濃霧だから額(ぬか)に光輝を覚えるのだ 兜太
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昭和61年発刊「皆野」より。
私は年に1,2回、2000メートルを越える山に出かけていますが、
山で一番怖いのが「霧」です。
木曽駒が岳で霧にまかれて、道を逸れてしまい、
とうとう道なき道になり、
真っ暗な夜、川の音を頼りに下山したことがあります。
登山口に着いた時は夜10時で、
疲労困憊よく無事で帰れたとぞっとしたことがありました。
それ以来、山に霧が湧き出すと神経がさっと集中して警戒します。
迷うような分岐点はないか、
大丈夫か、ここはちょっとまずいとか
思わず警戒しています。
わたくしが集中して警戒することを兜太さんは
「額(ぬか)に光輝を覚える」と表現をしています。
「光輝」はいかにも清々しい、生命の輝きがありますね。
いい言葉だなあって思いました。
「覚えるのだ」は乱暴な男言葉の、
兜太さん独特の雰囲気のある口調ですが、
こう言われてしまうと、
思わずあの山の警戒も、うむ、「光輝」だって返したくなります。
虚子が「去年今年貫く棒のごときもの」と詠む、
「貫かれた棒」にある力強さを感じ取りますが、
兜太さんは逆境の中生きぬく姿勢の、力強さ、明るさを詠まれ、
「光輝」に、わたしは励まされる思いがするのです。
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昭和61年発刊「皆野」より。
私は年に1,2回、2000メートルを越える山に出かけていますが、
山で一番怖いのが「霧」です。
木曽駒が岳で霧にまかれて、道を逸れてしまい、
とうとう道なき道になり、
真っ暗な夜、川の音を頼りに下山したことがあります。
登山口に着いた時は夜10時で、
疲労困憊よく無事で帰れたとぞっとしたことがありました。
それ以来、山に霧が湧き出すと神経がさっと集中して警戒します。
迷うような分岐点はないか、
大丈夫か、ここはちょっとまずいとか
思わず警戒しています。
わたくしが集中して警戒することを兜太さんは
「額(ぬか)に光輝を覚える」と表現をしています。
「光輝」はいかにも清々しい、生命の輝きがありますね。
いい言葉だなあって思いました。
「覚えるのだ」は乱暴な男言葉の、
兜太さん独特の雰囲気のある口調ですが、
こう言われてしまうと、
思わずあの山の警戒も、うむ、「光輝」だって返したくなります。
虚子が「去年今年貫く棒のごときもの」と詠む、
「貫かれた棒」にある力強さを感じ取りますが、
兜太さんは逆境の中生きぬく姿勢の、力強さ、明るさを詠まれ、
「光輝」に、わたしは励まされる思いがするのです。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm