フェスティバルホールにアンドリスネルソンス指揮ボストン交響楽団
の演奏会を聴きに行った。
最初に演奏されたのはバイオリン独奏ギルシャハムさんで
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲
第一楽章
ふわっとした曲の開始。
弦の音が深いと感じる。
管楽器も味わい深い音。バイオリンのソロがしみじみとテーマを歌う。
バイオリンは堅実でよく歌っている。
譜割が細かいところもとても正確に音が出ている。
悲しく歌うところもセンチメンタルになりすぎることがない。
素晴らしいバイオリンの独奏と思う。
バイオリン独奏のシャハムさんが曲想に応じて
指揮者と自分の立ち位置の距離をつめたり離したりしているのが
印象的。
途中でシャハムさんは演奏の主導権を特に自分が
握りたいときに指揮者との距離を詰めることに
気づく。
指揮者のギリギリまでシャハムさんが歩み寄って
自分でオーケストラを指揮しながらバイオリンを演奏している感じ。
こういう場面にはじめて気づいて勉強になった。
オーケストラのみでテーマを壮大に奏でるところも
やかましくはなりすぎずうまかった。
シャハムさんが、積極的にアクションを起こすので
バイオリン独奏とオーケストラの息もよくあっていた。
カデンツァは僕の言葉ではとても言い表すことが
できないくらい素晴らしかった。
カデンツァの直後に出たフルートの美しいメロディにうっとりした。
楽章の終盤になってくるとすっかり演奏にひきこまれている
自分がいることに気づく。
楽章の終わりでテンポをあげていって終わる様も素晴らしかった。
第二楽章
管楽器がしみじみとややドライに響く。
バイオリン独奏は悲しげに歌うけれどセンチメンタリズムにおぼれることはない。
楽章の途中でこれだけ大きなコンサートホールで
バイオリンソロがけっこう小さい音を出していて
それでもしっかりその音が耳に聴こえてくることに気づく。
素晴らしいなと思う。
第三楽章
バイオリンソロは硬派の音という印象だけれど
それがとても耳に心地よい。シャハムさんが体重移動のときに
ふむステップの音が時々聴こえてくる。
それもまた耳に心地よい。
ロシア民謡の要素がたっぷりと入った副主題も
シャハムさんはとてもうまく弾かれる。
うまいという言葉しか浮かばない。
管楽器は全体にドライな音に聴こえるけれど
それがまた素晴らしいことに思われる。
バイオリンソロはすごい気迫なのに
それで演奏がうるさく聴こえることは決してない。
そこが素晴らしいと思う。
やはりこの楽章でもシャハムさんが特に演奏の主導権を
取りたいときには指揮者の方に自分の体を
接近させていくことが僕にはとても素晴らしいことに思えた。
全体に中身のとても引き締まった素晴らしい演奏だったなと思う。
これだけの演奏滅多に聴けないと思った。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのがショスタコービチの交響曲第11番
第一楽章
冒頭、高音域がはっきり出ているけれどドライな感じに音が出てきて
なんかいいなと思う。
トランペットの音も遠くから聴こえてくるような感じで
とても美しい。
金管楽器はなんかとてもうまくミュートがかかっている感じで素晴らしいなと思う。
オーケストラは全体に一つ一つの音を丁寧に出している感じ。
フルートの音も乾いた感じだけれどそれがとても美しい。
音楽は勢いを増したり減じたりするけれど絶えずなにかを
圧し殺すように鳴っている。
なんかずっとなにかを圧し殺したような演奏が続いていくけれど
それに僕自身が引き込まれていくことを感じる。
第二楽章
音楽がもぞもぞと動き始める。
音楽が高揚してくると悲痛さ、怒り、それとも一体これは何だろう
という情感が音楽を支配し始める。
今、聴いている音楽が内に秘めているものは一体何なんだろう
と聴き手に思わせるところがショスタコービチの音楽の
大きな特色のひとつだと感じる。
音楽の音量がクライマックスに達したときの気持ちは
どう表現したらいいのか言葉を失ってしまう。
楽章の最後の方はプログラムの解説に軍隊の一斉射撃の描写と書いてあるけれど
壮絶な音楽だなと思う。
大太鼓やいろんな打楽器が強く鳴り出すと
本当にこれが人間の書いた音楽なのだろうかと
