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ケンのブログ

日々の雑感や日記

安田猛さん王貞治さんの思い出

2021年02月23日 | 日記

1月の下旬に、アメリカ、メジャーリーグで755本のホームランを放った ハンクアーロン選手が亡くなったニュースが報じられた。

そのニュースを見たとき、ああ、王貞治さんは、少なくとも数字の上ではこの755本を超える756本目の本塁打を日本のリーグで放ったときに、それがアーロンを超えたということで日本中大騒ぎになったんだなということを思い出した。

本当に、あの頃はまだインターネットでみんながあれこれ記録の比較論などする時代ではなかったから、テレビで世界記録と報じられれば、みんなが世界記録を思っているような幸せな時代だった。

もちろん、メジャーリーグと日本のリーグでは、スタジアムの広さも違うし、投手のレベルも違うという話も出ていることは出ていたけれど。

でもとにかく、まあ、世界記録ということで大騒ぎだった。

福田総理大臣が王さんに国民栄誉賞を渡して、これが、国民栄誉賞の第一号と記憶しているけれど、王さんよりあとに国民栄誉賞をとった人には失礼な書き方とは思うけれど、国民栄誉賞自体が、王さんのために、創設されたようなもので、王さん以降の受賞者と、王さんではなんというか輝きが違うように思う。

やはり何事も第一号になるということはそれだけのインパクトがあるということなのだろう。

時を前後してピンクレディーの「サウスポー」という歌も大ヒットした。

歌詞に出てくる、背番号1のすごいやつ、というのは王貞治さんをイメージして書かれていることは誰でも当時は知っていた。

そして、この曲は、甲子園 高校野球のブラスバンドの応援でも長年しばしば使われてきた。

ブラスバンドの応援で演奏されるということはたとえ流行歌といえども曲がしっかりとできているということにほかならない。

やはり、作曲された方も(都倉俊一さん)それなりの思いを持ってこの曲を作られたのだと思う。

王貞治さんは自分の回顧録の中で「ハンクアーロンが僕の一本足打法を見たとき、美しいと言ってくれた」という主旨のことを書いておられた。

そういうリップサービスと言うか、ファンに向けたコメントも王さんは常に誠実で、かつ人を喜ばせるようなものが多かった。

だから、ヤクルトスワローズで活躍された安田猛、元投手がなくなったときも、王さんのことを思い出した。

へんな投法だったけれど、王さんには結構強かったなと。

そうしたら、今日の新聞の編集手帳のコラムにこんなことが書いてある。

「(安田猛さんの)130キロ台半ばの直球は漫画『がんばれ タブチくん』でヘロヘロと描かれた。そんな球で、世界の王貞治を何度となく詰まらせた投球は記録より記憶に残る球史の景色だろう。

4年ほど前。胃がんで余命1年と宣告された。それを聞いた王さんから贈られた色紙にこう書かれていた。『気力で乗り切ってください』ペンギン投法(安田猛さんの投法はこう呼ばれていた)の底にあった気持ちの力を誰よりも知るのは、ほかならぬ王さんかも知れない」と。

この編集手帳を書いた人も、ひょっとしたら僕と同じ世代の人なのだろうと思う。とにかく僕の世代は王さんが圧倒的なヒーローだったから、当時のいろんな記憶をとかく王さんとむすびつけて考えてしまうから、、、。

その王貞治さんは、安田猛投手のご逝去に関して次のようにコメントしておられる。

“”
「(安田投手は)少し変則的な投げ方だったが球に力があり、テンポが良くて度胸がある投手だった。病魔との闘いは大変だったでしょう。安らかにお眠りください」とコメントした。

 左のサイドスローから繰り出す緩急自在の投球で“王キラー”と呼ばれた安田さんとは、現役時代に熱戦を繰り広げた。1977年に通算756号をマークして当時の米大リーグ記録を抜いた翌9月4日に、安田さんからサヨナラ本塁打を放った。「757号を彼から打ったことを思い出しました」と。“”

世界記録と騒がれた756号の次の757号の本塁打を安田さんから打ったことを語るのが、王さんの思いやりのあるリップサービスだと思う。

普通は王さんは自分が打ったことをあまり語らない人だから、、、。

王さんが756号本塁打を打った翌日に、僕が通っていた中学校の担任の先生が教室のみんなに向かって
「しかし、王さんから756号を打たれた鈴木というピッチャーは、もう打たれたということがついて回って気の毒やなあ」と言った。

するとクラスのMくんという子がなぜか突然
「王さんから100号本塁打を打たれたのは板東英二です」と言った。

その発言の突拍子のなさと、板東英二という名前で教室のみんなが腹を抱えて笑った。

Hくんと言う子が「本当にMの言うことは、いつも話題からズレとるわ」と言いながらとりわけ嬉しそうに笑っていたことを懐かしく思い出す。

王さんのことをネタにみんなが喜んでいた時代だなと思う。

※板東英二さんが王さんから100号本塁打を打たれたのが本当かどうかは、記録を調べていませんが、板東英二が中日ドラゴンズで活躍していた年代が丁度、王さんの通算100号本塁打くらいの時代なので、Mくんの発言内容は、正しい可能性もかなり高いと思います。

いろんな人の、引退やご逝去などの節目で、いろいろ心温まるコメントを出しておられる王さん。

その中で一番ジーンと来たのは、イチローが引退したときのコメント

「あの(イチローの)レベルでの苦悩。理解してくれる人、期待した返事をくれる人もいなかったと思う」というもの。

それは、王さん自身にも言えることだと思うから。

しかし、よく考えてみると、特別の記録や功績を残した人でなくても、人間誰しも、自分の苦労を本当に理解してくれる人、また自分に対して期待した返事をくれる人に巡り会える人というのはほとんどいないというのが現実なのではないかと思う。

中島みゆきさんの「歌をあなたに」という歌詞の一節にあるように

“”そうよ 目を閉じないで明日を探すのよ
誰も助けはしないから、あなたが探すのよ“”

というのが、結局、本当に誰にとっても真実味のある言葉なのだと僕は思う。

そういえば、今日は天皇陛下の誕生日であるとともに 中島みゆきさんの誕生日だなと思う。














マスク専門店閉店

2021年02月23日 | 日記
隣の街に、昨年の初夏の頃、マスクの専門店がオープンした。本当に小さな間口のお店だけれど、いろんなマスクを売っていた。

そのお店の前を通ると、閉店半額セールという張り紙がしてあった。

そのお店で僕は昨年の夏頃2枚マスクを買った、2つとも布製のものだ。価格は多分1枚1000円くらいだったと思う。

僕は普段、薬局で買った、市川海老蔵の顔がパッケージに出ているマスクをしている。いろいろ試してみたけれど、僕にはなんとなくその海老蔵マスクがあっているような気がしたから。

そのマスク専門店で買った、マスクは海老蔵マスクに比べると、薄くて、目が荒いような気がする。

多分、その分、薬局で売っているマスクよりも、飛沫の予防効果は薄いのだと思う。

しかし、その反面、呼吸はこちらのほうが楽だし、眼鏡も曇りにくいように感じる。

家では、新聞や本を読んだり、こうしてブログを書いたりして、老眼鏡を書けることが多いから、呼吸がしやすくて、眼鏡が曇りにくいというのは僕にとっては大きな魅力。

だから、家では、そのマスク専門店で買ったマスクをしていることも結構多かった。というか多い。

そのマスク専門店が閉店かと思うと、これもときの流れかなと思う。

その足で、近くの100円ショップに行くと、マスク専門店で売っていたのと同じくらいの性能やつけ心地と思われるマスクが、洗濯して繰り返し使用可能というキャッチフレーズで、もう1枚100円で売っている。

