新聞の国際欄を読んでいたらAP通信の記事としてアメリカで信仰を持つ人の約3分の2の人がこのコロナウイルスの流行は私達の暮らし方を変えるように神が語っている印と感じていることが調査の結果わかったという主旨の記事が出ている。
本当にそうだろうなと思う。
ネットのニュースサイトを見ていたら若い人も今回のコロナでテレワークを経験し、別に都会にいなくても働けると感じたり、都会で働くことにリスクを感じたり、あるいは故郷に帰りたいと思ったり、要するに地方で働きたいと考える若者が増えていると出ていた。
本当にそうだろうなと思う。
今、僕が思うことは、あれだけみんな使い捨てマスクをしていたのに今はガーゼのマスクや手作りのマスク(これもガーゼのマスクに含まれるけど)を使う人が増えているように思う。
単に使い捨てマスクが手に入りにくいというよりもガーゼなら大切にすれば長く使えるから使い捨てに比べるとなくなってしまう心配がないということなのだと想像している。
僕自身が ドン・キホーテなどでマスクを見つけると使い捨てよりガーゼを優先して買ってしまう。なんとなくそのほうがサバイバルできそうな気がするから。できるかどうかは最後は運も含まれるけれど、、、。
本当にあれだけマスクを大量に使い捨てていることが恐ろしくなることがある。ペットボトルの使い捨てなどと同じで資源の枯渇と環境破壊を招きはしないかと。
何気にタバコのパッケージを見ると今までは確か、喫煙は肺気腫になる可能性を高めます など具体的な疾病名が書いてあったと思うけれど、新しいものには 喫煙は様々な疾病になる可能性を高め あなたの健康寿命を短くするおそれがあります。と書いてある。
健康寿命を短くする恐れまで言われるとさすがにちょっとひるむ。本当は寿命を短くする恐れがあると書きたかったのかもしれないけれど、それだと反発をかいすぎるので健康寿命に替えたかもしれない。と思ったりする。
でも健康寿命にしろ寿命が短くなるおそれがあると言われるとちょっとビビるなと思う。コロナが怖いのも結局それが寿命を奪う恐れがあるからだと思う。
タバコも寿命を短くするのかと思いつつも、それだったらお酒の飲み過ぎや、食べすぎでメタボになるもの書いてないだけで同じだろうと自分に都合のいい理屈を考えて自分を慰めている。
しかし、言葉の表現をちょっと変えると与える印象がずいぶんことなってくるものだなと思う。
スーパーに行った帰り、おばちゃんが向こうから自転車で僕の方に向かってきた。僕が右に避けるとおばちゃんの自転車もなぜが僕が避けたのと同じ方に進んでくる、左に避けるとまた、おばちゃんの自転車は僕が避けたのと同じ方向に進んでくる。
もう最後は大相撲解説でおなじみの舞の海さんの注文相撲と同じくらい大きく体を右にかわしたら、おばちゃんの自転車はやっと止まった。僕は思うのだけれどおばちゃんの自転車って結局、最後は止まればいいという意識がどこかにあるから、フラフラと相手が避けるのと同じ方向に進んで最後は止まるというパターンになるのかもしれない。
最後は止まるとわかっているのならば最初から止まればいいのにそれができないのがおばちゃんの自転車の最大の特色かもしれない。
しかし、わざと相手が避ける方に進んでいるわけではないのは身のこなしをみているとわかるので怒るわけにもいかない。今も昔もおばちゃんの自転車は変わらないなと思う。
おばちゃんも若い頃は、あんな自転車の運転はしないと思っていても実際に自分がおばちゃんになるとそんな運転になってしまうということも十分にありうるとは思った。