北海道でノンビリと

タブタブの何処かへ行こう を改題しました。
何処かへ行く機会も減ってきたので 北海道を楽しもうと思ったからです

車中泊の旅・・・・せごどんの街

2017-05-29 22:30:05 | 旅行


早朝「せごどん」の街、鹿児島へ乗り込んだ。
「せごどん」とはモチロン西郷どんのことだ。

先ず向かったのは その「せごどん」が最後にたてこもった城山だ。
地理不案内だが急坂を上がって偶然駐車場を見つけた。



早朝なのに沢山の人公園の中を歩いていた。何事だろうと思ったら全員がウォーキングやらジョギングをしているようだ。



お婆ちゃんもベンチに寝て一生懸命腹筋をしているのには驚いた。



お年寄りでも身体を鍛えているのは、何かある時には・・・と思っているのかも知れない。
これが薩摩魂なのだろうか。

公園から薩摩の象徴、桜島を拝んだ。
「せごどん」が亡くなる前に見つめた山だ。



体操をしている方に、西郷洞窟の場所を尋ねたら「案内してあげるよ」と云われ 甘えてしまった。

坂道をどんどん下り到着した洞窟は土産物店の横にあった。
周りを政府軍に囲まれ、5日間を過ごした洞窟だ。



「西郷さんが自決した場所へも行きますか?」と云われ、さらに坂を300m程下り市街地に入って信号を渡った場所に案内された。



鉄砲に撃たれて傷を負い同行していた別府晋介に
「晋どん、もうここらへんでよか」と有名な言葉を遺し首を討たれた場所だ。



人斬り半次郎こと桐野利秋は、最期を見届けた後、さらに奮戦して近くで討ち死にしたらしい。

不思議なのは西郷の最後に残した「晋どん、もうここらへんでよか」と云う言葉が現在に伝わっていることだ。
介錯した別府晋介の墓も近くにあるらしいので、亡くなったことは確からしい。

一体、だれがこの言葉を伝えたのであろうか。

案内してくれた方は私と同年齢位だ。
「薩摩弁では無いですね」と云ったら小学校で強制的に標準語を話すようにと指導されたとのこと。

多分、薩摩に痛い目にあわされた政府の指導なのだろう。
その指導を免れた75歳とか80歳の人は今でも薩摩弁を話すらしい。

「せごどん」の碑に手を合わせ、案内してくれた方にお礼を言って別れると
「せごどん」が傷ついて下りてきたであろう急坂を「負けるもんか」と道産子の私はグイグイ上がった。



※心配を掛けましたが、風邪は葛根湯と私の体力で完治しました。
今日も階段を上がってきました。もう大丈夫です。