ケンのブログ

日々の雑感や日記

べらんめえ調

2018年04月01日 | 日記
ネットのカレンダーを見て今日がイースターと知る。
イースターは一般的には春分の日のあとの最初の満月のあとの
日曜日ということなのでそういわれれば今日がイースターかと思う。
キリスト教の世界ではきっとクリスマスより大切なのかも知れないけれど
日本はハロウィン バレンタインいろいろと異国のお祭りを
取り入れて商業的に盛り上げているのにイースターはさっぱりだ。
今日もコンビニとか100円ショップとかいったけれど
イースターの飾りつけをしたりその商品を売っている店は
まったく見かけなかった。
それはイースターはイエスが復活したというキリスト教の教義に
密接に結び付くから商業ベースで盛り上げるということは
できないのだろう。
「きょうはイエス様が復活なさった日だって」と言ったら
やっぱりちょっと異国の宗教にかぶれているのかなというイメージになってしまう。
それは日本人の一般的感覚から考えてやはりちょっとまずいような気がする。
東京オリンピックに向けてイスラム教の習慣に対応するような準備も
整えているのにそのあたりのどれがよくてどれがまずいか
という線引きの定義を抽象的に定めることはきっと無理なのだろう。
しかし、個々の事例にあたればこれはセーフこれはアウトという
判断は可能なのだろう。その辺りが私たち日本人の思考の
柔軟性と言うことなのだろう。
僕もイエスの数々の言葉をとくに復活という教義を持ち出さなくても
共感できるものはすっと共感できるような気がする。
ただ、最近これはとても奥が深いなと思うのは
富んでいるものが天国に入るよりもらくだが針の穴を通る方が
たやすいという主旨のイエスの言葉。
確かにそうだと思う側面もあるけれど
まったく富がなくなってしまえば人間、飢え死にしてしまうか
お金に困って万引きでもして刑務所で養ってもらうとか
そういう突拍子もない判断になってしまうと思う。
実際チャップリンの映画でチャップリンが警察官の見ている前でわざと
無銭飲食をしてどうぞおまわりさん捕まえてくださいというシーンがある。
あれを見たときには深く考え込んでしまった。
先日、新聞で万引きの再犯を繰り返す人はお金に困って
どうしようもなくやってしまうという記事を読んだときには
チャップリンの芸術がいかに人間社会の本質をついているかに思いを馳せ
感心してしまった。
ネットのニュースを見ていると麻生財務大臣が
tppの問題は報じないのに森友の問題は盛んに報じている
これが日本の新聞のレベルかという主旨のことを言ったと書いてある。
それで東京新聞の記者が森友問題のレベルはと問うと
レベルと言ったからレベルで切り返しているわけだなという主旨のことを
麻生大臣はいったと書いてある。
麻生さんはべらんめえ口調をきどっておられるのだと思うけれど
こういう威圧的なものの言い方どうにかならないものかと思う。
もちろん新聞記者が挑発的な質問をしてそれにひるんだら
政治家もおしまいなのでああいう発言がとっさに出るのだろうけど。
でも挑発された場合には、故 大平総理大臣のように
あー うーで時間を稼いでその間に答弁を考えるという方法もあるわけだし、、、。
あーうーの大平さんと言われていたけれどなかなか味のある政治家だったと思う。
社会党の委員長にテレビ討論で自民党は4割の支持しかない政党なんですよ
と指摘されたら、大平さんは、社会党はその半分の支持もないということを
お忘れなくとおっしゃっておられた。
それを聞いていて僕は味わい深い発言だなと思った。
まあ、麻生さん以前からこういうパターンのものの言い方だったから
今さらどうにもならないと言えばどうにもならないわけだけれど。
ただ、麻生さんももう年齢が80才近い。
こういうおじいさんが認知に問題が出てくるとてがつけられなくなる
ケースがあるような気がするのでそうならないことを願いたいと思う。
まあ、育ちの言い方なので大丈夫とは思うけれど。
逆に育ちがいいわりにはという側面もなきにしもということもあるかもしれないけれど、、。
山田征さんと言うかたの本に今日の私は昨日までの
私の続きでしかないという主旨のことがかかれていた。
本当になるほどその通りだと思う。
だからこそ一日一日の心がけ、思い、行い、言葉が大切なのだと思う。
北の富士さんの言葉もある意味べらんめえの類型かも知れないと思うことが
あるのだけれどこちらの方は粋でいなせでいいなと思う。
僕の個人的な好みだけれど。
大阪場所の千秋楽で舞の海さんが遠藤が負けた相撲について
こういう状況だったら遠藤ももっと力が出たんじゃないか
という、たら、れば、の話ばかりしておられたら
北の富士さんは「舞の海さんちょっと深読みのしすぎじゃないの?
要するに遠藤はきょうは力が出なかった。それだけですよ」とおっしゃった。
なんか北の富士さん気持ちのいいものの言い方をなさるんだなと思った。
千代丸が大関を破って勝ち残りで土俵したにいるとき
千代丸はどんな気持ちでしょうとアナウンサーにふられて
「いやあ、勝って懸賞金が手に入るでしょ
それを考えるのがまたいいんですよ」とおっしゃった。
大関に勝ったときの懸賞金の額はサラリーマンのボーナスを
越えるくらいの金額になる。
北の富士さんいいことおっしゃるなとあのときも思った。
千代丸は九重部屋の力士で北の富士さんも現役時代は九重部屋。
そのあたりの誰が勝ったときにちょっとはめをはずした
言い方をするかも微妙にうまく心得ておられるところが心憎い。
先場所は鶴竜が優勝したわけだけれど、僕の記憶にあるかぎり
あんなに不安定な取り口の力士が優勝するって珍しいと思う。
立ち会い一気に回しがひけなくて引き技に出る場面がおおくて
見ていて怖くなって僕は目をつぶってしまう場面が何度かあった。
薄氷の勝利も多かったし取り直し、物言いの一番もあった。
北の富士さんも鶴竜の取り口の不安定さは気にしておられたようで
さかんに危ないというようなことをおっしゃっておられたけれど
「ぎりぎりで残れるということは要するに体が反応しているということだからね」とも
おっしゃっていた。ぎりぎりのところを見極めてコメントされると
言うことは要するに直感力が鋭いということだし
愛情が深いと言うことだと思う。
あと人知を越えた何かがあるという意識がどこかにあると
ないでは直感の的確さが違ってくると経験上そう思う。