その壮絶さに驚き途方にくれてしまう。
第三楽章
ビオラのメロディが決して明るくはないかと言って
悲しくもない、あきらめでもない、
言葉には表せない思いをたたえている。
ずっとゆっくりと音楽が展開していく。
曲想によって感じはことなってくるけれど
いつもなにかを圧し殺しているような雰囲気が漂っている。
楽章の後半になると音量が大きくなってくる。
怒りなのか恐怖なのか判別できない雰囲気が音楽に漂う。
第四楽章
最初は遅めのテンポで金管が鳴る。
しかし、それを受ける弦の動きは速い。
その速い勢いで音楽が突き進んでいく。
フルートのおとは転げ回りながら悲鳴をあげているように聴こえる。
音楽の勢いが高まってくるとこの曲はいったい
このような勢いでどこへ突き進んでいるのだろうという感じにとらえられる。
ドストエフスキーの悪霊という小説の冒頭に
豚の群れが崖から湖に下って溺れるところの記述が
新約聖書のルカによる福音書から引用されているけれど
一瞬そのことが心をよぎった。
音楽がもっと進むと行進曲風のイメージになってきて
少し光がさすようにも思える。
しかし、光が見える一歩手前でまた音楽は怒り、恐怖
そういった局面に戻る。
光が見えかけてはかくれながら音楽は進んでいく。
こんな音楽を書ける人はショスタコービの他にいないと思う。
音楽がゆっくりになって木管のメロディになるとなんかしばしの
休息、安らぎという感じになる。
オーボエがしみじみとゆっくりメロディを歌うところは
ききほれてしまうけれどその気分が大太鼓の打撃でまた
がらっと変わってしまう。
音楽の終盤は壮絶な勢いで進む。
この音楽は一体どこへ向かうのだろう。
そんな思いを僕の心に残しつつ音楽が終わる。
僕の放心状態がまだ覚めないうちに、
どなたかがフライイング気味の拍手をなさったのかもしれない。
曲が終わったか終わらないかのうちに拍手のおとが鳴り
それにどなたかがつられて拍手をなさり
一瞬拍手のおとが止まりかけて、また拍手が鳴り出す
という、拍手のおともなにか微妙な感じだった。
そういうのもふくめてショスタコービチなのかもしれない。
約一年三ヶ月ぶりにフェスティバルホールで音楽が
聴けて本当によかったと思う。
の演奏会を聴きに行った。
最初に演奏されたのはバイオリン独奏ギルシャハムさんで
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲
第一楽章
ふわっとした曲の開始。
弦の音が深いと感じる。
管楽器も味わい深い音。バイオリンのソロがしみじみとテーマを歌う。
バイオリンは堅実でよく歌っている。
譜割が細かいところもとても正確に音が出ている。
悲しく歌うところもセンチメンタルになりすぎることがない。
素晴らしいバイオリンの独奏と思う。
バイオリン独奏のシャハムさんが曲想に応じて
指揮者と自分の立ち位置の距離をつめたり離したりしているのが
印象的。
途中でシャハムさんは演奏の主導権を特に自分が
握りたいときに指揮者との距離を詰めることに
気づく。
指揮者のギリギリまでシャハムさんが歩み寄って
自分でオーケストラを指揮しながらバイオリンを演奏している感じ。
こういう場面にはじめて気づいて勉強になった。
オーケストラのみでテーマを壮大に奏でるところも
やかましくはなりすぎずうまかった。
シャハムさんが、積極的にアクションを起こすので
バイオリン独奏とオーケストラの息もよくあっていた。
カデンツァは僕の言葉ではとても言い表すことが
できないくらい素晴らしかった。
カデンツァの直後に出たフルートの美しいメロディにうっとりした。
楽章の終盤になってくるとすっかり演奏にひきこまれている
自分がいることに気づく。
楽章の終わりでテンポをあげていって終わる様も素晴らしかった。
第二楽章
管楽器がしみじみとややドライに響く。
バイオリン独奏は悲しげに歌うけれどセンチメンタリズムにおぼれることはない。
楽章の途中でこれだけ大きなコンサートホールで
バイオリンソロがけっこう小さい音を出していて
それでもしっかりその音が耳に聴こえてくることに気づく。
素晴らしいなと思う。
第三楽章
バイオリンソロは硬派の音という印象だけれど
それがとても耳に心地よい。シャハムさんが体重移動のときに
ふむステップの音が時々聴こえてくる。
それもまた耳に心地よい。
ロシア民謡の要素がたっぷりと入った副主題も
シャハムさんはとてもうまく弾かれる。
うまいという言葉しか浮かばない。
管楽器は全体にドライな音に聴こえるけれど
それがまた素晴らしいことに思われる。
バイオリンソロはすごい気迫なのに
それで演奏がうるさく聴こえることは決してない。
そこが素晴らしいと思う。
やはりこの楽章でもシャハムさんが特に演奏の主導権を
取りたいときには指揮者の方に自分の体を
接近させていくことが僕にはとても素晴らしいことに思えた。
全体に中身のとても引き締まった素晴らしい演奏だったなと思う。
これだけの演奏滅多に聴けないと思った。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのがショスタコービチの交響曲第11番
第一楽章
冒頭、高音域がはっきり出ているけれどドライな感じに音が出てきて
なんかいいなと思う。
トランペットの音も遠くから聴こえてくるような感じで
とても美しい。
金管楽器はなんかとてもうまくミュートがかかっている感じで素晴らしいなと思う。
オーケストラは全体に一つ一つの音を丁寧に出している感じ。
フルートの音も乾いた感じだけれどそれがとても美しい。
音楽は勢いを増したり減じたりするけれど絶えずなにかを
圧し殺すように鳴っている。
なんかずっとなにかを圧し殺したような演奏が続いていくけれど
それに僕自身が引き込まれていくことを感じる。
第二楽章
音楽がもぞもぞと動き始める。
音楽が高揚してくると悲痛さ、怒り、それとも一体これは何だろう
という情感が音楽を支配し始める。
今、聴いている音楽が内に秘めているものは一体何なんだろう
と聴き手に思わせるところがショスタコービチの音楽の
大きな特色のひとつだと感じる。
音楽の音量がクライマックスに達したときの気持ちは
どう表現したらいいのか言葉を失ってしまう。
楽章の最後の方はプログラムの解説に軍隊の一斉射撃の描写と書いてあるけれど
壮絶な音楽だなと思う。
大太鼓やいろんな打楽器が強く鳴り出すと
本当にこれが人間の書いた音楽なのだろうかと
その壮絶さに驚き途方にくれてしまう。
第三楽章
ビオラのメロディが決して明るくはないかと言って
悲しくもない、あきらめでもない、
言葉には表せない思いをたたえている。
ずっとゆっくりと音楽が展開していく。
曲想によって感じはことなってくるけれど
いつもなにかを圧し殺しているような雰囲気が漂っている。
楽章の後半になると音量が大きくなってくる。
怒りなのか恐怖なのか判別できない雰囲気が音楽に漂う。
第四楽章
最初は遅めのテンポで金管が鳴る。
しかし、それを受ける弦の動きは速い。
その速い勢いで音楽が突き進んでいく。
フルートのおとは転げ回りながら悲鳴をあげているように聴こえる。
音楽の勢いが高まってくるとこの曲はいったい
このような勢いでどこへ突き進んでいるのだろうという感じにとらえられる。
ドストエフスキーの悪霊という小説の冒頭に
豚の群れが崖から湖に下って溺れるところの記述が
新約聖書のルカによる福音書から引用されているけれど
一瞬そのことが心をよぎった。
音楽がもっと進むと行進曲風のイメージになってきて
少し光がさすようにも思える。
しかし、光が見える一歩手前でまた音楽は怒り、恐怖
そういった局面に戻る。
光が見えかけてはかくれながら音楽は進んでいく。
こんな音楽を書ける人はショスタコービの他にいないと思う。
音楽がゆっくりになって木管のメロディになるとなんかしばしの
休息、安らぎという感じになる。
オーボエがしみじみとゆっくりメロディを歌うところは
ききほれてしまうけれどその気分が大太鼓の打撃でまた
がらっと変わってしまう。
音楽の終盤は壮絶な勢いで進む。
この音楽は一体どこへ向かうのだろう。
そんな思いを僕の心に残しつつ音楽が終わる。
僕の放心状態がまだ覚めないうちに、
どなたかがフライイング気味の拍手をなさったのかもしれない。
曲が終わったか終わらないかのうちに拍手のおとが鳴り
それにどなたかがつられて拍手をなさり
一瞬拍手のおとが止まりかけて、また拍手が鳴り出す
という、拍手のおともなにか微妙な感じだった。
そういうのもふくめてショスタコービチなのかもしれない。
約一年三ヶ月ぶりにフェスティバルホールで音楽が
聴けて本当によかったと思う。