ゴールデンウイークもあっという間に過ぎて、今日は子供の日で最終日となりましたが、あいにくの雨となっています。
昨日は安土の沙沙貴神社へ行って来ましたが、他府県の車も何台かはありましたが、混み合うこともなく人影もまばらな状況でした。
帰りは湖周道路を帰って来ましたが、琵琶湖沿いの公園は全て閉鎖されていて、ところどころには警備員が警戒に当たっていました。
素晴らしいお天気でしたので、湖周道路はビワイチのチャリだーが大変多くて車の運転には気を遣います。
帰りに水生植物公園みずの森へ寄ろうとしたのですが、臨時休園となっていて、進入道路も封鎖されていました。
3回目の緊急事態宣言が出されてからは、県内の人の少ない所を探しながら撮影に出ています。
前回まで紹介してきた近江富士花緑公園をはじめ、先月26日には長浜市の総持寺の牡丹、1昨日には草津市の三大神社の藤、
昨日は近江八幡市安土町の沙沙貴神社へなんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)の花を見に行って来ました。
今日からは4月26日に出掛けた総持寺の牡丹の風景を何回かに分けて紹介していきます。
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1番の見頃を迎えた牡丹が迎えてくれました。
総持寺は滋賀県一のボタン寺として名高く、境内一面に植えられた牡丹は約80種類1000株。
冬の積雪に耐えて鮮やかに咲く花は、例年4月下旬から5月上旬が見ごろです。 牡丹が終わるころには、芍薬が花を咲かせます。
仁王門をくぐり、石畳を進むと広い境内の奥に本堂が見えます。
お堂の中には聖観音(重要文化財)をはじめ、たくさんの仏像がまつられ、ご本尊は薬師如来様で、西国薬師霊場31番札所となっています。
またこのお寺は、すぐ近くで生まれた小堀遠州と縁が深く、県名勝指定の遠州流庭園(江戸初期、池泉回遊式庭園)があります。
(長浜・奥びわ湖・米原を楽しむ観光情報サイトより)
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総持寺の沿革
聖武天皇の勅令により行基菩薩が国分寺の試寺として開かれたのがはじまりです。
室町時代に実済法印が後花園天皇の勅願と、足利義政公から600石の朱印を賜り諸堂宇を建立しました。
姉川合戦のころ、信長の兵火にあい、七堂伽藍は焼失。豊臣秀吉の寺領寄進で復興し、徳川綱吉公も帰依しました。
真言宗豊山派の地方本山であり、江戸時代は学問所として栄えました。(総持寺HPより)
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これは帰りに撮った写真ですが、この日総持寺で見かけたのはこの方々と他に1名のみでした。
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本堂前の牡丹。
境内を奥に進むと牡丹園があります。
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変わった花を咲かせる牡丹がありました。
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撮影にはベンチが余計ですが、休憩するには木陰の良い所です。
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この日はいい天気でしたが、強い風で撮影はしにくかったです。
帰りの琵琶湖は、まるで海のような大きな波が打ち寄せていました。
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あまりにも天気が良すぎて、日陰の牡丹の方が落ち着いた雰囲気になります。
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黄色の牡丹も多く咲いてました。(長谷寺のぼたん祭りは中止のようで、行かなくて良かったです)
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ここ総持寺には随分前に一度訪ねています。(もう10年以上も前か?)
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次回に続きます。
撮影日 2021年4月27日
撮影地 医王山 総持寺(滋賀県長浜市)
機 材 Nikon D4S
Nikon D810
AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED
AFS VR Zoom-NIKKOR ED 70-200mm F2.8G (IF)
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