「近つ飛鳥博物館」へ行く途中には竹内街道(たけのうちかいどう)がある。
推古天皇の時代に作られたと云う日本最古の官道(国道)だ。
博物館の開館時間には、まだ早いので「道の駅 近つ飛鳥の里・太子」に車を置き、その裏を通っている竹内街道を歩いてみた。
道幅は狭くウネウネした峠越えの坂道だ。
現在の国道とは大違いの狭さだが、牛馬や荷車が通る幅があればよい時代のことだから、これで充分だったのだろう。
小さな集落を通る街道歩きを楽しんでいるとオジサンとオネエサンの二人連れに逢い挨拶を交わしたのだが、オジサンから「この街道のことはご存じですか」と云われた。
だから「難波と結ぶ日本最古の官道ですよね」と云ったら「何だ、知っているのか」と云う顔だ。
どうやら色々説明をしたかったようだ。
私だって旅に出る前には一応色々な資料を調べているのだ。
「この横にある山のことは?」とまた訊かれたので
「二上山のことですか? 昔は ふたかみやまと呼ばれていたのに、最近は にじょうざんと呼び方が変わったようですね。
後は・・・・確か政争に敗れた大津皇子(おおつのみこ)が埋葬されていると記憶していますが・・・・」と云ったら、
また「何だ、知っているのか」と云う顔をされた。
大津皇子のことは、旅に出る前に読んだ本に書いてあったので記憶が新しい。
「聖徳太子も厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼び名が変わってきていますからね」
と云うと「そうですねぇ」と云いながら質問する相手を間違えたオジサンは去っていった。
「近つ飛鳥博物館」は集落の外れにあった。
建物は新しく整理された埋蔵物は見応えがある。案内図に示された二ヶ所以外は撮影可なのでカメラを構えていたのだが、二人いる係員は私のレンズの先が気になるようだ。
私はダメと言われたものを故意には撮影しない主義なのでパンフを示して「あそことここが撮影禁止ですよね」と念を押して係員を安心させた。
ただ、私の写した場所の奥に写り込んでしまったものは・・・・・それは偶然なので仕方がないだろう。
「厩戸皇子(うまやどのみこ)、聖徳太子には奥さんが4~5人いたらしい」との説明を受けたので、「私には一人しかいない」と云ったら「それで充分です」と怒られた。
そうだねぇ・・・・・考えてみたら・・・・一人で充分だと・・・・・私も強く思った(―_―)!!