ケンのブログ

日々の雑感や日記

祈れ薬れ

2018年06月24日 | 日記
昨日は雨、今日はかなりの晴天。
真夏はかくやと思うほど暑い気がするけれど
まだ梅雨があけたらきっとこんなものではないだろうなとも思う。
だいぶん日差しも強いのでちょっと帽子をかぶって鏡に顔を
写してみた。
僕の場合頭が短い丸刈りなので帽子を被った状態で鏡を見て
そのまま帽子をぱっと取るとかつらをかぶった人が
ぱっとかつらをはずしてはげが露呈したときのように
かなり帽子をつけたときとそうでないときの
落差が激しくてちょっと恥ずかしいような感じになってしまう。
それで今のところは帽子をかぶるのをやめた。
もっと暑くなったらそうもいってられないかもしれない。
昨晩も余震があって揺れている間は
ちょっとお念仏を唱えながら固まっていた。
身内のものと話をしていて
地震で揺れたときは安全なところは逃げたかという話になって
そんな揺れている間は一心に固まってお念仏を唱えていて
動くという発想自体が僕にはほとんどない。
地震の時はだいたいいつもそう と答えたら
身内でもずいぶん考えが違うものだねという話になった。
しかし、これだけ余震があって
僕がすんでいる隣の町は地震で塀が倒れてその
塀が建築の基準に違反していたということで
ずいずん新聞紙上でたたかれていて
なんだか気分的に滅入ってくる。
まただんだんいつもの日常が戻りますようにと祈っている。

また昨晩ちょっと電話で身内のものと話をしていて
金光教の教典に書いてある
祈れ薬れにすればおかげもはやいが
薬れ祈れにするからおかげにならぬ
というのはどういう意味かという話になった。
僕はこの部分を文脈上たいした意味があると思って
読んでいなかったのでそんなん注意して
よんでないから知らんわ
でも文脈上はだいたいこんなことやろうという話をした。
そして、電話を切ったあとこの金光教教典は確かに
文脈もあるけれど、箇条書きの文章なので
連続した文章のように文脈と言ってもそれほど
確固としたものではないことに思いが至った。
祈れ薬れ、薬れ祈れで対句になった定型文なので
金光教のサイトを見たらきっといい解説が
出てくるだろうと直感的に思って
金光教銀座教会のサイトを検索で見たら
案の定よい解説が載っていた。
その解説はおおよそこういうことである
薬も神様のおかげと思ってこれから薬を飲ませていただきます
どうぞおかげをいただかせてくださいと祈って飲むとおかげを
いただく。
ここまでが金光教会の解説の主旨であとは僕の推論
なのだけれども
逆に薬れ祈れは薬が祈りの上位に来てしまうので
おかげにならないということなのだと思う。
薬も祈ってから飲むとおかげになる
つまりは効くというのは非常に納得が行く。
効くと思って飲むと有効成分の入っていない薬でも
効くといういわゆるプラセボ効果は科学的にも
実証されているという話をどこかで読んだことがある。
やはり薬も祈って飲むとおかげになるのだと思う。
それにしても金光教の考え方は
どこまでもおかげさま、おかげさまで日本人の精神風土にあっているなと思う。