僕の世代のJポップのアーティストで圧倒的に長期間一線でヒットを飛ばしているのは桑田佳祐さんと中島みゆきさん。この二人は音楽を作るときの引き出しの数が他のアーティストよりも圧倒的に多い。そしてその引き出しの多い音楽を聴いていて、もうこの二人は子供の時から聴いている音楽の量が圧倒的に他のアーティストとは違うなと直感的に思う。
どのみちでもそうだと思うけれど大人になってからでは絶対に身につかない領域というのが特に音楽にはあることは認めざるを得ない。
さて、芹沢光治良さんの「人間の運命」という小説を読んでいると、主人公次郎と次郎の一高での友人、高井との間にこんなやりとりがある。
”高井は自分でも詞に曲をつけていると話したが、その後、上野の定期演奏会にはもちろんどんな演奏会にも、次郎を誘った。音楽こそ、次郎が東京へ出て、最も驚倒した世界であった。魂のそこまで揺り動かされた新鮮な世界であった。
その世界に入ろうと努力して四苦八苦した挙句。高井のように理解したさに、自分でピアノを習おうと決心して、高井に笑われた。「ピアノだって?子供の時からやらなければ、無駄だよ。音感がどうにもならないもの。今になっては、君の耳ではとらえなれない音があるんだよ。君と僕とでは、同じ音楽を聞いても同じように耳が聞き取っていないんだ。そのことに君は気がついていないけれども 」
そう言われて絶望した。田舎兵衛と罵倒されるよりも悲しかった。しかし、その不完全な耳でも一生かかっても、せめて音楽のこころを聴き取れるようになってみせるぞと、次郎は自ら励ました。‘’
本当に純真で真摯な主人公の態度ではあるなと思う。ショックを受けながらも音そのものを聴く能力には絶望しても音楽のこころを聴く能力においては諦めずに希望をもつ。そこがこの主人公の気力のすごいところだと思う。
そして音楽において音そのものの領域とそのこころの領域の双方を意識し諦めるべき部分と諦めなくても良い部分を見極められる能力もすごいとおもう。普通は諦めるなら全面的に諦めてしまう。そしてひとたび自信を持つと自信を持ってはいけない領域にまで自信をもってしまったりするのが私達の常であるような気がする。
どの領域を諦めるべきか、そして現状に照らし合わせてどの領域を伸ばすように努力するか、それを冷静に見つめていくというのは努力をするうえでとても大切なことであるように思う。
環境に恵まれないからと諦めるのではなく、その恵まれない環境でなにができるか、そして環境に恵まれないからこそいろいろ工夫して環境に恵まれた人が得られないものを得る。そういう発想をもつことは私達にとってとても大切なことであると思う。