ケンのブログ

日々の雑感や日記

主観的な判断基準

2021年08月14日 | 日記
コロナの感染者が増えているという新聞記事が出ている。

そんな記事を見て、いやなことになってきたなあと思っている自分がいる。

そして、正直に言うと、コロナになるのが怖くて嫌というよりも、感染者が増えてきて、また、自粛とかお店が休みとか、そういうことになるのが嫌だなあと思っている自分がいる。

きっと、コロナが嫌というよりも、コロナによる生活の制約が嫌だと思ってしまうのは身近に隔離病棟などに入った人がいなくて本当の怖さを知らないせいもあると思うけれど、、、。

身近にそういう人が出たり、あるいは自分がそのような状況になったら考えは変わるような気がする。

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知り合いの方と喫茶店に行く。

窓際の席に陣取っている若い男性3人組のかたの声が大きくて、知り合いの方の声が聞き取りにくい。

それで窓際のでかい声の若い人たちを見るとマスクをしていない。

それを見て僕は
「向こうもマスクしてないよ、僕らもマスクはずそう。これじゃあ声が聞こえないよ」と言ってしまった。

言ってしまってから、僕自身も、ものごとの判断基準が、感染を防ぐことが最優先ではなく、周りがどうしているかが判断基準になってしまっていることに気づく。

ただ、田舎は都会に比べると、どんな人にいつ何時突っかかってこられるかわからない という恐怖感が都会に比べると低いから、マスクをはずして大声でしゃべるひとも都会に比べると多いのだろうとは思う。

数日前に新聞の人生相談のコーナーで、大学のイベントでマスクをしていないひとが多くて、これではコロナに感染したり、人を感染させてしまうのではないかと心配、自分自身は両親など信頼できる人の前以外では必ずマスクをしているのに、、。
という主旨の投書をしている大学生の女の子がいた。

それを読んで、この子も、マスクをしていない大学の友だちが気になるといいつつも、自分自身も、両親など信頼できる人の前ではマスクをしないこともあるということだなと思った。

そして、両親が人間的に信頼できるということと、コロナに両親が感染していない、あるいは両親に感染させることはないということは別次元の問題なのに、この女の子もやはり判断基準がコロナの感染を防ぐということよりも、自分が信頼できる人がどうかで、マスクをしているかしていないかが気になるという側面もあるのだろうなと思った。

本当に、日本中でそういうことが起きているように思えてくる。

ただ、僕自身、今日のように場合により、マスクやめや、と思ってしまうこともあるけれど、基本的にはマスクと手洗いはなるべく気をつけるようにしていることには変わりはない。

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木曽川の堤防を自動車で走る。

いつもはその流域は、川幅の30%くらいしか水は流れていなくて、多くの部分が河原や岩肌になっている。

ところが、今日は川幅全体に濁流が流れ、水はざっと見た感じ堤防のした2メートルくらいのところまで来ていた。

このまま、降り続いたら堤防決壊もありうると思った。

本当に怖いこと、、、。

なんとか無事でいけるといいのだけれど。

いちにち いちにち、無事で健康に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。