人が、レギュラーによって面白いように「切れ」させられる光景も見受けられる。

レギュラー陣は本当には怒っていない(半分は)。
政治家やプロレスラーは、怒気を含んだ発言を行うときも、醒めた一面を必ず持ち合わせている。
これと似ている。

YOUTUBEで観たテレビ討論会。
レギュラー陣に操られてしまったのは政治家(?)とスポーツ評論家の二人。
一人は、「情けないよ」、一人は「よくこんな場に出て来れたな」の一言で「切れて」しまった。
切れたところで、勝負あった、になる。
「情けないよ」で切れてしまったのはスポーツ評論家。
自分の得意のジャンルに一般市民と同レベルの知識しかないタレントが土足で踏み込んできたような不快感があったに違いない。

どうでもいいような話ならそんなに熱くはならない。
自分の信じる「聖域」に相手が一見「正論」に見えるような意見を呈して来たとき、どうするか。
私はそんなとき「ウルトラマンとウルトラセブンはどちらが強いか、討論しているのと同じだ」と考える。
古いし、適切な比喩ではないと思うが、もっと別の喩えを出すなら「幕末にあって、官軍、幕軍、どちらに正義があったか」でもよい。
要は結論の出ない問いである。
複数の人間がいれば、知識の量は常に異なっている。
相手が少ないか、自分が少ないか。
たとえ、相手の知識量が極端に低かったとして、持論でこてんぱんにやっつけようとしないほうがいい。
人間は頭で勝ち負けを計ることはできても、心で勝ち負けを計ることはできないからだ。感情的なしこりが残るだけだ。
自分の信念は相手に強要するべきではない。

一方、今でもナチス崇拝者がいると言う。
悲しいけれど、それも現実だ。
世の中はマーブルチョコレートのようなもの。
いろんなチョコが混じり合って成り立っている。
天使だけでなく、悪魔も必要悪なのかも知れない。

もちろん、例外はある。
けれど、切れるのが通常であってはならないと思う。
切れるのは、最後の最後。
自分や家族や友人の命であったり、自分が本当に大事にしているものの最後の一線が侵されそうになったときでいいと思う。
伝家の宝刀は、最後に抜くべきではないだろうか。

「よく出て来れたな」で切れる

「情けないよ」で切れる

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (美穂)
2010-08-03 00:28:46
世の中には悪魔がいるから天使が成り立つ
そんなふうに思いました。
そう考えると必要ない人なんてやっぱり
いないのですね☆

>世の中はマーブルチョコのようなもの

この表現とても好きです♪
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Unknown (木村春介)
2010-08-03 23:07:31
傍から見たら、どちらもどちらという争いでも争っている本人同士は、本当に相手を憎んでいることが多い。そんなとき、相手が悪魔に見えるかも知れないけれど、本物の悪魔は自分の心の中にいるのだと思います。
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