1月の下旬に、アメリカ、メジャーリーグで755本のホームランを放った ハンクアーロン選手が亡くなったニュースが報じられた。
そのニュースを見たとき、ああ、王貞治さんは、少なくとも数字の上ではこの755本を超える756本目の本塁打を日本のリーグで放ったときに、それがアーロンを超えたということで日本中大騒ぎになったんだなということを思い出した。
本当に、あの頃はまだインターネットでみんながあれこれ記録の比較論などする時代ではなかったから、テレビで世界記録と報じられれば、みんなが世界記録を思っているような幸せな時代だった。
もちろん、メジャーリーグと日本のリーグでは、スタジアムの広さも違うし、投手のレベルも違うという話も出ていることは出ていたけれど。
でもとにかく、まあ、世界記録ということで大騒ぎだった。
福田総理大臣が王さんに国民栄誉賞を渡して、これが、国民栄誉賞の第一号と記憶しているけれど、王さんよりあとに国民栄誉賞をとった人には失礼な書き方とは思うけれど、国民栄誉賞自体が、王さんのために、創設されたようなもので、王さん以降の受賞者と、王さんではなんというか輝きが違うように思う。
やはり何事も第一号になるということはそれだけのインパクトがあるということなのだろう。
時を前後してピンクレディーの「サウスポー」という歌も大ヒットした。
歌詞に出てくる、背番号1のすごいやつ、というのは王貞治さんをイメージして書かれていることは誰でも当時は知っていた。
そして、この曲は、甲子園 高校野球のブラスバンドの応援でも長年しばしば使われてきた。
ブラスバンドの応援で演奏されるということはたとえ流行歌といえども曲がしっかりとできているということにほかならない。
やはり、作曲された方も(都倉俊一さん)それなりの思いを持ってこの曲を作られたのだと思う。
王貞治さんは自分の回顧録の中で「ハンクアーロンが僕の一本足打法を見たとき、美しいと言ってくれた」という主旨のことを書いておられた。
そういうリップサービスと言うか、ファンに向けたコメントも王さんは常に誠実で、かつ人を喜ばせるようなものが多かった。
だから、ヤクルトスワローズで活躍された安田猛、元投手がなくなったときも、王さんのことを思い出した。
へんな投法だったけれど、王さんには結構強かったなと。
そうしたら、今日の新聞の編集手帳のコラムにこんなことが書いてある。
「(安田猛さんの)130キロ台半ばの直球は漫画『がんばれ タブチくん』でヘロヘロと描かれた。そんな球で、世界の王貞治を何度となく詰まらせた投球は記録より記憶に残る球史の景色だろう。
4年ほど前。胃がんで余命1年と宣告された。それを聞いた王さんから贈られた色紙にこう書かれていた。『気力で乗り切ってください』ペンギン投法(安田猛さんの投法はこう呼ばれていた)の底にあった気持ちの力を誰よりも知るのは、ほかならぬ王さんかも知れない」と。
この編集手帳を書いた人も、ひょっとしたら僕と同じ世代の人なのだろうと思う。とにかく僕の世代は王さんが圧倒的なヒーローだったから、当時のいろんな記憶をとかく王さんとむすびつけて考えてしまうから、、、。
その王貞治さんは、安田猛投手のご逝去に関して次のようにコメントしておられる。
“”
「(安田投手は)少し変則的な投げ方だったが球に力があり、テンポが良くて度胸がある投手だった。病魔との闘いは大変だったでしょう。安らかにお眠りください」とコメントした。
左のサイドスローから繰り出す緩急自在の投球で“王キラー”と呼ばれた安田さんとは、現役時代に熱戦を繰り広げた。1977年に通算756号をマークして当時の米大リーグ記録を抜いた翌9月4日に、安田さんからサヨナラ本塁打を放った。「757号を彼から打ったことを思い出しました」と。“”
世界記録と騒がれた756号の次の757号の本塁打を安田さんから打ったことを語るのが、王さんの思いやりのあるリップサービスだと思う。
普通は王さんは自分が打ったことをあまり語らない人だから、、、。
王さんが756号本塁打を打った翌日に、僕が通っていた中学校の担任の先生が教室のみんなに向かって
「しかし、王さんから756号を打たれた鈴木というピッチャーは、もう打たれたということがついて回って気の毒やなあ」と言った。
するとクラスのMくんという子がなぜか突然
「王さんから100号本塁打を打たれたのは板東英二です」と言った。
その発言の突拍子のなさと、板東英二という名前で教室のみんなが腹を抱えて笑った。
Hくんと言う子が「本当にMの言うことは、いつも話題からズレとるわ」と言いながらとりわけ嬉しそうに笑っていたことを懐かしく思い出す。
王さんのことをネタにみんなが喜んでいた時代だなと思う。
※板東英二さんが王さんから100号本塁打を打たれたのが本当かどうかは、記録を調べていませんが、板東英二が中日ドラゴンズで活躍していた年代が丁度、王さんの通算100号本塁打くらいの時代なので、Mくんの発言内容は、正しい可能性もかなり高いと思います。
いろんな人の、引退やご逝去などの節目で、いろいろ心温まるコメントを出しておられる王さん。
その中で一番ジーンと来たのは、イチローが引退したときのコメント
「あの(イチローの)レベルでの苦悩。理解してくれる人、期待した返事をくれる人もいなかったと思う」というもの。
それは、王さん自身にも言えることだと思うから。
しかし、よく考えてみると、特別の記録や功績を残した人でなくても、人間誰しも、自分の苦労を本当に理解してくれる人、また自分に対して期待した返事をくれる人に巡り会える人というのはほとんどいないというのが現実なのではないかと思う。
中島みゆきさんの「歌をあなたに」という歌詞の一節にあるように
“”そうよ 目を閉じないで明日を探すのよ
誰も助けはしないから、あなたが探すのよ“”
というのが、結局、本当に誰にとっても真実味のある言葉なのだと僕は思う。
そういえば、今日は天皇陛下の誕生日であるとともに 中島みゆきさんの誕生日だなと思う。