本日の高住神社の状況です。
◆曇天(雪あり)
◆-3℃
昨夜は久しぶりに冷え込んだらしく、寒い寒いと思っていたら雪だったとFさんの談。
昨日も霧氷が見えたのですが、帰る頃には溶けてしまっていたので、今日こそはと急いで花見ヶ岩へ。
久々に花見ヶ岩から眺める雪景色。粉砂糖をふるったような山姿。(カメラの特性で、空の白さに明度が引っぱられるため、全体的に黒く写ってます)
厚い雪雲の合間からこぼれる日差しに照らされか、山から朝靄が発していました。
空に向かい、沸いては消えてゆく靄たち。
地上に降りた水分が、気化して大気へと戻ってゆき、また雪となり・・・の繰り返し。
そう考えると、我々は水の中で生きている、と言ってもおかしくないのかも。
目に見えないから気づかないだけで、雲、雪、靄のおりなす偶発的な自然現象に、海洋から進化したはずの陸上生物もまた、水の中で暮らしているのかも知れない・・・
などと深く考えているのか考えてないのか、見えない空気にも、実に多くの水が循環を繰り返しているんだなあ、と感じました。
参拝の足も正月を過ぎれば落ち着くもので、特段に寒の強い英彦山、今が最も人の少ない時期かも知れません。
その間に、正月に出た物の補充や、次の祭事に向けて準備の準備を進めたりしているのです。
「冬」というのは、種子が芽吹きのために、冷たい地面の下でじっと春を待つ時期。
春に「増える(増ゆ)」ための充電期間のこと。今はそんな時期なのかなと思います。
参拝者も雪解けを待って訪れようと、時期を見計らってじっと待っていることでしょう。
「元気な顔で春に会いましょう。」
互いに姿は見えなくとも、そんな予感で満ち溢れているのが冬。
ですから、冬というのは決して寂しい時期ではないのです。
今、中高・大学・専門学校の入試試験や各資格試験に向けて頑張っている人たちがいることでしょう。
"合格”という芽吹きのために、”知識”や”技能”という栄養を蓄えている、その最中だと思います。
それは今年の春に必ず芽吹くとも限りません。
ですが、来年の春には芽吹くかも知れませんし、蓄えた知識や技能が開花するのはもっと先かも知れませんが、それは着実に自分を成長させるための栄養となっているはずです。
春に爛漫と咲く花もあれば、夏の暑い盛りに咲かせる元気の良い花もあります。
しかし、晩秋に夕陽を浴びてそよぐ可憐な花もあれば、雪に耐え、真紅の大きな花弁を開かせる麗しい花もあります。
人生の芽吹きはいつ訪れるかは人それぞれ。
どうか蓄えた栄養を生かし、実りある人生を歩まれることを願います。
上の彼は雪の日にだけ現れるヒーロー、ライオン仮面。
ピンチのときは助けに来てくれます。
人生の冬にある皆に、幸あれ。