竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

鮎食うて旅の終わりの日向ある  兜太

2018-06-28 | 金子兜太鑑賞
鮎食うて旅の終わりの日向ある  兜太





昭和57年、「猪羊集」より。

鮎は清流に住む魚なので、
ここの旅というのは、山に深く入っていたのであろう。
その旅の終わりの一句なのである。
鮎は、その旅先を暗示するものであるだけでなくて
その旅の心象すらもうまく託してあるように思う。
鮎はマグロなどと違って白身の魚であり
淡白で、
そして香りのある魚である。
とてもいい旅だったのではないだろうか。
鮎は夏の魚であるから、その日向はくっきりと濃い日差しである。
兜太さんは、心地よいいい旅をした果てに鮎を食べながら、
日向のくっきとした自分の影を見ながら、憮然としているのである。
ただ、ふつう、こうした場合「
鮎食うて旅の終わりの日向かな」となるのではないだろうか。
「日向ある」とはちょっと奇妙な締めようである。
「る」の発音は内にこもり、外に発散しない。
そこに、私は、旅の終わりの「ああ、
終わってしまったなあ」という作者の鬱を読む。
俳句は一句屹立、
自分から切り離して句にするのが従来の
作法であるかも知れないけれど、
兜太さんの場合は個のありようをそのまま、
ありのまま句に放下して、
それを読んでくれる人と共有するのである。
「旅の終わりはそんなもんだ、
同情するよ」と言ってもらいたいのである。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm