今日は自宅の近くのR宮にお参りに行った。
もみじがどんな感じか見るのも兼ねてお参りした。
ちょうど緑から紅のグラデーションが出揃ったタイミングだった。
先週行ったときはまだ紅くなりかけたところという感じだったけれど
今日は紅いところは完全に紅くなっていて緑のところは
まだ全然緑というタイミングだったのでよかったなあと思った。
宮司さんが七五三の祝詞をあげておられた。
最初はかけまくもかしこしいざなぎのおおかみで
はじまる一般的な祝詞でその次に七五三に特化した
祝詞をお読みになった。
青竹のごとくすこやかに育たんことをというような
言葉が入っている。
宮司さんよく声が出ているなあとおもって聞いていた。
境内では地元のボランティアの方がお宮に来られたかたに
いろいろ境内の説明をしておられた。
僕もなにげにちょっと離れた場所からそれを聞いていると
鳥居の手前の石柱にはこれより西はお宮の神領につき
守護は入らない。という意味のことがかかれていると
ボランティアの方は説明しておられた。
説明を聞いた上で石柱の漢字をもう一度読んでみると
本当にボランティアの方がせつめいされた通りの文字が
書いてある。
そうかこのお宮から西は昔は神領だったのかと思った。
神領という文字が経年劣化で読みづらくなっていて
気づかなかった。
ちなみに守護が入らないというときの守護は
鎌倉時代の守護、地頭の守護なので文字通り後守護がない
という意味ではない。
桜の紅葉はもうほとんど終わっていた。
R宮の通用門ちかくにある駅前喫茶TT さんの柿の木を
見たら実が全くなかった。
去年はたくさん実っていて結局刈り取ることもなく
そのままだったのにと思った。
その話をR宮通用門前のラウンジのママにしたら
「そういえば去年はたくさん実ってましたね
私も覚えてます。今年はひょっとして実らなかったんじゃないですか」と
おっしゃった。
そういえばそんなような気がしてきた。
気のようすをみるとどこにも柿が実ったような気がしない。
ちょっとネットで調べてみたら
柿がよく実った次の年に実らないのはよくある話
というようなことが書いてあった。
子供の頃は柿の木のある家で育ったのにそんなことにも
気づかなかったのかと思った。
もみじがどんな感じか見るのも兼ねてお参りした。
ちょうど緑から紅のグラデーションが出揃ったタイミングだった。
先週行ったときはまだ紅くなりかけたところという感じだったけれど
今日は紅いところは完全に紅くなっていて緑のところは
まだ全然緑というタイミングだったのでよかったなあと思った。
宮司さんが七五三の祝詞をあげておられた。
最初はかけまくもかしこしいざなぎのおおかみで
はじまる一般的な祝詞でその次に七五三に特化した
祝詞をお読みになった。
青竹のごとくすこやかに育たんことをというような
言葉が入っている。
宮司さんよく声が出ているなあとおもって聞いていた。
境内では地元のボランティアの方がお宮に来られたかたに
いろいろ境内の説明をしておられた。
僕もなにげにちょっと離れた場所からそれを聞いていると
鳥居の手前の石柱にはこれより西はお宮の神領につき
守護は入らない。という意味のことがかかれていると
ボランティアの方は説明しておられた。
説明を聞いた上で石柱の漢字をもう一度読んでみると
本当にボランティアの方がせつめいされた通りの文字が
書いてある。
そうかこのお宮から西は昔は神領だったのかと思った。
神領という文字が経年劣化で読みづらくなっていて
気づかなかった。
ちなみに守護が入らないというときの守護は
鎌倉時代の守護、地頭の守護なので文字通り後守護がない
という意味ではない。
桜の紅葉はもうほとんど終わっていた。
R宮の通用門ちかくにある駅前喫茶TT さんの柿の木を
見たら実が全くなかった。
去年はたくさん実っていて結局刈り取ることもなく
そのままだったのにと思った。
その話をR宮通用門前のラウンジのママにしたら
「そういえば去年はたくさん実ってましたね
私も覚えてます。今年はひょっとして実らなかったんじゃないですか」と
おっしゃった。
そういえばそんなような気がしてきた。
気のようすをみるとどこにも柿が実ったような気がしない。
ちょっとネットで調べてみたら
柿がよく実った次の年に実らないのはよくある話
というようなことが書いてあった。
子供の頃は柿の木のある家で育ったのにそんなことにも
気づかなかったのかと思った。