それは、マスク専門店は閉店に追い込まれるはずだと思った。

本当に、今は、あくなき価格競争だなと思う。

もちろん、いろんな柄のマスクを売っていることもその専門店の魅力だったのだけれど。

厳しい時代だと感じる。

まあ、そのマスク専門店は、それまではスマホのカバーの専門店で、それがコロナでマスク専門店に生まれ変わった。

きっとオーナーの方は、また、違う商売を考える可能性も高いと思うけれど、どんな商品がヒットするかはわからないので、いずれにしても、個人で商売をする人にとっては厳しい時代だなと思う。

いつか、京都の専門店がいろいろ入っているビルのあるお店に、時計閉店セールという張り紙をして、時計をかなりの廉価で売っていた。

結構、僕の好きなデザインの時計があったので1つ、かなりの廉価で買い求めた。

会計のときレジのお姉さんに「電池がなくなったら、ここの店に来たら取り替えてもらえますよね」と僕が行ったら、お姉さんは「ここはあと一週間で閉店になりますので、電池交換は他の時計のお店に行っていただくことになります」とおっしゃった。

それは、そうだよな。だって閉店セールだもん。と僕はそのときになって気づいた。

僕は、昔から、その手のボケをかますことが結構多い。

多分、同時にいくつかのことを考えるのが苦手で、例えば時計が安く買えるとなると、そのことだけに意識が集中してしまって、他のことに意識がいかなくなってしまう傾向が僕にはあるからなのだと思う。

困ったことだとは思うけれど、昔ドラマでやっていた裸の大将の決り文句じゃないけれど「これは ク クセだから治らないんだな」ということになるのだと思う。

最近は、そういう注意力に欠陥のある子に医者に通うことを勧めて、そして丁寧に薬までのませるという傾向もあるようだけれど、僕、医学のことは何もわからないけれど、そういう薬って、多分、安定剤のようなもので心を落ち着かせることで、注意欠陥の症状を少しでも抑えようという発想のものなのではないかと思う。

いつか、注意欠陥の薬を飲むと、子供が眠気や食欲不振を訴えることが多いというお母さんの話をきいて、多分そういうことなのだろうなと想像した。

そういう治療法を別に否定しようとは思わないけれど、昔なら、何となく落ち着きのない子、ということで通っていた子が、今は、注意欠陥とか言うことで、病気扱いになってしまったりする。

そういうのもツライといえばツライように僕には思える。

まあ、それはその人の考え方次第とは思うけれど、、、。

マスクに話を戻すと、最近は、ウレタンや、普通の布製の、一般的には飛沫防止の効果が低いと言われているマスクをしている人の割合も増えたように思う。

やはり、飛沫予防効果が高いマスクは、ある程度呼吸がしにくくなるし、女性などだと、マスクをした部分の皮膚に与える影響とか、いろいろその人、その人の事情があるのだと思う。

マスクをすると、酸素の摂取量が減って、身体の抵抗力が落ちるという主張をする人も少なかずいるわけだし、、、。


新聞にアメリカが地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」に復帰した話題が出ている。

脱炭素ということで環境問題ともからめて記事は書いてあって、二酸化炭素の排出量が世界の3割を占める中国の協力を得られるかどうかも大きな課題と記されている。

二酸化炭素を多く排出すると言われている火力発電の輸出は中国の巨大経済圏構想に基づく経済政策なので、そんなに簡単に中国の協力が得られるとは見通せないと記事には書いてある。

脱炭素の合言葉も、再生可能エネルギーへの投資を促す、経済政策と不可分に語られることが多い。

そう考えると、この、脱炭素という環境の問題は、同時に、欧米と、中国の経済の覇権争いの問題という様相も呈しているんだなと感じる。

そして、その再生可能エネルギーも、例えば、太陽光パネルは景観をそこなったり、環境を破壊するということで、設置に条例などで制限を設ける自治体が増えていると、2,3日前の新聞に書いてあった。

本当に、今も、そして過去も、産業の構造が大きく変化するときには、いろんなところで覇権争いが起きるのは、歴史の常だなとも思う。

そんな中で、なんとか一日、一日無事に過ごせますようにとそれを一番に考えて暮らしている。