いざ子ども 走りありかん 玉霰
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元禄2年11月1日、良品<りょうぼん>亭にて。
良品は伊賀上野藩士友田角左衛門。
後に、町奉行などをつとめた。
彼の妻智周は、伊賀蕉門の小川風麦の娘で俳号梢風。
この歌仙には、良品夫婦、山岸半残、服部土芳が連なった。
当時みな若くはつらつとしていたのである。
霰が降ってきた。さあ子供たちよ外に出て走ろう。
はずむような健康的で明るい句である。
この子供は良品の子供たちではなくて、
一座に連なった若い弟子たち を指しているのだといわれている。
:芭蕉のこの句は不知であった
一茶か良寛か
句材の間口はほとんど無制限に広いのだとつくづく思う
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元禄2年11月1日、良品<りょうぼん>亭にて。
良品は伊賀上野藩士友田角左衛門。
後に、町奉行などをつとめた。
彼の妻智周は、伊賀蕉門の小川風麦の娘で俳号梢風。
この歌仙には、良品夫婦、山岸半残、服部土芳が連なった。
当時みな若くはつらつとしていたのである。
霰が降ってきた。さあ子供たちよ外に出て走ろう。
はずむような健康的で明るい句である。
この子供は良品の子供たちではなくて、
一座に連なった若い弟子たち を指しているのだといわれている。
:芭蕉のこの句は不知であった
一茶か良寛か
句材の間口はほとんど無制限に広いのだとつくづく思う
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