スーパーマーケットに行くと5月10日の母の日にちなんで「お母さんありがとう」と書いた短冊付きのカーネーションの花束がたくさん売っている。
それを見ると思い出すことがある。
昭和46年か47年くらいに昭和21年生まれの僕のおじには婚約者がいた。おじの婚約者が母の日に僕の祖母にやはり「お母さんありがとう」と書いた短冊付きの花をプレゼントした。
それに対しておじは何気なく「まだ、結婚はしていないから、そんなことはしなくていい」と言った。するとおじの婚約者は泣いてしまった。
その話をおじから聞いてそれは婚約者は泣くだろうと思った。たぶん花をプレゼントするという行為はおじの婚約者にとってはそれなりにとても勇気のいる行為だったのだと僕は思った。それを「そんなことしなくていい」と言われたらそれは泣くだろうと。
僕の母や母の姉が僕の祖母にそういう母の日に花をプレゼントしたことを僕は見たことがなかったから、おじの婚約者の行為が僕の家という感覚においてはちょっと違和感がある行為であることも僕は子供なりに感じ取っていた。そしてそういう違和感のあるもの同士が一緒になりやっていくことは素晴らしいことでもあり、大変なことでもあるように僕は思った。
戦後すぐの生まれの僕のおじは青春時代をそういう戦前から戦後という大きな価値観の変遷の中で生きた。
まずお見合い結婚が多かった時代から恋愛結婚が多くなる時代だった。
昭和20年代の生まれの人が青春時代を送った昭和40年代にヒットした歌の歌詞をみているとそういう恋愛というものを人生の至上のものとして捉えているような詞が散見する
松任谷由実さんの
あれが最初で最後の本当の恋だから 魔法の鏡より。
赤い鳥の
私は誰のために生まれてきたのか あなたを愛するために生まれてきたのよ
誰のためにより。
美空ひばりさんの真っ赤な太陽の
真っ赤に燃える太陽だから真夏の海は恋の季節なの
真っ赤な太陽より
そのおじももう70代半ばという年齢になるんだなと思う。
こういうどんどん前に向かって行くような人の気持ちが今の時代は
失われてしまっているような気がする。
それは情報科学の進歩で犯罪の形も変わってきて
子供にも「知らない人から声をかけられたら無視しましょう」
と教えるような感覚になってしまっているのだもの。
もういちど人と人があのころのように真っ直ぐに触れ合える時代がくるといいなと思う。
あの頃はよかったと言うようになると年取った証拠かもしれないけれど、、、。