ケンのブログ

日々の雑感や日記

四月十二日

2018年04月12日 | 日記
岐阜の実家に帰ってきた。
二年四ヶ月ぶり。
十九才で実家を出てからの最長不倒記録。
今まで最低年に一回は帰っていたから。
大阪の最寄り駅から東海道本線の在来線で岐阜へ。
電車が80分くらい遅れていたけれど
80分遅れの電車が調度予定していたくらいの時間に来て
次々80分程度遅れた電車にのったら
結局大体予定していた時間についたという
東海道本線ではよくあるパターン。
北海道の田舎の鉄道のように
一日五本しか電車というかジーゼルカーが走っていないところでは
こういうわけにはいかない。
なにも北海道のいなかを持ち出さなくても
岐阜県のローカル線もにたようなものだけれど、、、。
僕は小学校の頃から東海道本線
東京駅から神戸駅までと覚えているけれど
国鉄からJRになってから東海道本線の名前は
残っているけれど駅の表示は京都線、琵琶湖線、湖西線
となっているのでちょと勘が狂ってしまう。
しかし、今日琵琶湖の西を通って近江今津行きの電車が
京都駅に停車していて湖西線と表示されていた。
これから京都駅では湖西線にのったら福井県に行ってしまう。
岐阜県に行くには琵琶湖線と覚えておこう。
記憶も新しい時代に置き換え保存をしないと
駅でうろたえるはめになってしまう。
今回がいい機会になった。
米原まで来たとき特急しらさきが停車していて
各駅停車はしらさぎの十分後くらいの発車だった。
各駅停車は大垣行きだから岐阜へ行くには
さらに大垣で乗り換えて穂積、西岐阜、岐阜と経なければならない。
今日は電車も遅れていることだしどうしようと思った。
各駅停車はしらさきのあと十分後に参りますと言っていた
駅員さんにしらさぎで米原から岐阜まで行くと特急料金は
おいくらですかと聞くと
私は営業担当ではありませんので車掌に聞いてくださいとのお答え。
最近はJRに限らずどの会社も業務が細分化されて
自分の担当業務のことしか答えられなくなっている。
僕もつらいけれども駅員さんも答えられないのはつらいと思う。
中島みゆきのホームにてという歌の歌詞に
ふるさとに向かう最終に乗れる人は急ぎなさいと
やさしい やさしい声の駅長が町中に叫ぶ
というくだりがあるけれど今時そんな駅長さんや駅員さん
実際にはいないと思う。
中島みゆきの出身地北海道のローカル線なら話は別かもしれないけれど。
でもやっぱり中島みゆきの歌っていいなと思う。
鉄道を志す人なら中島みゆきの歌にでてくるような駅員さんを
あこがれると思うのだけれど、こんなに業務の細分化された
世の中では夢は夢のままかもしれない。
車掌さんに聞いてくださいと言われても車掌さんは
最後尾の車両の車掌室までいかないとつかまらない。
そこまでたどりつくうちに電車が発車してしまったらどうするんだ
と思いつつも電車の最後尾まで歩いていく。
車掌室には女性の車掌さんがいてマイクを持って
これから車内アナウンスをするところだった。
車内アナウンスの前に声をかけたらまずいかなと思いつつも
ここでためらって電車が発車してしまっても嫌だなあと思い
すみません、と僕が言うと車掌さんはアナウンスしようとする
手を止めて僕の方に目を向けてくださった。
岐阜までこれに乗っていったら特急料金はいくらですかとたずねると
750円ですと即答された。
「その程度の料金ならこれに乗っていきます。今日は
電車も遅れてますしね」と僕は言った。
「そうですね」と車掌さんは言った。
見ると最後尾が自由席になっている。
「自由席に乗ります。料金は電車が発車してから車内で払います」と僕は言った。
「そうですね。発車したら車内に参りますので」と車掌さんは言った。
ほどなくして電車は発車。
そしてまたほどなくしてさきほどの車掌さんがいらしたので
「750円ですね。新幹線の特急料金より
ずいぶん安い気がします」と僕は言った。
「新幹線より時間がかかりますので」と車掌さんは言った。
「乗車券は?」と車掌さんが言ったので
「いや、乗車券は持ってますよ」と僕は言った。
「いいえ、乗車券を拝見します」と車掌さんは言った。
ああ、そうか乗車券の拝見か
ここ5年以上新幹線や特急には一度ものってないので
こういうときの順序を忘れてしまっている自分がいることに気づく。
乗車券と特急券がセットで機能するから
車掌さんも乗車券の確認もせずに特急券だけ売るわけにはいかない。
車掌さんは乗車券に印を押して特急券を販売してくれた。
「特急券は機械を通りませんので降りたら駅員にお渡しください」と車掌さんは言った。
「はい」と僕は言ったけれど、岐阜駅では乗車券だけ機械に通して
特急券は持ち帰ってしまった。
なんか今時、機械を通らない切符もめずらしいと思って。
しらさぎが米原を出て走り始めたとき
在来線の特急に乗るのは大阪を朝の10時に出て秋田に夜の8時につく
特急白鳥にのって以来23年ぶりだなと記憶がはっきりとよみがえった。
あのとき秋田についたらおしりがヒリヒリして
秋田のビジネスホテルのユニットバスの鏡で振り向いてみたら
おしりの皮が向けていた。
10時間も特急の座席でゆられているとおしりの皮もむけるんだなと
しみじみとあのときは思った。
その特急白鳥もいまはもうない。
それにしても つばめ はと 雷鳥 しらさぎ はつかり かもめ
国鉄の特急の名前は美しいなと思う。
国鉄のシンボル的な特急がつばめでそれで国鉄スワローズ
それがヤクルトに受け継がれて東京ヤクルトスワローズ
なんかこういう伝統っていいなと思う。
僕が子供の頃一時ヤクルトアトムズと名乗っていた時代があったけれど、、、。
あのころは鉄腕アトムにみんな夢中になっていた。
大垣近くまで来るとなんか濃尾平野だなと車窓をみていてそう思う。
大垣を過ぎて揖斐川の鉄橋をわたると帰ってきたなと思う。
長良川の鉄橋をわたるとさらに懐かしさが込み上げてくる。
岐阜の駅を降りたら駅前エスカレーターで二人のおばさんが
完璧な岐阜の言葉を話していた。
ふるさとのなまりなつかし
停車場の人ごみの中にそを聞きに行く
石川啄木の歌を思い浮かべる。
石川啄木は東北弁、僕は岐阜弁だけれど
ふるさとのなまりがなつかしい気持ちにかわりはないような気がする。
停車場というのも同じシチュエーションだ。
もっとも僕の記憶違いかもしれないけれど
石川啄木の歌は東京の東北本線の起点、上野駅に
東北弁を聞きに行くというシチュエーションだったと思う。
20年以上前、仙台から東北新幹線に乗って上野まで来たら
ホームの上は東北弁が飛び交っていた
そして、そのホームのはしに来たら
ふるさとのなまりなつかし
停車場の人ごみの中にそを聞きに行く
という石川啄木の歌の碑があった。
蒸気機関車の車輪の形をした碑だった。