新涼やさらりと乾く足の裏 (日野草城)
新涼 (秋の季語:時候 涼新た(りょうあらた)秋涼 秋涼(しゅうりょう)● 季語の意味・季語の解説
夏の季語「涼し」は、暑さの中で感じる夕暮れ時や水場などの貴重な涼しさである。
これに対し、秋の季語「新涼」は、秋の訪れとともに、暑さが弱まっていくことで感じられるようになった確かな涼しさである。
新涼という季語には秋らしいさらっとした爽やかさがある。
なお、江戸時代の俳句には「新涼」の語を用いたものはほとんどなく、秋涼しの季語を用いたものが多いようだ。
文台の扇ひらけば秋涼し (近藤呂丸)
秋涼し雨の過行く雄上川 (三浦樗良)
● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方
夏の季語「涼し」は、前後にある真夏の暑い時間を強く感じさせます。
日差し、汗、生き物の活発なうごめきなどを、涼しさと隣り合わせに感じます。
これに対し、秋の季語「新涼」は、前後の時間と一続きになっている安定した涼しさを感じさせます。
新涼という季語からは、汗臭さの無い、さらりと透明感のある大気を感じ取ることができます。
秋の涼しさを俳句に詠むときは、そんな「さらりとした透明感」を生かすようにしたいものです。
新涼の浪ひるがえり蜑が窓 (水原秋櫻子)
蜑=あま。海で魚介類や海藻を採ることを生業とする人。
新涼や白きてのひらあしのうら (川端茅舎)
新涼の画を見る女画の女 (福田蓼汀)
画=「え」と読む。
新涼の水の浮かべしあひるかな (安住敦)
新涼や尾にも塩ふる焼肴 (鈴木真砂女)
新涼の伐るべき竹に印つけ (福田甲子雄)
次の句は、上の季語随想にも載せた私の俳句ですが、「さらりとした透明感」が詠めているでしょうか?
パレットに恐竜の色涼新た (凡茶)
ところで、恐竜が実際にはどんな色をしていたかなんて、誰にもわからないんだそうです。
参照 http://haiku-kigo.com/article/138048702.html
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