高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

広島 5

2008年08月02日 09時10分47秒 | 出張

20080801080204 昨日、このブログを書き上げた後、三越までの道のりで何軒、お好み焼き屋があるか?数えてみた。1.まずは東横インの目の前の「ちんちくりん」2.「越田」3.「へんくつや」4.「八昌」(此処は広島では一番有名な店でいつも行列が出来ている)5.「はま屋」6.「ほな」7.「鉄太」8.「しま」9.「あぜさん」10.「てんぱん横丁」11.「まいるー夢」12.「五エ門」13.「ふみちゃん」14.「みっちゃん」15.「徳川」  と何と500メートル位の間に15軒もあった。さすが広島はお好み焼き大国である。

81_002 そんな、バカなリサーチをして三越に到着。8月1日は三越の全体朝礼の日。私の展開している所に演題が持ち出され、全社員が店長の話を聞く。前月の売り上げ、最近のデパート業界の動向、お客様へのサービス、苦情、社員の言葉使いなど、などetc  。広島三越の店長は女性店長である。三越の歴史始まって以来の大抜擢だそうだ。東大出のキャリアウーマンといったところか?

営業が開始されてから、一人の女性が話しかけてきた「私、京都の伝統工芸学校を卒業して、今、卒業生数人で竹の工房をしています。ブログで広島三越に来ている事を知り見に来ました。」 実家が広島で丁度広島に帰っている時に私の展示会が重なった様だ。閉店後、晩御飯をご一緒したのだが、「学校を出てみたものの、職業として竹細工を維持していく難しさを痛切に感じている。何か、お話が聞ければ?」と言う事であった。私も隠す事は何一つ無いので、最近の消費動向や工房のシステム、これから如何したいか?などなど、その中で、一番判り易いのは、私が学校を卒業して自営を始めた頃の事を話してあげた。当時の竹工芸の状況などを交えて。

「下請け仕事をしながら、少しずつ自分の作品のレパートリーを増やして行き、昔はデジカメなど無いので、自分の作品を撮った写真を10枚づつ現像して、10冊のアルバムを作った。写真の横にサイズと製作単価を書いたアルバムを持って、あちらこちらの問屋やお店に飛び込みで営業を掛けた頃の事」

「職人として、物作りをすることは当たり前であった、職人と同時に経営者である事の自覚が無ければ生き残れない。」

「厳しい様だが、出来ないのなら、止めていくしかない!」

「学生気分でままごとをしているのでは無い!現実の世の中を竹工芸という職で生きていくのだから!」

などなど、伝えてあげたい事は山ほどあるが、結局は自分で失敗して、苦い思いをしながら乗り越えていくしかない。

今、丁度私の敬愛するイチローやさんの創業期が実体験に基づいて綴られているブログがある。http://dblog.dreamgate.gr.jp/user/e179/e179/category_4823.html

経営をすると言う事は大変な力と努力、忍耐、ひらめきがいる。簡単な事ではないのだが、やる気が無いのであれば脱落するしかない。決して、全人格を否定しているのでは無く、経営者に向いていないという事で、他の分野で活躍すれば良いのだ。

竹工房オンセ

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