何日か前、と言ってもかれこれ一週間くらい前だと思うけれど家で、カラヤンがベルリン・フィルを指揮して1970年代に録音したベートーヴェンの交響曲第4番のCDを聴いていた。
第一楽章のイントロダクションのところを聴いていて、随分厚みのある音でいいなと思った。
しかし、その演奏を聴き進めていくうちに、厚みのある演奏ということなら、カラヤンよりもショルティを聴きたいなという思いがなぜか心にこみ上げてきた。
僕の場合、突拍子もなくそういう思いがこみ上げてくることがある。
それで、しばらく聴いていなくて、ホコリをかぶっていたショルティがシカゴ交響楽団を指揮してやはり1970年代に録音したベートーヴェンの交響曲全集を引っ張り出してきて4番から聴き始めた。
アクセントのつよいショルティ独特の演奏。こういうショルティの演奏の特色を揶揄してショルティのことを雷太郎(カミナリタロウ)とか無機質とか言っていた音楽評論家が昭和の時代にいたように記憶している。
その評論家の方にはそう聴こえたのだろうけれど、実際に自分の耳で聴いてみると、そのアクセントの強さの中に、丁寧な思いがこもっていて、心温まる演奏だなと思う。
これだけアクセントが強くて、それでいて弦のアンサンブルは細かいところまでとても精緻であることに今更ながら驚いてしまう。
やっぱりシカゴ交響楽団ってすごいんだなと。
ショルティが演奏するベートーヴェンを3番から8番まで、この一週間くらい聴いていて、どれもいいけれど、僕は特に3番と8番が好きだなと思う。
8番は今日聴いていて、素晴らしいと思った。
演奏の輪郭は堂々としていて、細やかな感情も表現されている。
ベートーヴェンの交響曲の中で最も緊密に書かれているのは5番と8番だと思う。
その中で8番は5番よりももっと円熟の境地という感じで、本当に音楽の表情が多彩に変化するその様に改めて驚いてしまう。
幸福感やユーモアに満ちた音楽であるようにも思えるけれど、それでいてどことなく哀しげな雰囲気が漂っているところが最高に素晴らしいなと思う。
本当にベートーヴェンってすごい人なんだなと改めて思う。
20世紀の大指揮者ブルーノ ワルターが、その著書「主題と変奏」の序文のところで
「ナポレオンは死んだ、しかしベートーヴェンは生きている」と書いていた。
こういうブルーノ ワルターの言葉の発想って結局、音楽のように目には見えないものに志す人の心の拠り所なのではないかと思う。
そしてそれはパウロが新約聖書のコリント人への手紙の中に書いている
「私達は目に見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に存続するからです」という言葉と相通じるものがあると思う。