夏の山国母老いてわれを与太と言う 兜太
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昭和61年、「皆之(みなの)」より
。
与太というのは愚か者と言う意味。
兜太さんの父君は医者でありながら
伊昔紅という俳人でもあった。
碧梧桐系に属していたと聞く。
幼少の頃に家で村人を集めて、よく句会が開かれたらしい。
そして、句会のあとはきまって酒を飲み、
句をだしに喧嘩になったと聞く。
幼少のその頃から、
お母さんに「俳句だけはやってはダメだ、
あれは与太のやることだからね」と言われていたと言う。
(「二度生きる」より)
兜太さんの母君はいまもご健在と聞いている。
兜太さんが82歳でいらっしゃるから、
母君では、すでに100歳を越えられていることであろう。
この句を作られた時でも、
80歳は越えていられたと思う。
そのお母さんが兜太さんへ「与太、与太」と呼ぶと言うのだから
まったく愉快、豪快な話である。
それをまた、こうして一句にする、作者も豪快である。
「われを与太と言う」には
母君の、歳をとっても子どもに負けていない、自尊がある。
その元気のいい母君が
与太」と呼ぶのを、
兜太さんはとても爽快に思っているのである。
それが「夏の山国」によく出てい
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昭和61年、「皆之(みなの)」より
。
与太というのは愚か者と言う意味。
兜太さんの父君は医者でありながら
伊昔紅という俳人でもあった。
碧梧桐系に属していたと聞く。
幼少の頃に家で村人を集めて、よく句会が開かれたらしい。
そして、句会のあとはきまって酒を飲み、
句をだしに喧嘩になったと聞く。
幼少のその頃から、
お母さんに「俳句だけはやってはダメだ、
あれは与太のやることだからね」と言われていたと言う。
(「二度生きる」より)
兜太さんの母君はいまもご健在と聞いている。
兜太さんが82歳でいらっしゃるから、
母君では、すでに100歳を越えられていることであろう。
この句を作られた時でも、
80歳は越えていられたと思う。
そのお母さんが兜太さんへ「与太、与太」と呼ぶと言うのだから
まったく愉快、豪快な話である。
それをまた、こうして一句にする、作者も豪快である。
「われを与太と言う」には
母君の、歳をとっても子どもに負けていない、自尊がある。
その元気のいい母君が
与太」と呼ぶのを、
兜太さんはとても爽快に思っているのである。
それが「夏の山国」によく出てい
参照
http://www.shuu.org/newpage24.htm